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 日蓮大聖人への忠誠こそ不変の大精神

    大罰顕われる今こそ御遺命成就の時

    いよいよ二百万めざし師子王の前進を

 

 一六〇万法城厳然屹立 

 
 この七月、濁悪を極める日本国の中に、日蓮大聖人に忠誠を貫く一六〇万の仏弟子の大集団が、ついに出現いたしました。
 七月は歴史的な猛暑、記録的な豪雨が続きましたが、その中にこの大法弘通が行われたのです。地涌の菩薩でなくして、どうしてこの死身弘法をなし得ましょうか。
 かくて六・七月法戦は誓願一万五千を大きく上回わる、一万七千八六四名という過去最高の大折伏が成し遂げられたのであります。
 そして不思議にも、念願の一六〇万は、自然と大事な七月十六日に達成されたのです。
 この日はちょうど定期報告日に当っておりました。そして男子・女子・婦人部の三者報告の累計が、ついに一六〇万八〇六名となった。かくて最終日には、一六〇万を三千余も超える大折伏となったのであります。
 
 広宣流布は必ず成る
 
 六・七月法戦に現われたこの強き一念心、爆発的な弘通の力こそ、今後の顕正会の前進の姿、広宣流布は必ず成るの兆であると、私は思っております。
 この一六〇万はやがて二百万になり、五百万になり、一千万となる。そしてこの死身弘法の中に、大聖人様の絶大威徳により「日本国一時に信ずる事あるべし」の日が到来するのであります。
 「春を留めんと思へども夏となる」と。広宣流布はもう歴史的必然であります。大聖人様があそばす広宣流布を、誰人が止めることができようか。
 さあ、広布の基盤たる一六〇万は成った。いよいよ油断なく、次なる節の二百万をめざして猛進し、大聖人様に応え奉りたい、こう私は決意しておりますが、みなさん、どうでしょうか。(大拍手)
 

 顕正会を貫く一貫不変の大精神

 
 さて、迎える八月は、顕正会の「原点の月」であります。
 顕正会は昭和三十二年八月、「妙信講」の名称を以て、ただ広宣流布・国立戒壇建立だけを見つめ、わずか三八〇名で発足いたしました。
 最初の三千の弘通を成し遂げるのに、七年もかかったんですね。今ならば一回の法戦で一万七千余もできる。まさに大地を這うような前進だったのです。
 そして発足より十三年後、国立戒壇の御遺命が抹殺されんとするを見て、敢然と御遺命守護に立ち上がり、覚悟のごとく解散処分を受けた。信徒団体にとって、宗門・学会一体になっての解散処分は死罪に等しい。潰滅して当然です。
 しかし大聖人様の御守護によって潰れもせず、今日ついに一六〇万の仏弟子の大集団となり、日本国でただ一つ、国立戒壇建立を高々と掲げる諌暁団体となったのであります。
 
 「大聖人ここにましませば・・・」
 
 昭和三十二年の発足より、すでに五十六年――。しかし、顕正会を貫く大精神は一貫不変、少しも変わらない。その大精神とは、大聖人様への忠誠心以外にはない。
 昭和三十二年に、苦難を覚悟のうえで前進を開始したのも その十三年後、身を捨てて御遺命守護に立ち上がったのも そして今、御遺命成就を見つめて最後の御奉公に立っているのも、すべては大聖人様への忠誠心より発しているのであります。
 発足以来、私はいつも「もし大聖人ここにましませば、何を命じ給うか」と。この御命令を信心の耳で聞き奉り、御奉公を貫いて来た。これが顕正会の行動原理です。ゆえに聊かもブレず、一貫不変なのであります。
 今、顕正会の歴史を振り返るとき、その御奉公は大きく分けて三段階になっております。
 その第一は「試練と忍従」の時代。
 第二は「御遺命守護」の時代。
 そして第三が、いま戦いつつある「御遺命成就」の時代であります。
 

 試練と忍従の時代

 
 第一の試練と忍従の時代とは、一言でいえば、学会による宗門統制の抑圧を耐え忍んだ時代でした。
 顕正会の発足は、池田大作が創価学会会長に就任する三年前でした。池田大作は会長に就任するや忽ちに政治野心を露わにし、四年後の昭和三十九年には公明党を結成し、衆議院進出を決定した。同時にこのとき「正本堂」という建物を、総本山に寄進する旨を始めて発表したのです。
 この正本堂がいかなる建物であるかは、この時点ではまだ池田大作は明らかにしなかった。だが彼の胸中にはすでに、この正本堂を「御遺命の戒壇」と偽る策謀があったのです。
 
