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 広布前夜、第六天の魔王が正系門家を壊乱

   池田一党は「戒壇の大御本尊を捨てよ」と騙す

   阿部日顕は戒壇の大御本尊の敵とも連携


               顕正新聞3月5日(1369)号 「学会員を救う特集号4」
 
 きょうの総幹部会も、信心の大熱気が漲り素晴らしいですね。大感動いたしました。
 
  立派だった南東北大会 
 
 そして今月は、一万二千人が結集した「南東北大会」のビデオ放映が全国で放映されましたが、地方大会の先陣を切ってのこの大会、まことに立派でした。
 M9・0という日本観測史上最大の超巨大地震、二万人を呑み込んだ大津波、そして原発事故による放射能。これら大災害にもめげず、けなげに立ち上がってくれた南東北のみなさんの信心に、私は心が打たれた。何とも有難い大会でありました。
 
  順次、地方大会を 
 
 今後、順次、地方大会を進めていきます。
 もう日本列島に安全な場所はないのです。これが広布前夜の「大地動乱の時代」なのです。いや地震だけではない、やがて世界大戦乱・他国来難も、いよいよ日本に押し寄せて来る。
 ここに、二〇年代の広宣流布の決戦場を見つめて、日本列島の各地域ごとに、地涌の菩薩の連帯と絶対信を堅めるため、順次、地方大会を開くのであります。

 本年は九州大会と近畿大会ですね。その会場と期日を、改めて発表いたします。
 九州大会は九月二五日(日曜日)、会場は九州の中央部に当る熊本県の「グランメッセ熊本」と決定いたしました。
 また近畿大会の期日は十月と発表しておりましたがこれを変更し、十二月十一日(日曜日)とし、会場は大阪市の「府民共済スーパーアリーナ」と決定いたしました。
 
  会館建設について 
 
 次に会館建設について申します。
 本年は四月に垂井会館、六月に筑波会館、八月に第二青年会館が、相次いで落成いたします。
 そして明年については昨年十一月の総幹部会で、多摩会館と新秋田会館の二つを決定し、三つ目は未定としておりましたが、このたび本部の顕正新聞社別館の隣地三百余坪を取得することができたので、ここに顕正新聞社・第二別館を建設することにしました。
 この第二別館は、顕正新聞社と芙蓉茶寮の業務拡大に対応する施設ですが、近く起こるであろう首都圏直下地震の際の救援施設にもなると私は思っております。
 
  国難三年の初陣 広宣流布の大熱気 
 
 さて、国難三年の初陣を迎え、全顕正会の大法弘通の気魄は凄まじいですね。
 二月二二日現在で一万一千三〇九名、誓願の五一%の大法弘通がすでに成し遂げられております。
 世の中が濁れば濁るほど、地涌の菩薩の決意はいよいよ強まるのであります。
 
  学会員 続々とめざめる 
 
 その中で、学会員が続々と本門戒壇の大御本尊の信心にめざめ、無間地獄の道をのがれつつあること、私は何より嬉しく、有難く思っております。

 大聖人様は、念仏宗の法然が人々をたぶらかして法華経を捨てさせたその無慚さを、開目抄にこう仰せられている。
 「法然いたわしともおもわで、乃至、狂児をたぼらかして宝をすてさするやうに、法華経を抛てさせける心こそ無慚に見へ候へ」と。
 ――法然はいたわしとも思わず、愚かな子供を騙して宝を捨てさせるように、成仏の唯一の経たる法華経を捨てさせるその心こそ、まことに無慈悲の極みである――と仰せあそばす。
 いま池田大作一党は、末法における唯一の成仏の大法、日蓮大聖人出世の御本懐たる「本門戒壇の大御本尊」を、全学会員を騙して「捨てよ」と言っているのです。
 もし、これに誑かされて大御本尊を捨てるならば、今生には功徳を失い、臨終には悪相を現じ、後生には地獄に堕つること疑いない
 同じく信心を起こしながら、悪師に馴されてなんと痛ましいことか。
 大聖人様がもしこの姿をごらんあそばせば、いかに不憫、いかに痛ましいと思しめされるか。
 この大聖人様の御心を体して、顕正会はいま八百万学会員を救う戦いを起こしているのであります。
 

