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 創価学会「極限の大謗法」さらに徹底

  戒壇の大御本尊否定の勤行要典、会則変更

  顕正会はいよいよ御在世の信心に立ち還る  

              顕正新聞 平成28年1月5日(1363)号
 
 きょうの総幹部会も素晴らしいですね。大感動いたしました。
 
   二百万は大地を的とする  
 
 さて、国難二年もあっという間に過ぎ去り、本日が最後の総幹部会であります。この一年の前進、まことに見事でした。みなさんの、いささかも弛まぬけなげな御奉公、私はただただ有難く思っております。
 先月の総幹部会でも申しましたが、本年の十一月末で、顕正会の死身弘法は一七七万を突破しました。二〇一九年までの二百万はもう絶対、大地を的とするところであります。
 この濁悪の日本国において、日蓮大聖人に忠誠を貫く二百万の仏弟子の大集団が出現したということは、まさにこれ、大聖人様のお召し出だしであると、私は深く拝しております。
 
   極限の大謗法をさらに徹底  
 
 一方、仏法の濁乱を見れば――
 学会は昨年十一月、あろうことか戒壇の大御本尊を捨てるという極限の大謗法を犯した。そして本年、いささかの改悔もなく、さらにその大謗法の徹底をいま謀っております。
 
   勤行要典と会則変更  
 
 どういうことかと云えば 本年の十一月十八日、学会は「創立記念日」に当るとのことで、この日を期して、新たに「勤行要典」を制定し、同時に会則を大幅に変更した。
 この会則変更は、昨年十一月七日に教義条項を 「弘安二年の御本尊を今後、受持の対象にはしない」と改変したが、この極限の大謗法に基づいて、他の条項にも変更を付け加えたというものです。
 つまり、十一月十八日を期して、新しい経本を作り、会則を変更し、昨年の大謗法をさらに徹底したということであります。
 

   「勤行要典」の観念文は大謗法  

 
  まず新しい経本の観念文を見ると、最初に「御本尊への報恩感謝」との項目があり、次のような文言が記されている。 「法華経の肝心・南無妙法蓮華経の御本尊に南無し、報恩感謝申し上げます」と。
 まさにこれこそ、本門戒壇の大御本尊を、完全に捨てさせる観念文であります。
 これまでの経緯を見てごらんなさい。
 池田大作は阿部日顕と抗争して破門された直後の平成四年、経本の観念文から 「本門戒壇の大御本尊」の九文字を抜き取って 「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」と改変した。しかし一般会員は 「一閻浮提総与」という文言があるから、これは戒壇の大御本尊を指しているものと思い込んでいた。
 ところが今回の観念文では、その「一閻浮提総与」も削除し、ただ 「法華経の肝心・南無妙法蓮華経の御本尊」としたのです。これではいかなる御本尊か全くわからない。
 この観念文こそ、まさに戒壇の大御本尊を、八百万学会員に完全に捨てさせたものであります。
 
   「文底秘沈」を隠す  
 
 いいですか。
 「法華経の肝心」と池田大作一党は言っているが、「法華経の肝心」だけでは権実相対ではないか。「本門寿量品」と言って、始めて本迹相対となる。
 さらに「寿量品の肝心・文底秘沈の大法」と申し上げて、始めて種脱相対が明らかになるのです。そしてその「文底秘沈の大法」こそ、まさに「本門戒壇の大御本尊」であられる。
 ゆえに日寛上人は撰時抄の文段に 「問う、文底深秘の大法その体如何。答う、即ち是れ天台未弘の大法・三大秘法の随一・本門戒壇の御本尊の御事なり」と仰せられている。
 いま池田大作一党は、昨年十一月に会長原田稔が宣言した「弘安二年の御本尊は受持の対象にはしない」との極限の大謗法をさらに徹底するために、このような新しい経本を作ったのです。戒壇の大御本尊に敵対するこの観念文で、どうして成仏が叶いましょうか。
 

