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 この資料は、某研究会から 「顕正会について」の講演要請を承けたことで、平成24年に作成したものである。



























 その後 4年弱を経過する間、毎年 各地に地方会館が数ヶ所づつ建設され続け、創価学会では宗門離れが加速した。
 しかし 顕正会の動向に大きな変化はなく、浅井会長は着実に齢を重ねている。

      ( 平成28年1月8日  櫻川 記 )



 
 浅井会長は、平成27年9月度総幹部会で 「戦争、飢餓、疫病も地球上から消滅」 と述べた。
 
 
 浅井昭衛会長が、いかに仏法を恣意的独善的に理解しているかということの典型的な例が、ここに見て取れる。
 顕正会員諸氏には、浅井会長がここで言っていることのアホさを、よく熟読・玩味してほしい。
 
 1) 仏法は「出世間法」
 
 出世間法とはそもそも、世間法とは次元が違うということ。ここの処を、浅井会長は根本的に錯誤し、誤解している。
 富士4号の「仏法とは何か」でも「折伏理論解説書」でも、「世間法は部分観、仏法は全体観」として、世俗のレベルと「同一平面上」で仏法を捉えている。それでは、時間的には三世・空間的には十方という、世間法と時空の範囲の違いでしかない。
 創価学会・戸田会長の「仏とは生命だ」や、池田会長の「宇宙を貫く根本原理」と同一平面上の、世俗的理解・解釈と まったく異ならない。
 
 2) 「出世間法」の誤解
 
 そもそも大乗の「空思想」に於いては、「色即是空」・「煩悩即菩提」・「娑婆即寂光」等と言われるが、その「即」をそのままイコールと了解したなら世俗即出世間の、ベタベタの現状肯定になってしまう。
 色を離れて空はなく、煩悩を離れて菩提はなく、娑婆を離れて寂光はなく、世俗を離れて出世間はないが、そこに「而二不二」の妙理があること、世俗諦と勝議諦の違いと意義に浅井会長は昏い。
 仏法が一国に流布し戒壇が建立されても、窃盗や殺人等の凶悪犯罪はなくならないし、台風や地震や火山の噴火もおさまることはない。
 法華迹門の戒壇建立の勅許は弘仁13年(822年)、清和天皇より初めての大師号である「伝教大師」の諡号が贈られたのは貞観8年(866年)、そして東日本大地震に匹敵する貞観地震は貞観11年(869年)に起きている。
 
 3) 「大火所焼時 我此土安穏」
 
 「衆生劫尽きて 大火に焼かるると見る時も 我が此の土は安穏にして 天人常に充満せり」(如来寿量品)
 「我此土安穏」とは、久遠本佛から見れば「常住之説法」の世界だが、衆生にとっては全てのものが焼き尽くされてしまう現実の「苦」の到来に他ならない。
 地球物理学のプレートテクトニクス理論によれば、数億年後にはまた地球上に超巨大大陸が形成されるはずであり、そのときプレート境界にある日本列島は姿を留めていない。
 浅井会長が、会員に恐怖を煽るためしばしば引用・参照する著名な地震学者の説は、みなプレートテクトニクス論をベースにしている。来たる巨大地震の恐怖を煽りつつ、将来の列島消滅の未来には目をつぶって 「戦争、飢餓、疫病も地球上から消滅」とは、支離滅裂の言い様である。 
 以前、古参の顕正会員と面談してその点を指摘した際、「仏国出来の暁には、諸天の働きによって地球のプレート運動も停止する」と返答され、のけぞってしまったことがあった。浅井オカルト言説の洗脳が行き届くと、世間の一般常識やありのままの事実を見えなくさせてしまう。
 