  正系門家の濁乱は亡国を招く 

 
 それにつけても思うことは―― 日蓮大聖人の唯一の正系門家であり、日興上人・日目上人以来一筋に本門戒壇の大御本尊を命とし、国立戒壇建立を悲願として来た富士大石寺門流において、なぜこのようなことが起きたのか。「仏法は体、世間は影」であれば、正系門家の濁乱は日本の亡国につながる。
 ゆえに改めてこの本質を、全顕正会員はしっかり掴んでほしいと、私は思っております。
 
  第六天の魔王 正系門家を狙う 
 
 いいですか。まず、なぜこのようなことが起きたのか。
 これまさしく、第六天の魔王のしわざですね。この大宇宙には仏法を守る諸天善神の働きもあれば、仏法を破壊せんとする魔の働きもある。この魔の中心的存在を「第六天の魔王」というのです。
 今、正系門家に起きた濁乱こそ、まさしくこの第六天の魔王のしわざなのであります。「魔は仏法をにくむ」という。広宣流布が近づくにつれ、第六天の魔王は何としてもこれを阻止しようとする。
 どうやって阻止するのか。それは、正系門家の最大の実力者の身に入って、その者を狂わせればいいのです。その実力者とは池田大作であります。
 
  大慢心の池田大作 
 
 彼は信心が薄く、大慢心していた。その大慢心は、昭和四十年当時の彼の発言を見れば、よくわかる。「私は日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想・文化・一切の指導者、最高権力者である」と。
 これは大幹部だけを集めた席に、わざわざ御用評論家の高瀬広居を同席させたうえで述べた言葉です。高瀬は「池田大作・その思想と生き方」(有紀書房・昭和40年10月刊)の中で、この発言を明記しております。
 何とも物狂わしい言葉ですね。第六天の魔王はこの大慢心の者の身に入ったのです。
 
  国立戒壇を放棄 
 
 天魔その身に入った池田大作は、たちまちに国立戒壇を捨てる心を起こした。それは、国立戒壇が世間に抵抗が多く、選挙の邪魔になると思ったからです。
 だが「国立戒壇放棄」と口で言うだけでは、世間は信じてくれない。そこで彼は、事実において国立戒壇を否定するため、偽戒壇・正本堂を大石寺境内に建てることにした。
 そのころ彼は、学会の幹部会でこのように叫んでいた。「いまの評論家どもは『創価学会は国立戒壇を目標にしているからけしからん』といいますが、私はなにをいうかといいたい。そんなことは御書にはありません。彼らはなにもその本義を知らないのです。猊下(法主)が、正本堂が本門戒壇の戒壇堂であると断定されたのであります。ですから、皆さん方は『創価学会は国立戒壇建立が目標である』といわれたら、いいきっていきなさい。とんでもない、こんどの私どもの真心で御供養した浄財によって、正本堂が建立する。それが本門の戒壇堂である。これでもう決定されているのですと」(聖教新聞・昭和40年9月22日付)
 
  提婆の虚誑罪 
 
 池田大作のこの見えすいたウソ、みごとなものですね。彼は曽てこう言っていたでしょ。「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華・昭和31年4月号)と。
 このように、彼自身が「国立戒壇こそ創価学会の唯一の大目的」と言っていたのに、「評論家どもが勝手にきめつけている」とすり替え、「私はなにをいうかといいたい」と言う。
 これを聞いたら、評論家の方で「お前こそ何を言うかといいたい」となる(大爆笑)。
 大聖人様は御書の随所に「提婆の虚誑罪」「倶伽利(くぎゃり)の欺誑(ぎおう)罪」と仰せられている。
 提婆達多は釈尊に敵対した大悪人、倶伽利はその弟子です。虚誑とは妄語を以て人をたぶらかすこと、欺誑とは欺き誑かすこと。このように提婆と倶伽利はウソばかりついていたのです。池田大作も提婆の虚誑そっくりだと私は思っております。
 
  「時の貫首」を利用 
 
 さらに彼の悪質なことは、国立戒壇を否定するのに「時の貫首」(法主)を利用したことです。すなわち貫首に「正本堂こそ御遺命の戒壇である」と言わせた。
 時の貫首・細井日達も曽ては「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが日蓮正宗の使命である」(大白蓮華・昭和35年1月号)と言っていたのです。ところがこれも、恥ずかしげもなく前言を翻した。
 