   日目上人以下 歴代上人を削除  

 
 さらに学会の観念文では、第三祖日目上人以下歴代先師上人への御報恩講徳の文が削除され、替わって「三代会長への報恩感謝」なる一文が入っている。
 云く 「創価学会初代会長牧口常三郎先生、第二代会長戸田城聖先生、第三代会長池田大作先生を広宣流布の永遠の師匠と仰ぎ、その死身弘法の御徳に報恩感謝申し上げます」となっている。
 
   なぜ日目上人を削除したのか  
 
 なぜ日目上人以下歴代上人を削除したのかと言えば戒壇の大御本尊を否定する創価学会にとっては、何よりも日目上人への御付嘱状の 「日興が身に宛て給わる所の弘安二年の大御本尊、日目に之を授与す」との一条が邪魔になるのです。
 
   日寛上人の御指南も邪魔になる  
 
 また歴代上人の中でもことに日寛上人は、戒壇の大御本尊の唯一絶対を、徹底して懇切に御指南下された御方であられる。
 観心本尊抄文段を拝見しただけでも、次のごとくです。「就中、弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり
 あるいは 「宗旨建立已後第二十七年に当たって、己心中の一大事、本門戒壇の本尊を顕わしたまえり
 あるいは 「本門戒壇の本尊は、応に是れ総体の本尊なるべし。是れ則ち一閻浮提の一切衆生の本尊なるが故なり。自余の本尊は応に是れ別体の本尊なるべし。是れ則ち面々各々の本尊なるが故なり」と。

 さらに六巻抄の依義判文抄では、三大秘法の開合の相を明示されて
 「実には是れ一大秘法なり。一大秘法とは即ち本門の本尊なり。此の本尊所住の処を名づけて本門の戒壇と為し、此の本尊を信じて妙法を唱うるを名づけて本門の題目と為すなり。故に分ちて三大秘法と為すなり。又本尊に人有り法有り、戒壇に義有り事有り、題目に信有り行有り、故に開して六義と成る。此の六義散じて八万法蔵と成る。
 当に知るべし、本尊は万法の総体なり。故に之を合する則は八万法蔵但六義と成り、亦此の六義を合すれば則ち但三大秘法と成り、亦三大秘法を合すれば則ち但一大秘法の本門の本尊と成るなり。故に本門戒壇の本尊を亦三大秘法総在の本尊と名づくるなり」と。
 このように日寛上人は、御書の文段・六巻抄のいたる所において、本門戒壇の大御本尊こそ、日本乃至一閻浮提の一切衆生が帰依すべき成仏の法体、唯一絶対の大御本尊であられることを、徹底して御指南下されている。
 これは池田大作一党にとっては大いに邪魔になる。
 
   日寛上人を軽侮  
 
 だから彼らは日寛上人の御指南を、「日寛教学」などと言って軽侮し、学会教学部の「教義条項改正に関する解説」でも「日寛教学の一大秘法、六大秘法という用語は、今後用いない」(聖教新聞・平成27年1月30日付)などと言い、あるいは日寛上人が本門戒壇の大御本尊を唯一絶対とされていることを批判して「要法寺の法主が続き、疲弊した宗派を護るという要請に応えて、唯一正統性を強調する時代的な制約」があったと言っている。
 前会長の秋谷栄之助(最高指導会議議長)も、教義変更の際の小委員会において「弘安二年の御本尊については、南無妙法蓮華経の法体を文字曼荼羅に図顕された御本尊であるが、唯一絶対の御本尊と大聖人が定められた証拠はない。日寛上人が『究意中の究竟』等(と言われたのも)、宗派の確立のために確定されたとも推定される」「弘安二年の御本尊も何の徳用も働かない。……他宗の身延派や、中山系、京都系が保持している真筆の御本尊と同じ事になる」(「大御本尊問題の経過について」(2013・9・28)と大謗法の悪言を吐いている。
 何という無道心、恥知らずなバカどもかと、私は思う。
 
   「吾が祖の本懐掌に在るのみ」  
 
 日寛上人は文底秘沈抄の冒頭において、こう仰せられている。「於戯天晴れぬれば地明らかなり、吾が祖の本懐掌に在るのみ」と。
 なんと凄い御言葉であろうか。大聖人様の甚深の御境界、その奥底・淵底を究められた日寛上人にして、始めて言い得る御言葉であられる。
 しかし智恵浅き凡夫には、日寛上人の六巻抄・御書文段等が、大聖人様の御意に叶う唯一の御講説とはわからない。
 