 4) 「十界互具・一念三千」
 
 法華仏教の基本は、「十界互具」である。「一念三千」も、十界互具なしには、成立しない。
 浅井説では、 「戦争も、飢餓も、疫病も、..必ず消滅」と、国土世間に於いて地獄も餓鬼も畜生も修羅も消滅することになる。
 そんな、人類の歴史や世界情勢を無視したおめでたいことは、あり得ない。なにやら神の国の到来のような、それこそ 縁起・互具の否定である。浅井会長のいう「仏法史観」の浅薄さ、仏法への根本的な勘違いが、ここによく現れている。
 「地獄は地獄のすがたを見せたるが実の相なり、餓鬼と変ぜば地獄の実のすがたには非ず、仏は仏のすがた凡夫は凡夫のすがた、万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり」(諸法実相抄) と。
 それにしても、顕正会員諸氏に問いたい。「戦争も飢餓も疫病も」 近き将来ほんとうに世界からなくなると、そんな夢のような「世迷い言」を、いつまで信じて悪師に伏せ拝をしているのか。
 
 5) 冷徹な現実の姿
 
 浅井会長が力説するように、「御遺命」を堅持する顕正会がそれほど正しいなら、なぜに顕正会の誓願は達成できないのか 。
 平成25年までには「必ず一千万を成し遂げる」と、浅井昭衛氏は顕正会会長として、御本仏・日蓮大聖人に誓い奉ったのではなかったか 。  
 数多くの顕正会員諸氏が、法戦ごとの勧誘ノルマと広布御供養に苦しみ疲弊している実態を、小生は知っている。顕正会は所詮、「浅井商店」でしかない。
 世界には、歴史的・文化的背景の違うキリスト教やイスラム教が、流布している。仏法有縁の妙国・日本ですら、仏教界において未だ大小・権実・本迹の勝劣を決せず、大石寺門流は四分五裂である。正系門家すら異体同心できず、いったいなにを手間取っているのか。
  「一丈のほりを・こへぬもの 十丈・二十丈のほりを・こふべきか」(種種御振舞御書)と。
 
 6) もう目を覚ませ、顕正会員諸氏よ!
 
 池田大作氏の「久遠元初以来の壮挙」とまで増長した野望を砕き、身を挺して「本門戒壇」の意義を死守し奉ったのは、妙信講であったことは事実である。
 しかし、星霜四十有余年、浅井昭衛氏は保身のため中枢幹部を排除し続け、自身の権威・権力を維持して来た。だから、公称170万だの日本国を独走だのと自讃しても実態が伴わず、会員は常にノルマに追われ疲弊している。
 顕正会員諸氏よ、全世界から「戦争も飢餓も疫病も」なくすなどという、途方も無い勘違いの「夢ものがたり」を、いつまで信じ続けるのか。現在84歳の会長が、いつまで存命すると思っているのか。

 7) 「絶対権力は、絶対的に腐敗する

 昨今のフォルクス・ワーゲン等の企業の不祥事も、トップに数十年も独裁的権力者が居続けたことによるという。
 浅井昭衛氏は 父である講頭・甚兵衛氏を失脚させ、以来 「法廷闘争」にしても「宗門諫暁」にしても「御遺命守護完結」にしても、一貫不変で自己保身を行動原理として来た。老いてなを、妄想を振りまき続けるオカルト老人に、今やもう点ける薬はない。
 顕正会員諸氏には 「御遺命守護」に名を借りた、「とんでも言説」をもう一度点検し、自身の人生を見直していただきたい。これは、浅井氏の妄想に殉じて人生を無駄にしないよう、古参会員からの切なる願いである。
 浅井説の意図は、日蓮大聖人の御書に仮託して「非仏教」を騙り、地震や他国の脅威を煽って自身を尊崇させ、独裁組織を維持することにあるのだから。
 

                   平成27年12月05日   櫻川 忠 記
 
 
 浅井会長は7月度・8月度の総幹部会で、「広宣流布は歴史の必然」と、二ヶ月 連続して大見得を切ってみせた。 
 「この一六〇万はやがて二百万になり、五百万になり、一千万となる。… 広宣流布はもう歴史的必然であります。」(平成25年7月度 総幹部会
 「今はまだ仏法を軽んじている日本の人々も、遠からずみな大罰でめざめ、必ず日蓮大聖人を信じて手を合わせるようになる。… 広宣流布は歴史の必然なのであります」(平成25年8月度 総幹部会
 