  御遺命を売り渡す 
 
 実は細井日達はこの時すでに、御遺命を池田大作に売り渡していたのです。
 本来、貫首ならば命を賭しても守るべき大事の御遺命を、池田大作の莫大なカネに心を蕩かされ、ついに国立戒壇を捨て、偽戒壇・正本堂を認めてしまったのであります。
 このような仏法破壊の非常事態が、広宣流布の前夜には必ず起こる。日興上人は予てそのことを御存知であられたから「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事」との一条を、御遺誡に定め置き下されたのであります。
 
  戒壇の大御本尊を冒涜し奉る 
 
 重大な事は、もし正本堂を御遺命の戒壇と詐れば、この偽戒壇に「本門戒壇の大御本尊」を居え奉ることになるのです。
 かくて細井日達・阿部日顕の二代にわたり、実に二六年間もの長きにわたって、恐れ多くも大御本尊は正本堂に居えられ奉った。これこそ大聖人様の御心を蹂躙する所行であります。
 いいですか。国立戒壇に安置し奉るべしとて留め置かれた本門戒壇の大御本尊を、あろうことか国立戒壇を否定するために建てた偽戒壇、しかもキリスト教神父で穢した正本堂に居え奉ったのです。
 大聖人様の御心に背き、戒壇の大御本尊を冒涜し奉ること、これより甚だしきはない。
 第六天の魔王その身に入る池田大作だからこそ、よくこれをなし得た。信心うすき細井日達・阿部日顕だからこそ、よくこれに協力し得たのです。
 
  池田大作には信が全くなかった 
 
 所詮、池田大作には、本門戒壇の大御本尊に対し奉る信が全くなかったのです。
 だから彼は、正本堂完工式にローマ法王庁からの神父を招くべく、「板曼荼羅に偏狭にこだわらない」などと申し出て招待に成功した。そしてその謗法の神父らを正本堂の最前列に座らせ、戒壇の大御本尊の御座所を穢し奉ったのであります。
 また彼は、正本堂の御宝前のすぐ前に置かれている大前机(おまえつくえ)に、己れの裸体レリーフを彫り付けさせた。さらに正本堂の導師席のすぐ後ろに己れの特別席を設け、そこに真っ白な革張りの豪華な椅子を置かせた。これあたかも玉座を思わせる。
 彼は「私は日本の国主であり、最高権力者である」と言い、また正本堂建立を指して「仏教三千余年、史上空前の偉業」とも言った。それにふさわしい椅子を、自らここに置いたのでしょう。
 彼はこの椅子にふんぞり返って御開扉を受けていた。その姿は、ひれ伏し拝みまいらせるという仏弟子のそれではない。両腕を水平に出して手を合わせ、まさに大御本尊を眸睨(へいげい)するごときものであった。
 第六天の魔王その身に入れば、大御本尊様への畏れ・謹みは全くなくなる。その男が、今いよいよ本性を露わにし、ついに全学会員に「本門戒壇の大御本尊を捨てよ」と謀っているのであります。
 
  二人の貫首も信心が薄かった 
 
 このような悪人に協力した二人の貫首も信心が薄かった。だから同じく天魔が入ったのです。
 まず細井日達は、顕正会の諌暁によって池田大作との間に疑心暗鬼を生じ、ついには抗争に陥った。
 しかしその中にも、顕正会に対しては解散処分を下した。さらに翌昭和五十年、改めて国立戒壇を否定する見解を全宗門に公表した。ひとたび御遺命を売り渡した以上、学会の魔手からのがれることができなかったのです。
 そしてその四年後、大事な御相承もなし得ずに急死を遂げた。まさに大聖人様がお許しにならなかったのです。これこそ罰であります。
 

  天魔その身に入る阿部日顕 

 
 ついで、池田大作の擁立によって登座したのが阿部日顕です。この者は、池田大作にへつらうこと前貫首よりも甚だしく、また戒壇の大御本尊様への信も極めて薄かった。
 池田と阿部の関係は当初は一体、二人三脚のように「本門寺改称」という御遺命破壊の完結をめざして前進していた。
 