   御臨終の証拠を拝せよ  
 
 そこで日寛上人は、羅什三蔵の「舌焼けず」の故事にならって、御自身の臨終の姿を以てこれを信ずべきことを、前もって予言された。果してその御臨終のお姿は、御予言に寸分も違わなかった。この崇高な御遷化を拝して、門下一同いよいよ信を深めたという。
 日寛上人のこの御振舞は、後世のためにあそばされたものです。よって私は、この一事を以て日寛上人を絶対と信ずる。日寛上人の御指南を通して大聖人様の御書の甚深の極理を拝し、いよいよ広宣流布の時に御奉公申し上げねばならぬと。これが私の思いであります。
 池田大作一党がいま、下卑た凡夫の浅智恵を以て、「日寛教学」などと蔑むのは、まさにバカだからできるのです。これを「盲(めくら)蛇に怖じず」という。
 自分か愚かだから、日寛上人の精緻をきわめた御法門がわからない。信心がないから日寛上人の大聖人様に対し奉る大信心・大忠誠がわからないのであります。
 
   池田大作が 「永遠の師匠」に  
 
 さて、池田大作一党はこのように、日目上人および日寛上人が邪魔になるから、日目上人以下歴代上人をすべて削除したのです。
 そのうえで、学会の「三代会長」の報恩謝徳を持って来て、「永遠の師匠と仰ぎ、その死身弘法の御徳に報恩感謝申し上げます」とした。
 しかし「三代会長」をここに挙げても、初代・二代の牧口・戸田両会長はすでに死去している。この条目はまさに、第三代の池田大作を「永遠の師匠と仰げ」ということなのです。
 天魔その身に入る悪師を永遠の師匠と仰げば、学会員は永遠に地獄に堕ちざるを得ないのであります。
 

   会規変更で大謗法を徹底  

 
 さらに今回改訂の会則では、その「前文」に次のような趣旨が、回わりくどく長々と書かれている。その要点は次の三つです。
 
   「世界広布」のたばかり  
 
 その第一は「創価学会は、大聖人の御遺命である世界広宣流布を唯一実現しゆく正統な教団である」と。これもたばかりですね。
 いいですか。「大聖人の御遺命である世界広宣流布」などと言うが、日本の広宣流布は一体どうなったのか。また三大秘法抄・一期弘法付嘱書に明示されている国立戒壇建立の御遺命はどうなったのか。
 池田大作一党は、偽戒壇・正本堂のたばかりが失敗し崩壊してしまったから、いま「世界広宣流布」などと言ってごまかしているに過ぎない。何よりも「世界広布」とは、全世界の人々が戒壇の大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉ることです。これを一閻浮提広宣流布という。
 ゆえに日寛上人は顕仏未来記の 「本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宜流布せしめん」との御金言を引き奉り 「故に此の本尊は広布の根源なり」(撰時抄文段)と仰せられている。
 まさしく本門戒壇の大御本尊こそ、一閻浮提広宣流布の根源であられる。この根源の大御本尊を捨てて、何か「世界広宣流布」か。ごまかしも、いいかげんにせよと言いたい。
 
   「広宣流布の御本尊」のたばかり  
 
 また「前文」には次のような趣旨が記されている。
  「池田先生は『三代会長』の師弟の魂魄を留める不変の根源の地である信濃町に、創価学会の中心道場を建立し、これを『広宣流布大誓堂』と命名し、そこに『広宣流布の御本尊』を安置し、世界広宣流布の大願を祈念した」と。
 これもたばかりに満ちている。学会の総本部として建てた「広宣流布大誓堂」なる建物を、あたかも総本山のごとくに見立て、そこに「広宣流布の御本尊」と称するものを安置したという。
 では、この「広宣流布の御本尊」とはどういうものかと言えば 戸田第二代会長が昭和二十六年五月十二日に「創価学会常住」の御本尊、すなわち創価学会本部に安置する御本尊を、富士大石寺第六十四世・日昇上人に願い出て、同月十九日に下附されたものです。
 この御本尊は血脈付法の上人が書写された御本尊であれば、当然、戒壇の大御本尊の分身です。しかるに池田大作一党は今、この分身の御本尊を以て、根源の戒壇の大御本尊を否定せんとしている。逆罪これに過ぎるはない。
 日昇上人こそ大いに迷惑され、お憤りの御事と私は拝察しております。
 