 「法主」利用の宗門統制
 
 しかしこの大誑惑をなすには、宗門内部からの反論を抑えなければならない。そこで彼は、まず時の貫首・細井日達を龍絡して、「法主」の権威で宗門の全僧侶・全信徒を学会に従わせようとしたのです。
 時の貫首は諂いの人であった。学会の要請を承けた細井日達は昭和三十八年七月、「創価学会を誹謗する者は罪を無間に開く」旨の訓諭を発表した。「学会に背いたら無間地獄に堕つるぞ」と恫喝した、とんでもない訓諭です。
 しかし全僧侶は学会による収入さえ増えればいいのだから、みな随った。法華講員は何のことか分らないまま、従った。
 さらに翌昭和三十九年四月、細井日達は池田大作を法華講総講頭に任命し、日蓮正宗全信徒を統率する権限を与えた。池田は「法華講連合会」という組織を通して、法華講全信徒を統制しようとした。
 かくて、虎の威を借りた法華講連合会委員長・平沢益吉が、さまざまな無理難題をふっかけて来ては、妙信講を潰さんとしたのです。
 使命を果すまでは、妙信講の命脈を何としても保たなければならない。ここに「試練と忍従」の十二年があったのであります。
 

 御遺命守護の時代

 
 ついで御遺命守護の時代に入る。
 やがて池田大作は、「国立戒壇というのは御書にない」などと言い出して「国立戒壇」を否定し、正本堂を御遺命の戒壇とするたばかりを露わにして来た。
 この御遺命破壊を見ながら、もし黙止すれば、大聖人様に対し奉る最大の不忠になる。
 ここに私は、身を捨てて御遺命守護の御奉公に立ち上がった。これが昭和四十五年三月でした。これ以後が御遺命守護の時代であります。
 当時の学会は会員約八百万、さらに公明党という政治権力も持ち、そのうえ誰人も背けぬ「法主」を自在に操っていた。
 その権力に驕るさまは、戦時中の軍部のごとくであった。この学会を諌め糺すということは、小舟が戦艦に立ち向かうにも似ていた。
 だが「仏法と申すは道理なり、道理と申すは主に勝つ物なり」と。
 大聖人様の御金言、歴代先師の仰せを本とした正論には、いかなる者も敵しがたい。 
 
 学会は二度訂正 貫首も訓諭を訂正
 
 連々たる激しい諌暁を続けるうちに、ついに学会は追い詰められ、二度も文書を以て正本堂の誤りを訂正した。
 一方、細井日達は正本堂の落成数ヶ月前の昭和四十七年四月、「正本堂が御遺命の戒壇に当る」旨の訓諭を発布したが、これも顕正会の強き諌暁によりその誤りを認め、訂正文を細井日達が直接、私に手渡した。
 しかし彼らの訂正は本心からの改悔ではなかった。追い詰められ、逃げ場を失っての一時のがれであった。ゆえに御遺命違背の大罪が広く露見すると見るや、ついに顕正会を解散処分に処し、抹殺を謀ったのであります。
 これほどの卑劣、これほどの無慚、無愧はない。
 そしてこの五年後、細井日達は貫首としての最も大事な責務たる「御相承」もなし得ずに、急死を遂げてしまった。
 これこそ罰です。大聖人様が許し給わなかったのであります。
 
 阿部日顕の登座
 
 次に猊座に登ったのが阿部日顕です。この人物は細井日達よりさらにへつらいの人であった。
 その登座も、池田と心を合わせて「相承は私が受けている」と偽って居座ったものです。
 彼は宗務院・教学部長時代すでに、「国立戒壇論の誤りについて」と「本門事の戒壇の本義」という二冊の悪書を著わし、御遺命破壊に協力していた。
 
 「本門寺改称」の陰謀
 
 そして登座後においては、池田大作の意のままに「本門寺改称」の陰謀、すなわち大石寺の名称を「本門寺」と改称して、正本堂があたかも百六箇抄の「富士山本門寺本堂」即御遺命の戒壇であるかのごとく思わせる陰謀を、池田大作と二人三脚で実現しようとした。
 だがこの大それた陰謀も、顕正会の強き諌暁によって頓挫してしまった。
 そしてこれより、池田大作と阿部日顕の間に疑心暗鬼が生じた。池田は、阿部が顕正会の諌暁により自分を裏切るのではないかと疑ったのです。
 かくて池田大作は見せしめに、学会員の登山を中止させる等の経済封鎖を強行して、宗門を完全に屈従させようとした。
 ところがこの経済封鎖が、阿部日顕を激怒させた。
 ここに「修羅と悪竜の合戦」そのままの、醜い抗争が勃発したのです。平成二年十二月のことでした。
 学会は、阿部日顕を「相承も受けてない偽法主」と機関紙で罵り続け、挙げ句の果てには、阿部日顕を法廷に引きずり出し、そのスキャンダルを暴き立てた。
 