  「修羅と悪竜の合戦」 
 
 しかし顕正会の強き諌めによって、細井日達のときと同じように、両者の間に自然と疑心暗鬼が生じてきた。そしてその疑心暗鬼はやがて報恩抄に仰せの「修羅と悪竜の合戦」そのままの、激烈・醜悪な抗争へと発展していった。
 池田は日顕を激しく批判した。日顕は「創価学会破門」と「池田大作除名」でこれに応じた。池田はついに、阿部日顕は相承を受けていないニセ法主であると暴露し、日顕を猊座から引きずり降ろそうとした。 ここに日顕は、己れの地位を守るため、さまざまな策略を巡らしたのです。
 

  阿部日顕 戒壇の大御本尊の怨敵とも手を結ぶ 

 
 この策略を見るとき、阿部日顕にも、戒壇の大御本尊への信が全くなかったことが、よーくわかります。 それは、どういうことかと言えば 阿部日顕は、戒壇の大御本尊に敵対している山崎正友、さらに身延派とも手を結んだのです。まさに「敵の敵は味方」という論理です。
 
  山崎正友について 
 
 山崎正友という人物について少し説明します。
 彼は創価学会の副理事長であり、顧問弁護士でもあった。池田大作の懐刀として、学会のあらゆる悪事・謀略に関与してきた男です。
 たとえば、日本共産党の宮本委員長宅に盗聴器を仕掛けたり、大規模な選挙違反をモミ消したり、学会の墓園開発に反対する地元住民を暴力団を使って重傷を負わせたり等々。これらの悪事はすべて彼が裏で指揮したものです。
 また彼は顕正会対策の責任者でもあった。顕正会に解散処分が下される際には、弁護士の立場を利用して宗門にも深く食い入り、細井日達の相談役としてさまざまな働きかけをしていた。
 ところが、やがてこの山崎正友が池田大作に背いたのです。
 
  池田を恐喝 
 
 当時、山崎はカネを儲けようとして会社を作り、それが失敗して債務に追われ、学会からカネを強請ろうとしたのです。池田は飼い大に手を咬まれたようなものですが、これこそ悪人同士の仲間割れであります。
 池田大作のあらゆる悪事を知り抜いている山崎は、学会を脅して「三億円出せ」と言った。学会は出した。出してその直後、告訴した。山崎正友は最高裁で懲役三年の実刑判決を受けた。これが平成三年一月のことです。
 
  阿部日顕に近づく 
 
 刑期を終えて出所したのち、彼はこんどは阿部日顕に近づいた。それまでの山崎は、細井日達のそば近くにいた立場を利用して「阿部日顕は相承を受けてない」等と、週刊文春に再三発表し、阿部に敵対していたのです。
 ところがこの山崎を、阿部は受けいれた。その目的は己れの地位を守るために利用するところにあった。 山崎は以後、反学会の運動を起こすべく、全日本仏教界や新宗教連合会などの邪宗団体に呼びかけ、講演依頼なども受けている。
 ことに平成六年からは身延派に働きかけ、各地の身延派僧侶集会に講師として出席しては、反学会運動を起こすよう煽動している。
 
  山崎正友こそ戒壇の大御本尊の怨敵 
 
 その中で平成六年十二月六日、身延派日蓮宗・常圓寺で開催された「日蓮宗京浜教区教化研究会議」における講演で、山崎は次のような重大な大謗法の言を述べた。「『板本尊偽作論』も、その後の掘り下げがありません。これから本腰を入れて取り組んでほしいと思います」と。
 「板本尊偽作論」とはどういうものかというと―― 身延派僧侶で日蓮宗宗務院嘱託、かつ立正大学助教授である安永弁哲なる者が、ウソ八百を並べて戒壇の大御本尊を誹謗した、何とも下劣きわまる悪書です。
 発刊は昭和三一年です。私も一読したが、反吐が出る思いになった。すべてがデタラメ。ただ戒壇の大御本尊を怨嫉する汚い心で書きなぐっただけのもの。まさに歴史的な悪書であります。
 いいですか。山崎正友は大勢の身延派坊主を前にして、この悪書を「もっと掘り下げて、戒壇の大御本尊を攻撃せよ」と煽動しているのです。
 これほどの悪党はない。まさに山崎こそ戒壇の大御本尊の怨敵そのものではないか。
 ところが阿部日顕はこの男を用いた。ということは、阿部もまた、戒壇の大御本尊様への信は全くなかったということであります。
 