 では、小生も断言しよう。
 「顕正会の崩壊は歴史の必然」であり、「広宣流布の時は未だ来ていない」と。
 
 顕正会の崩壊が近いのは、誰にでも判ることだろう。
 現役顕正会幹部たちは、その不都合な真実を知っていながら自己保身のため会長の妄想に、ヨイショし拍手し平身低頭している。
 妄想とは非合理的な「思い込み」であり、根拠が薄弱であるにもかかわらず、確信が異常に強固であり、経験・検証・説得によって訂正不能であり、内容が「非現実的」であることが特徴とされている。
 現在の百六十万ですら虚構であり、実態が伴わない化城である。それを承知の上で、浅井会長は三百万や一千万や六千万という実現不可能な空想に耽溺し、会員を騙し続けている。
 近い将来、高齢(81歳)の全権会長が総幹部会に登壇不能となったなら、顕正会はそのエンジンと頭脳を失ってしまう。顕正会はたちまちにして、脳死・心肺停止状態に陥るだろう。
 だから、「顕正会の崩壊は歴史の必然」だ、と敢えて断言するのである。
 
 次に、「広宣流布の時は未だ来ていない」、ということを論じよう。
 日蓮大聖人の時代には、怨霊や神仏の威力が強く信じられている、という背景があった。また、法門の上では「法華最勝」が論理的に一応は、成立し得た。よって、公場対決を経て国主帰依の可能性が、あり得ただろう。
 そして、当時の叡山は仏教界を代表するだけでなく、最高学府であり知の最先端の場でもあった。
 日蓮大聖人は、その知の最先端に対しても、このような態度であられた。
 
 「日本第一の智者となし給へ」(清澄寺大衆中、善無畏三蔵抄、破良観等御書)
 「智者に我が義 やぶられずば用ひじとなり」(開目抄)
 「異義まちまちにして何れを正義とも知らざりし程に」(題目弥陀名号勝劣事)
 「公場にてせめ給はざれば、ただ闇夜のにしきのごとし」(衆生身心御書)」
 「世出世の邪正を決断せんこと、必ず公場なる可きなり」(強仁状御返事)
 
 しかし今日、自然科学の探求は宇宙や銀河の始原の解明に肉薄し、仏教学会等では法華最勝の主張すら困難である。
 浅井会長は堂々と、忌憚のない批判にさらされる学術会議等で、自説を述べてみたらどうか。自慢の教学も、文献批判によってまずその基盤が問われ、通用しないと知らされるだろう。
 巨大地震・国家破産・原発災害・他国侵逼、これらの問題も各々の原因・縁由があって到来するのである。国立戒壇を建立しさえすれば、それらの諸問題がマジックのように解決 などとする、短絡・幼稚な思考に日本国民はやすやすと騙されない。
 いたずらに危機を煽るのは、時をしらぬ物怪である。「鷄の暁に鳴くは用なり、宵に鳴くは物怪なり」(如説修行抄)と。
 「先生絶対」「無二の師匠」と、ヨイショする会員を増やすことができるのも、もうあとわずかである。

 顕正会員諸氏よ、十年後にもう一度このサイトにアクセスして、上記の言明を噛みしめてほしい。
 いやそれ以前に、すこしでも早く浅井会長の「妄想の呪縛」から解き放たれることができるよう、小生は切に願っている。

     平成25年9月24日 櫻川 忠


 浅井会長は、年頭の辞で「最終段階」というフレーズを、これまで多用して来た。
 平成13年には「いよいよ最終段階を迎えたごとく」、平成20年は「広布最終段階」、平成23年では「広宣流布はすでに直線コースに入っている」、となった。
 そして平成25年、「もう広宣流布はギリギリの最終段階なのであります」(9月度総幹部会)と、「ギリギリ」の形容詞が追加された。
 さて 言葉の限界への挑戦、次はどのような「最終段階」が、お目見えするだろうか?
 