 正本堂ついに崩壊
 
 怒り心頭に発した阿部日顕は、池田大作が最も誇りとしていた正本堂を、ついに打ち砕いてしまった。
 まさに凡慮を絶することが起きたのであります。
 いいですか。学会と宗門の団結は一枚岩のごとくだった。それが醜く激しい抗争に陥るとは、誰が想像できたか。
 また学会・宗門はこぞって、正本堂を「御遺命の戒壇よ」「末法万年の事の戒壇よ」と讃嘆していたではないか。それが轟音とともに打ち砕かれ、地上から消え失せるとは、誰人が予想し得たか。
 これほどの不思議はない。
 これこそ、大聖人様の厳たる御仏意なのであります。
 大聖人様は御遺命破壊の大悪を断じて許し給わず。よって顕正会をして諌暁せしめ、諸天をして宗門・学会を分裂せしめ、偽戒壇・正本堂を打ち砕かせ給うたのであります。
 かくて国立戒壇を否定するための小道具だった偽戒壇は消滅した。
 だが、宗門も学会も「国立戒壇」だけは、今なお頑なに否定し続けている。何という無道心、そして恥しらずか。
 「仏法は体、世間は影」であれば、正系門家のこの濁乱は必ず亡国を招く。
 
 七百年前の大逆罪と御遺命違背の大罪
 
 いいですか。
 日本国は七百年前、あろうことか一国こぞって、大慈大悲の日蓮大聖人の御頸を刎ね奉らんとした。血の凍るような大逆罪を犯したのです。
 凡夫には七百年前のことは遠い昔で忘れているが、諸天は決して忘れない。諸天にとっては七百年前など昨日のことです。凡夫とは認識のスケールが違うのです。
 ゆえに大聖人様は竜の口へ向う途中、八幡社頭において諸天の怠慢をお責めになっておられるのです。
 「今日蓮は日本第一の法華経の行者である。無量の諸天善神は、二千余年前の法華経の会座において、釈尊に対し『末法の法華経の行者を必ずお守りいたします』と誓状を立てて誓ったではないか。しかるになぜ今、その誓いを果さないのか」(取意)と強々と叱り給うておられる。
 二千余年前の誓いを果さぬ諸天を責められているのです。この責めに応じて、諸天によるあの「月のごとく光りたる物」の不思議があったのです。
 この諸天が、七百年前の日本一同の大逆罪をどうして忘れようか。ジーっと見ているに違いない。そして日本がいつまでも御本仏に背き続ければ、必ずこの国を罰するのです。
 ところがその上さらに、正系門家まで大聖人様に背き、国立戒壇建立の御遺命を抛ってしまったではないか。
 どうして諸天、怒りをなさぬ道理があろうか。
 

 御遺命成就の時代

 
 ここに一昨年の三月十一日、日本国を揺り動かす空前の巨大地震が発生し、これより日本列島は大地動乱の時代に突入した。この未曽有の大地動乱こそ、亡国の凶兆であり、同時に広宣流布の大瑞であります。 ゆえに私は3・11以降を、まさしく「御遺命成就の時代」そして「大罰の時代」と言っているのであります。
 