  身延派高僧を大石寺に招く 
 
 そして翌平成七年六月六日には、身延派管長に就任する直前の田中日淳の一行が、なんと大石寺に招かれたのです。このとき宗門では、能化で参議会議長の高野日海が袈裟衣を着けた正装で、これを出迎えている。そして三門から大客殿、御影堂、さらには正本堂にいたるまで、くまなく山内を案内したうえ、蓮葉庵において饗応をしている。
 阿部日顕の魂胆は、「反学会・反池田」を共通項にして、身延派とも連携しようとしていたのです。己れの地位を守るためには、数百年来、戒壇の大御本尊を怨嫉してきた身延派とも手を組むのです。
 何という浅ましさか。
 

  「川辺メモ」に証拠を残す 

 
 このような男だから、昭和五三年二月の「河辺メモ」に、戒壇の大御本尊誹謗の証拠を残しているのです。
 「河辺メモ」というのは、昭和五三年二月七日、阿部日顕と河辺慈篤が帝国ホテルの一室で密談した際の阿部発言を、河辺がメモしたものです。
 
  阿部の腹心・河辺 
 
 河辺は北海道・日正寺の住職で、不遇の少年時代に、阿部の母・妙修に引き取られ、阿部と共に育てられたという過去を持つ。長じて阿部の腹心として、どんなことでも相談できる間柄になっていた。
 密談が行われたのは、細井日達と池田大作が抗争をしていた時で、総本山に反学会活動家僧侶二百人(後の正信会)が集まって「時事懇談会」なるものが開かれる二日前のことです。
 この集会では、細井日達の下に集まった反学会僧侶たちが、「学会と手を切るかどうか」を討議することになっており、極めて緊迫していた。その二日前に二人は密談したのです。
 当時、阿部は宗務院教学部長として貫首の細井日達に仕えていたが、面従腹背で、内実は本山の動向を池田大作に伝える内通者だった。
 
  魔心・愚心出来 
 
 ところがその内通が露見して、細井日達は激怒した。もう栄達の道が閉ざされたと思った阿部は、ここに魔心・愚心出来して、あろうことか戒壇の大御本尊に八つ当たりし、荒唐無稽な理由を挙げ、「偽物」と誹謗したのです。
 まさにこの男にも、第六天の魔王が入ったのです。
 
  諸天の働き 
 
 この「河辺メモ」が流出したのは、二十一年後の平成十一年七月七日です。私は、これ諸天善神が阿部日顕の正体を白日のもとに晒してくれたのだ、と思っております。
 諸天の力というのは不思議なものです。河辺の動機はともかく、諸天はその心を動かして、メモを流出せしめたのであります。
 「河辺メモ」流出は阿部日顕を驚動せしめた。彼はその二日後には宗務院に通達を出さしめ、さらに二ヶ月後に自身の釈明文を公表したが、その内容は支離滅裂。かえって「メモ」の信憑性を高めるものとなった。
 
  顕正会の命運を賭し 公開対決を申し入れ 
 
 そのような中、平成十六年八月、阿部日顕は総本山の全国教師(住職)講習会において、改めて「国立戒壇は間違いだ」と強調した。
 ここにおいて私は、阿部日顕の三大謗法、すなわち「国立戒壇の否定」と、「河辺メモに見る大御本尊誹謗」と、「身延僧の大石寺招待」を徹底して責めるべく、平成十七年三月二五日、阿部日顕に公開対決を申し入れた。
 この対決に際して、私は約定として、次の二箇条を定めた。「小生が敗れた時は、直ちに顕正会を解散する」「貴殿が敗れた時は、直ちに御開扉を中止し、猊座を退き謹慎する」と。
 まさに顕正会の命運を賭して、公開対決を申し入れたのです。しかし彼は、悪口雑言を並べた文書を送り付けて来ただけで、対決を逃げてしまった。
 それでは事は済まない。私は重ねて「最後に申すべき事」の一書を送り、三大謗法の止めを刺した。
 