 平成26年の年頭の辞では、「今後、中国の侵略は尖閣奪取に始まり、いよいよ日本本土を襲うであろう」と 相変わらず会員に危機感を植え付け、マインドコントロールし続けている。
 しかし、ソ連崩壊も予測できなかった浅井会長の予見は、自説に都合のよい一面だけを見て作り上げた、幻想でしかない。

 共産中国の政治・経済体制が、今や大きな矛盾に直面していることはマスコミでも報道され、「旧ソ連の崩壊プロセスに酷似している」とする分析もある。
 (1)経済成長の鈍化と海外へのカネの逃避、(2)不動産バブルの瓦解、(3)影の銀行(シャドーバンキング)問題の爆発、(4)地方政府の債務不履行、(5)民族問題とテロの多発、(6)党幹部・官僚の腐敗、おまけに (7)PM2.5などによる大気汚染 … 等々、どれも経済崩壊・共産党崩壊に結びつく深刻な問題である。

 こうした指摘は、浅井会長には都合が悪いらしく、言及することがない。中国がますます強大になり、尖閣を奪取し日本本土を襲ってくれないと、困るのである。
 仏教では、一方の考えにとらわれ 視野が狭くなって偏ることを「偏執見」と言うが、浅井会長の国際政治談義はまさにその典型である。
 
 元顕正会員のブログでは、浅井会長が今年の成人式に不参加だったこと、昨年8月下旬以降 日曜勤行に出仕していなかったことが、話題になっている。ギリギリの最終段階なのは、浅井会長自身であることは間違いないだろう。
 顕正会員諸氏、もう薄々は気付いているだろうが、無駄に頑張ってはいけない。人を巻き込むのはよそう、これ以上 犠牲者を増やすのはよそう。力を抜いて、浅井先生の最終段階を静かに、見守ってさし上げよう。
 あなた自身の顕正会ライフも、もう最終段階に至っているのだから。


 昨今、「ブラック企業」という言葉がよく、聞かれるようになった。以下の要件が当てはまれば、ブラック企業と呼ばれるという。
 
 ・ 企業および経営者の負うべき責任を明確にしていない
 ・ 末端の従業員(平社員、アルバイト、パート)の待遇を軽視している
 ・ 消費者や地域への貢献度が低い。(商品・サービスの質に劣る)
 
 さて、今の顕正会はブラック企業とよく似た組織風土の教団だと、わたしには思い当たる。具体的に、顕正会にも当てはまるブラック企業の特徴(ウィキペディアより抜粋)を、見てみよう。
 

 経営者・上層部の問題

 
 1)独裁的経営。恐怖政治的経営、ワンマン経営、同族(親族)経営、成り行き任せの経営、法制度に対する軽視、等が蔓延している。
 2)経営者の神格化。個人崇拝を強制し、経営者の個人歴や言語録の暗記、経営者の著書の購入、感想文の執筆などが業務の一環として義務付けられ、経営者への信仰心が仕事の評価に繋がる仕組みになっている。
 3)長時間労働。サービス残業、経費の自己負担などが宗教的価値観に基づき美化され、従業員がそれらを自主的に行わざるを得ないような雰囲気作りがなされる。
 4)末端従業員の犠牲と消耗。従業員の過剰な負担による、使い捨てを前提としたビジネスモデルが構築されている。
 5)経営者の言動が法律よりも優先され、違法行為が公然とまかり通っている。
 