   「学会の本地と使命」のたばかり  
 
 さらに前文には 「池田先生は創価学会の本地と使命を 『日蓮世界宗創価学会』と揮毫して、学会が世界広布する教団であることを明示した」旨が記されている。
 ちなみに創価学会はこの「日蓮世界宗創価学会」の名称を、特許庁に商標登録出願し、平成二十年六月二十日付で登録されたとのことです。
 商標登録とは何ごとか。株式会社じゃあるまいし(大笑)。まことに物狂わしいかぎりであります。
 池田大作はこの戯けた名称を自ら揮毫して、「創価学会の本地と使命」を明示したというが、これこそ己れ自身の本地と使命を顕わしたつもりなのでしょう。
 まさしく 「池田大作の本地は第六天の魔王、その使命は三大秘法の破壊にある」 こう私は思っておりますが、みなさん、どうです。(大拍手)
 学会はこのような天魔を 「永遠の師匠」と会則で決めたのです。
 
   早く学会員を救いたい  
 
 私は学会員を不憫に思う。このような悪師に付いて戒壇の大御本尊様を捨てれば、今生には功徳を失い、臨終には悪相を現じ、後生には永遠に悪道に堕する。まことに痛ましいかぎりであります。
 早く八百万学会員をめざめさせ、ともに成仏の道を歩みたいと、私は念願しております。
 

   顕正会は御在世の信心に立ち還る  

 
 それにつけても、顕正会は解散処分により自然と御在世の信心に立ち還った。このこと、何とも有難いと私は思っております。
 いいですか。池田大作は破門されると、阿部日顕を強く憎悪して忽ちに本性をむき出し、戒壇の大御本尊に怨をなした。すなわち経本から「本門戒壇の大御本尊」の九文字を削り取った。これが平成四年でした。
 顕正会は解散処分を受けても、私はかえって喜んだ。この解散宣告書を手にしたとき 「大事な御遺命が破壊されんとしているとき、妙信講が安穏であっては、いかにも大聖人様に申しわけない。これで一分でも申しわけが立つ」との思いが胸に湧いてまいりました。
 
   恋慕渇仰 いよいよ強まる  
 
 解散処分を受ければ御登山はもうできない。だが、顕正会員の戒壇の大御本尊様への恋慕渇仰は、いよいよ強まったのです。
 思えば、熱原の方々は大聖人様にお目にかかることも叶わなかった。だが、その恋慕渇仰・不惜身命の信心は、ついに大聖人様の御意に叶い、大御本尊の「願主」たるを許されたのであります。
 また日興上人・日目上人の上代には、御開扉などは全くなかったのです。戒壇の大御本尊様は広宣流布の日まで、専ら秘蔵厳護し奉らなければいけない。
 現在の宗門のごとく、御開扉料稼ぎに大御本尊を利用し奉るなど、不敬も甚だしい。必ず御罰を蒙るに違いない。
 ここに顕正会は、解散処分によって自然と御在世の信心に立ち還ったのであります。
 