  「大扉、開かず」日顕ついに退座 
 
 そしてその三月(みつき)後の十一月七日、不思議なことが起きた。阿部日顕が御開扉をしようとしたところ、大御本尊の御前の須弥壇の大扉がどうしても開かない。ついに御開扉を中止せざるを得なかったという、未曽有の事態が起きたのです。
 そしてその翌十二月十五日、何を感じたのか、阿部日顕は猊座を退いたのであります。
 実は阿部日顕は己れの地位を守るため、この前年の平成十六年三月、「宗規」まで改変して、次の一条を加入していた。「法主は、遷化又は自らの意志による以外はその地位を退くことはない」と。
 これで、いつまでもその地位に居坐り続けようとしたのです。それなのに、「大扉、開かず」の現証に怖畏を感じ、退座したのであります。
 
  国立戒壇の御遺命は 未だ消滅したまま 
 
 しかし、しかし、退座だけはしたが、国立戒壇建立の御遺命は、未だに正系門家から消え失せたままになっている。六六・七の二代にわたる貫首が否定したまま、今日にいたっているのであります。
 
  不敬の御開扉は続く 
 
 さらに、法華講員にノルマを課しての登山が、いまなお強行されている。営利を目的にしたこの御開扉が、いかに戒壇の大御本尊に対し奉る不敬・冒涜になるか。
 それだけではない、この濫りの御開扉は、大御本尊を危険に晒し奉る。私はこのことを最も憂えている。大御本尊に敵意を懐き危害を加えんとする悪人が、法華講員に紛れ込むことは容易い。もしそのようなことがあれば……。このことを思うと、私は心が安まらない。
 これを憂えるあまり、私は幾たびも「建白書」を阿部日顕さらに現在の管長にも提出しているが、無道心の者には通じない。本門戒壇の大御本尊は、広宣流布のその日まで、専ら秘蔵厳護し奉らなければいけないのです。
 これが大聖人様の御聖意、日興上人・日目上人の御心であります。
 
  濁乱の極 
 
 しかるにいま広布の前夜、正系門家の僧侶は御遺命の国立戒壇を抛った上に営利のための御開扉を強行し、学会はあろうことか本門戒壇の大御本尊様を捨て奉った。何という堕落、何という濁乱か。
 

  仏法は体、世間は影 

 
 大聖人様は富木殿御返事に「仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲れば、影ななめなり」と。
 また「法門申さるべき様の事」には、伝教大師の正系門家・比叡山に仮託して、仏法と国家の安危を示し給うて云く 「仏法の滅不滅は叡山にあるべし。叡山の仏法滅せるかのゆへに、異国、我が朝を亡ぼさんとす」と。
 いま末法においては、日蓮大聖人の唯一の正系門家が濁乱すれば、必ず国は衰微し、ついには他国の侵略を受けるのです。
 
  亡国へのテンポ急 
 
 見てごらんなさい。国難三年を迎えて、そのテンポの急なることを――。
 まずアベノミクスの化けの皮が剥がれて来た。異次元金融緩和でおカネをジャブジャブにして円安と株高を演出した。これは「景気がよくなる」との幻想を懐かせて国民を馴し、政権維持を狙ったものです。
 ところが実体経済は少しもよくならない。直近のGDPは景気後退を示している。日銀はもうこれ以上の金融緩和はできない。緩和しても効き目がない。「バズーカ砲」と言われていた異次元緩和は今や「水鉄砲」になっている。行き詰まった日銀はマイナス金利を導入したが、これが裏目に出て、かえって円高・株安になってしまった。
 株価を維持しなければ安倍政権は保たない。そこで官邸は国民が積み立てた年金を勝手に株式市場に投入している。しかし効果はない。年金の損失はすでに二〇兆円ともいわれている。もし年金がすべて喪失してしまったら、老人は生きていかれない。その時、安倍首相はどのような責任を取るのか。
 
  大借金返済不能 
 
 日本の借金は一千兆円を大きく超えて世界一。しかも毎年数十兆円ずつ増え続けているのです。
 もう返済は不可能です。国会議員の一人として、これが返せると思っている者はない。どうしようもないことだから、誰も口に出さない。行き着くところは国家破産です。
 いまは蓮の台(うてな)に乗っているが、その先には滝壷がある。政治家たちはわかっているが、どうしようもない。だからみな黙って、目先の安楽に耽っているのです。
 