 組織の欠陥

 
 6)合理的に仕事を行う組織やルールを作らない。存在していても文章があるだけで、職務分掌がまともに機能していない。
 7)異常なポジティブ思考の強制など、上意下達と絶対服従が徹底化された組織。下層の従業員は会議にも参加できず、業務上の問題点の指摘もできない。
 8)自分の成績や自己保身のため、部下や周囲を次々と食い潰すクラッシャー上司や従業員を放置し、職場の問題として認識・対処するシステムがない。
 9)従業員の人格や人権を軽視。会社や経営者に対する絶対服従など従業員への洗脳を施し、会社のために命を投げ打つことも厭わなくさせる。
 10)責任を負うべき指示は、口頭で済ませる。記録が残らないので、指示者がミスをしても証拠がない。
 11)正当な業績評価や職務評価が行われない。軽微なミスでも多数の面前で罵倒し始末書を書かせたり、監禁や解雇に近い自主退職に追い込む。
 12)従業員への過重な負担。強烈なプレッシャーとストレスが掛かり続ける結果、組織末端の従業員や下級管理職が鬱病やPTSDなどを発症して次々と倒れる。最悪の場合、自殺者が発生する。
 13)仕事とプライベートの区別がない。業務に私情を持ち込み、私情に業務を紐付ける。親睦を深めることを口実にしたプライバシーへの干渉、業務の効率化を目的とした生活指導など。
 14)24時間 365日体制の、公私混同ネットワークを形成する。
 15)経営陣が従業員の言動を徹底的に監視。社内の盗撮や電話の盗聴、監視カメラ、密告の奨励、交友関係の監視やネットのアクセス履歴の盗み見、SNSでの発言の監視やプライベート活動の監視など。目的は従業員同士の団結をさせないこと、プライベートでの活動や人間関係を盾にした制裁や脅迫。
 

 待遇の問題

 
 16)激務で長時間労働・過重な責任。常に収益の向上を名目とし、人件費削減を過剰に追求するため、仕事量と内容に対して人数が絶対的に不足し、作業量が過重な上に増員や分業もできない。
 17)残業が当たり前。定時に終わらせることなど、到底無理な仕事量を押し付ける。「定時までに仕事をこなせなかったお前が悪い」などと叱責し、サービス残業を強制する。
 18)過労や労働災害に対し、自己責任論を持ち出す。従業員に非現実的な身体能力(絶対に疲れない、眠くならない、人体に有害な環境でも平気、泥酔しても安全運転 等)を求め、全ては従業員の能力不足に起因するというスタンスを貫く。
 19)成果主義や年俸制を導入するが、真の目的は人件費削減。裁量労働制やフレックスタイム制を悪用して、社員の拘束時間を無制限に延ばし、残業代を出さないために導入する。
 20)薄給の上に経費が自腹。諸経費を自己負担させる。
 21)ノルマ未達成の苛烈なペナルティ。ノルマが達成できない場合、所得税などを控除した手取り額を時給に換算した場合の額が、最低賃金以下になる。「罰金」などの名目で控除したり、給与を自主返納させたり、「自爆」行為を強制させ、手取りがマイナスになる場合もある。
 22)心身の健康を害するほどの身体的・精神的ストレス。終電過ぎまでの勤務や何日も会社に泊り込んでの仕事など、体調を崩したり、鬱病などの精神疾患を発症する。さらに過剰なストレスによるPTSDの発症、発作的な自死や過労死など生命を失う事態もある。
 23)スキルアップとキャリアアップは皆無。従業員は数年で退職に追い込まれるが、仮に何年も勤続したところで業務スキルや専門的なノウハウがほとんど身に付かず、キャリアアップのシステムや支援は実質的にない。
 

 退職の問題

 
 24)常識的な円満退職は期待できない。従業員側からは簡単に辞められない。「どこに行っても通用しない」などと脅迫したり、退職日を勝手に先延ばしする。一方で、会社側からは自由に解雇させられる。
 25)退職届を受理せず懲戒解雇にしたり、さらには退職後に会社から損害賠償を請求してくる。

 
 さて、こうして見るとブラック企業といえども給料が出るだけまだ顕正会よりまし、ではないだろうか。  
 顕正会幹部諸氏よ。
 あなた方も、淺井会長の精神的奴隷となってしまった悲惨な被害者だが、同時に被害を社会に拡大している加害者でもあるのだ。



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