   遥拝勤行の大精神  
 
 全顕正会員は戒壇の大御本尊を恋慕渇仰し、遥拝し奉っては、日蓮大聖人の御名を南無妙法蓮華経と唱え奉っている。この信心口唱こそ大聖人の御心に叶い、一生成仏が叶うのであります。
 遥拝勤行とは、距離を乗り越え、直接、戒壇の大御本尊を拝みまいらせる勤行です。また会館あるいは自宅拠点での勤行は、分身の御本尊を通して戒壇の大御本尊を拝みまいらせる勤行であります。
 それぞれの勤行は、すべて富士大石寺にまします本門戒壇の大御本尊に繋がっている。これが顕正会の勤行です。だから大御本尊の無量無辺の功徳が頂けるのであります。
 遥拝勤行において最も大事なことは、「眼前に御本尊まします」の思いで拝みまいらせることです。信心に距離は関係ない。もし信心がなければ目の前に御本尊ましますとも通じない。もし信心があれば、千万里を隔てても直ちに通ずる。
 ゆえに大聖人様は佐渡の千日尼に対し 「御身は佐渡の国にをはせども、心は此の国に来れり。乃至、御面を見てはなにかせん、心こそ大切に候へ」と。
 この仰せこそ、遥拝勤行の大精神であります。
 
   お経机のこと  
 
 さらに細かいことを申します。
 遥拝勤行においては、経机を置いて富士大石寺の方に向かえば、さらに形がきちんと決まります。ことに家族全員で勤行をする場合には、一人が導師となって経机の前に座り、他の人はそれに和する。そして勤行が終わったら、経机はしまってもよろしい。
 実は遥拝勤行は、大石寺において七百年来、歴代先師上人は客殿で丑寅の勤行をなさったあと、必ず客殿内に設けられている遥拝所に座を移し、御宝蔵にまします戒壇の大御本尊に向って遥拝勤行をあそばされている。我が家からの遥拝勤行も、その精神において全く同じであります。
 で、経机は仏具屋で買うと高いとのことなので、顕正新聞社の業務部に「メーカーに直接、注文しなさい」と私は指示しました。その結果、数千円ほどで頒布できるとのことであります。
 経机は急いで調える必要はありません。状況に応じて、徐々に形を整えていったらいいと思います。
 
   過去帳のこと  
 
 また過去帳も、このたび「冨士大石寺顕正会」として調えました。この過去帳には、日蓮大聖人、日興上人、日目上人以下、歴代先師上人の御命日が記入されております。
 過去帳とは、我が家の親族・縁者において亡くなった人があれば、その氏名を記入して、命日のときに追善回向ができるようにしたものであります。
 これも急ぐ必要はありません。必要な人は本部に申し込んで下さい。
 
   自宅拠点について  
 
 次に、自宅拠点について申します。
 自宅拠点はこれまで、どの組織の人でも利用できるようにと、公開を申し出てくれる人が多くありました。これはたいへん有難いことでした。
 しかし有難いと同時に、なかなか大へんなことでもある。
 そこで、今後の自宅拠点においては、すべてを非公開といたします。そして願主がもし班長ならば、その班の弘通活動においてのみ、その拠点を活用することを原則といたします。
 したがって、御本尊の下附は事実上、願主個人への下附ということになります。
 
   御本尊下附の大精神  
 
 顕正会においては、御本尊の下附に当って、供養などは一切不要です。金銭ではない、ただ強き信心のゆえに、日寛上人御書写の御形木御本尊が下附されるのであります。
 日興上人は、五老僧たちが御本尊を軽々しく扱い、不信の輩にも授与していることに対し、こう仰せられている。 「日興が弟子分においては、在家・出家の中に、或いは身命を捨て、或いは疵を被り、若しはまた在所を追放され、一分の信心の有る輩に、忝くも書写し奉り之を授与する者なり」(富士一跡門徒存知事)と。
 顕正会もこの大精神に則り、自宅拠点の御本尊下附を進めたいと思っております。
 また自宅拠点の御本尊を頂くに当って、わざわざ仏間を設ける人もあります。それができれば大いに結構です。しかし住宅事情でそれができない人もあるでしょう。そのときは、特別の仏間でなくてもよろしい。
 ただしその場合には、勤行が終わったら、仏壇の御扉をお閉めするよう心がけて下さい。
 以上、細々としたことを説明しましたが、すべては、今後の広宣流布を大規模に着実に進める準備であります。
 