 広宜流布は大罰の時に実現
 
 さて、御在世の逆縁広布の時も大罰があったように、順縁広布の時も必ず大罰がある。罰によって人々は、始めて日蓮大聖人を心の底から信じ、南無妙法蓮華経と唱え奉るようになるのです。
 その文証を拝せば、撰時抄には「其の時、天変地夭盛んなるべし。乃至、前代未聞の大闘諍・一閻浮提に起こるべし。其の時、日月所照の四天下の一切衆生、或いは国ををしみ、或いは身ををしむゆえに、一切の仏・菩薩にいのりをかくともしるしなくば、彼のにくみつる一の小僧を信じて、無量の大僧等・八万の大王等・一切の万民、皆頭を地につけ掌を合せて、一同に南無妙法蓮華経ととなうべし」と。
 ―― 広宣流布の時には、まず天変地夭が起こり、次いで前代未聞の大闘諍が起こる。そのとき、一切衆生は国が亡び我が身に危険が迫るの恐ろしさから、あらゆる仏・菩薩に祈りをかけるが、それも虚しいと知ったとき、今まで軽んじ憎んでいた「一の小僧」すなわち日蓮大聖人を信じて、みな頭を地につけ掌を合わせて、一同に南無妙法蓮華経と唱うるのである ―― と仰せられる。
 同じく撰時抄の下文には「いまにしもみよ。大蒙古国、数万艘の兵船をうかべて日本国をせめば、上一人より下万民にいたるまで、一切の仏寺・一切の神寺をばなげすてて、各々声をつるべて『南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経』と唱え、掌を合せて『たすけ給え、日蓮の御房・日蓮の御房』とさけび候はんずるにや」と。
 さらに妙密上人御消息には「日本国の人々は、法華経は尊とけれども日蓮房が悪ければ南無妙法蓮華経とは唱へまじとことはり給うとも、今一度も二度も大蒙古国より押し寄せて、壱岐・対馬の様に男をば打ち死し女をば押し取り、京・鎌倉に打ち入りて国主並びに大臣・百官等を搦め取り、牛馬の前にけたて強く責めん時は、争か南無妙法蓮華経と唱へざるべき」と。
 以上の御金言は、御在世の逆縁広布と未来の順縁広布、また日本の広宣流布と世界の広布を、一つの御文でお示し下された甚深の御指南であります。
 なぜ一つの御文でお示し下されているのかといえば、広宣流布の原理は共通、すなわち、いずれも仏法に背く大罰起こるの時、始めて実現するゆえであります。
 そして今、いよいよ日本に広布前夜の大罰が起きてきた。
 ゆえに私は、「時を待つべきのみ」と仰せられた順縁広布の「時」は、まさしく今であると、言い切っているのであります。
 

 広宣流布前夜の大罰を見よ

 
 見てごらんなさい、日本の現状を――。
 
 国家破産
 
 安倍政権の経済政策、いわゆるアベノミクスなるものは、かえって国家破産を早めつつあるではないか。すでに日本には返済不能といわれる一千兆円の大借金がある。本来ならば、この大借金を何としても返済すべく、政府は真剣な対策を立てるべきである。しかるに安倍晋三はさらに国債を濫発して見せかけの景気浮揚を図っている。これ選挙対策であり国民を騙すものである。
 こんな無謀なことが持続するわけがない。やがて国債は暴落して国家破産が事実となる。そしてハイパーインフレによって国民は塗炭の苦しみを味わうのであります。
 
 原発災害
 
 また安倍晋三は原発再稼働を推進しているが、福島事故さえまだ収束していないではないか。
 故郷に帰れずに避難生活をしている人は十六万人もいる。汚染水は毎日、四〇〇トンも増加しつつある。海へ流出していることをつい数日前、東電はやっと認めた。知っていながら黙っていたのです。そして廃炉には四〇年もかかるという。
 もし巨大地震が連発したら、福島だけでなく、日本列島に林立する多くの原発が一斉に放射能を吐き出すではないか。
 原発へのサイバー攻撃はもっと危険性が高い。
 二・三年前、イスラエルがイランのウラン濃縮施設へのサイバー攻撃に成功し、操業中止に追い込んだ事件があった。
 この事実を見て私は、もし日本の原発がサイバーテロに襲われたら怖いと思った。今や中国も北朝鮮も、日本の最大の弱点は五十四基の原発だということを知っている。そしてボタンを押せば、これが破壊できるのです。
 きのうの日本経済新聞夕刊の一面トップに、日米両政府がサイバー攻撃に対する防衛強化の検討を始めたとの記事が出ていたが、その中で「原発の中央制御室が攻撃されれば、原子炉の安全運転に支障が生ずる」との指摘があった。
 原発の中央制御室のコンピューターシステムが狂ったら、原子炉が発熱して多数の原発が一斉に放射能を吐き出す「魔物」と化すのです。
 このとき、日本列島全体が居住不能になってしまう。
 だから一刻も早く、五十四基の核燃料を取り出して安全を図るべきなのに、安倍政権は逆に原発推進を掲げている。国家・国民のことを全く考えていない。まさに狂気の沙汰であります。
 
 巨大地震の連発
 
 さらに大地動乱は3・11だけでは終わらない。首都圏直下と南海トラフの二つの巨大地震は、いま刻々と近づきつつある。
 首都圏直下地震が起これば、日本の政治・経済の中枢が麻痺し、三千万人が甚大な被害を受ける。また南海トラフ地震が発生すれば、日本列島の西半分が潰滅的となる。
 まさにこの二つの巨大地震だけでも、日本は潰滅状態になってしまうのです。
 