   歳を逐って亡国の色濃し  

 
 さて、明年は国難三年であります。そして三年後の国難六年が、いよいよ二〇一九年で、二百万達成の年となる。
 今後、二〇年代の広宣流布の決戦揚が近づくにつれ、日本は年を逐って亡国の色が濃くなっていくと、私は確信しております。
 大聖人様は広布前夜の様相を撰時抄に 「其の時、天変地夭盛んなるべし」 また 「前代未聞の大闘諍・一閻浮提に起こるべし」 と仰せであります。
 
   天変地夭はすでに明らか  
 
 天変はもう誰の目にも明らかですね。世界中が「地球温暖化だ」「いや寒冷化だ」といって騒いでいる。昔は三〇年に一度起こるのを異常気象と言ったのですが、今は毎年のように起きている。昨年の広島豪雨も凄まじかった。今年の関東・東北豪雨も凄まじかった。
 政治家やテレビは「オリンピック・オリンピック」とバカ騒ぎしておりますが、これらはまさに「火宅にあそぶ子」です。
 いま刻々と、首都圏巨大地震と南海トラフ巨大地震が迫りつつあるではないか。
 この二つの巨大地震が起これば、日本は潰滅する。同時に国家破産も起こる。アベノミクスなど泡沫のごとくになる。
 
   諸天の怒り  
 
 そしてこの超巨大地震を号鐘として、いよいよ 「一閻浮提の大闘諍」 「他国来難」 が日本に押し寄せてくるのであります。
 なぜこのようなことが起こるか。それは仏法を識らぬ者にはわからない。これ諸天の怒りであります。日本一同に、大慈大悲の御本仏・日蓮大聖人に背き奉るゆえに、諸天はこれを許さず、この国を罰する。その罰によって目ざめさせるのであります。
 いいですか。日本の人々は、未だに日蓮大聖人の大慈大悲と大恩徳を知らずに背き続けている。
 
   安倍政権は 「神の国」めざす  
 
 そして今の安倍政権を見れば、政権のバックに付いている日本最大の右翼団体「日本会議」に操られて、日本を「神の国」にしようとしている。
 この「日本会議」には、神社本庁をはじめ霊友会・佛所護念会・解脱会・モラロジー等、多数の宗教団体が参加しております。この日本会議の関連団体の一つが、安倍首相自らが会長を務めている「神道政治連盟国会議員懇談会」です。
 この懇談会に参加している国会議員は、自民党を中心とする超党派で、衆参合わせて三〇一名の多数にのぼる。たいへんな勢力になっていますね。しかしメディアがこのことを報道しないから、国民の多くは知らない。この勢力が、いま憲法を変え、日本を「神の国」にしようとしているのであります。
 
   正系門家の大違背を見よ  
 
 加えて、何よりの重大事は仏法の正系門家の違背であります。
 いいですか。正系門家の僧侶は、学会から莫大な供養を受けていた時は池田大作にへつらって国立戒壇の御遺命を捨て、学会と抗争が始まるや、こんどは恐れ多くも御開扉料稼ぎに法華講員に登山を強要している。
 要するに信心がないのです。こういうのを大聖人様は「禿人」と仰せられている。分かり易くいえば「職業坊主」ということです。
 一方、池田大作一党は天魔その身に入って、今や戒壇の大御本尊の敵となりおわった。
 これらの姿こそ、大聖人様が 「末法濁悪の未来」と仰せ給うた、広宣流布前夜の濁乱なのであります。
 この大謗法を見て、諸天、怒りをなさぬ道理があろうか。ここに天変地夭が起こり、前代未聞の大闘諍が起こるのであります。
 
   日蓮大聖人御一人 日本をお救い下さる  
 
 この亡国は誰人も救えない。このとき、日蓮大聖人ただ御一人が、大慈大悲と絶大威徳を以て日本をお救い下さるのです。
 この重大な御化導をお手伝い申し上げるのは、大忠誠を貫く顕正会以外にはない。
 顕正会は、本門戒壇の大御本尊様が国立戒壇にお出ましあそばすその日まで、命かけて御奉公を貫かせて頂く。
 さあ、迎える国難三年、いよいよ柔和質直の団結を以て、明るく力強く広宣流布を進めようではありませんか。以上。(大拍手)
 



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