 他国侵逼
 
 そして息も絶え絶えとなったこの日本に、最も恐ろしい他国侵逼が襲来する。圧倒的な軍事力を持つ中国の侵略に、どうして日本が生存を保持することができようか。
 このとき立正安国論の「国を失い家を滅せば、何れの所にか世を遁れん」との重大な御警告が事実となるのであります。
 この亡国は「仏法より事起こる」ものであれば、日本一同が日蓮大聖人に心の底から帰依し奉り、「国立戒壇」を建立する以外に、日本が助かる道は断じてない。
 この日蓮大聖人の大慈大悲と絶大威徳を日本一同に知らしむるのが、一六〇万顕正会の責務であり、使命であります。
 
 「立正安国」特集号
 
 今回、発刊された「立正安国」特集号もその一環であります。
 この特集号、国会議員を始めとして日本を代表する三万人に即日、発送いたしました。
 信じようと信じまいと、もう知らせなければいけない、教えなければいけない。言わないのはこちらの罪、信じないのは相手の失、との思いで発送しました。
 たとえ反感を持とうとも、冒頭の三本の柱と、立正安国論のあの重き御真蹟を目にすれば、必ず下種となる。
 柱の第一には「日蓮大聖人の大願は立正安国」と示した。
 信じようと信じまいと、日蓮大聖人の御名をまず教えなければいけない。それが下種になるのです。
 二本目には「亡国の巨大地震・国家破産・原発災害・他国侵逼は迫る」と示した。
 これから全日本人が、我が身で味わう大罰を前もって示したのです。この大罰が相次いで起きたとき、必ずみなわかって来る。
 そして第三は「国立戒壇を建立すれば日本は安泰に」と。
 これ「教われる道はこれ以外にはない、早く戒壇建立を熱願する六千万の一人となれ」との思いを込めたものであります。
 そして立正安国論の重大なる御真蹟――。御本仏の雄渾にして流麗の御筆には、一切衆生を何としても救い切らんとの大慈大悲が込められている。眼に触れれば命で感ずることもあるべしとの思いで、掲載させて頂いた。
 どうかこの特集号を、折伏に、指導に、広く活用して広宣流布を力強く進めてほしい。
 
 広宣流布は歴史の必然
 
 「春を留めんと思へども夏となる」と。
 もう誰人も広宣流布を止めることはできない。広宣流布は歴史の必然であります。
 どうです。末法濁悪とはいえ、近ごろの残虐な犯罪の頻発は一体どうしたことか。人の心が全く荒んできましたね。
 最近のことだけを見ても、十六歳の少女が、同じく十六歳の少女グループ七人によって嬲り殺しにされ、山中に埋められた。被害者・加害者ともに「接客業」グループで、接客業の実態は売春、そのカネの分け前をめぐる争いだったという。何という荒廃ぶりか。
 二・三日前には十七歳の少年が親を刺し殺している。
 きょうの夕方のニュースによれば、昨年の児童虐待数は六万六千余で、前年より六千余も増えたという。
 どうして親を殺せるのか。どうして我が子を虐待できるのか。どうしたら十六歳の少女たちが同じ仲間を惨殺できるのか。政治家・教育者はこれをどう見ている。
 まさに人の心が荒み切っているのです。
 立正安国論には「一切の人衆皆善心無く」と仰せられておりますが、そのとおりの姿が、いま日本に現出して来たのです。
 また国家・世界を見れば、資本主義も、共産主義も、民主主義も、ことごとく行き詰まっている。
 資本主義を見ても、今や市場至上主義となり、「新自由主義」の名のもとに弱肉強食が始まり、格差・貧富の差が激しくなった。これが各国の騒乱のもとになっている。やがて世界は大動乱に向かうのです。
 いいですか。
 末法の荒凡夫を仏にして下さるのは、この御本尊以外にはない。
 国家・世界を安泰ならしむる大法は、この三大秘法以外にはない。
 人々は心の中では、みな御本尊を待っているのです。
 
 二百万みつめ出陣
 
 さあ、広布前夜に召し出だされた一六〇万の顕正会こそ、全日本人が大聖人様を恋慕渇仰して南無妙法蓮華経と唱え奉るその日まで、師子王のごとく戦って大聖人様に応え泰りたい。
 いよいよ二百万をみつめ、出陣しようではありませんか。以上。(大拍手)
 
 
 
 

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