  国民が犠牲になる 
 
 国家破産に直面したとき、これを回避するため、政府はどういう手を打つか。それは、ハイパーインフレ、預金封鎖、資産課税しかない。タンス預金をしても、新札が発行されて旧札が使えなくなれば、すべての現金を銀行に預けざるを得ない。
 かくて政府は、ハイパーインフレで国の借金を目減りさせたうえで、全国民から資産を収奪し、国家破産を避ける。まさに国民の犠牲によって大借金をチャラにするのです。その準備が、いま進められているマイナンバー制度なのであります。
 つくづく政治家は無責任だと思う。行き詰まったら甘利明のごとく、辞めれば済むのです。安倍首相もやがて「お腹が痛くなってきた」といって辞めるかもしれない。
 

  お救い下さるは日蓮大聖人御一人 

 
 南東北大会で申しましたが、無限の責任・無限の大慈悲で、日本を世界をお救い下さる仏様は、日蓮大聖人ただ御一人であられる。
 ゆえにあの開目抄の大誓願がましまし、さらに「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」と仰せ給うのであります。この御本仏に背き奉れば、磁石が鉄を吸うように、日本は自然と隣国の逼めを受けるのです。
 
  朝鮮半島緊迫 
 
 いま朝鮮半島がいよいよ危険になって来た、緊迫して来ました。北朝鮮は朝鮮半島で動乱を起こすかもしれない。そうなれば数十万の難民が日本に押し寄せてくる。
 また北朝鮮は先般、長距離ミサイルを発射しましたが、日本にとってはそれより怖いミサイルがある。それがノドンミサイルです。射程は一三〇〇キロ、日本列島はすべてその射程内に入ってしまう。北朝鮮はいま核弾頭を小型化して、このノドンミサイルに搭載しようとしている。
 ノドンは二〇〇基から三〇〇基が、すでに配備されている。これが一斉に発射されたら、どんなミサイル防衛装置も役に立たない。日本はそういう危険にさらされているのです。
 
  中国の侵略刻々と 
 
 さらに中国は南シナ海の軍事基地化を急速に進めております。浅瀬を埋め立てて飛行場を建設し、戦闘機を配備し、レーダーを設置し、ついにいま地対空ミサイルまで据え付けた。これは海南島の原子力潜水艦基地を防衛し、さらに台湾侵攻の際の米軍介入を阻止するためです。
 しかしこの目的を果たすためには、南シナ海の軍事基地化だけではまだ足りない。さらに日本の尖閣諸島を奪う必要がある。そしてその先には沖縄が、そしてついには日本本土が危うくなるのであります。
 大聖人様は十字御書に「法華経をかたきとする人の国は、体に影の添うがごとく、わざわい来たるべし」と仰せあそばす。この他国侵逼の大難をのがれるには、広宣流布・国立戒壇建立以外にはない。
 正系門家濁乱の中、いま大聖人様の仰せのままに戦っている仏弟子の大集団は、顕正会以外にはない。大聖人様は顕正会の前進をお待ちあそばす。
 さあ、一八❍万眼前の大法戦、全組織が誓願を大きく突破して、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。(大拍手)


  第六天の魔王のターゲット 

 
 浅井会長は云う。 「広宣流布が近づくにつれ、第六天の魔王は何としてもこれを阻止しようとする。どうやって阻止するのか。それは、最大の実力者の身に入って、その者を狂わせればいいのです」と。
 
 昭和49年、宗門に於けるキーマン(実力者)は、数は小なりと雖も妙信講の本部長、浅井昭衛氏だった。第六天の魔王は、みごとに浅井昭衛氏の身に入って「魔心・愚心出来」せしめ、狂わしめた。
 どのように、魔心・愚心出来したか。慢心(成功体験と全能感)によって、全権の理事長に就任し、

 1) 自ら妙信講の解散処分を招き
 2) 法廷闘争で宗門を敵にまわし
 3) 離反寸前だった宗門と創価学会を協調させた
  (詳しくは、拙著 「迷走する顕正会を斬る」 第五章・第六章 参照)

 宗門の 「何という堕落、何という濁乱か」の現状は、浅井昭衛氏にその責任の多くがある。
 外には、正系門家をして四分五裂に導き、広宣流布を阻止し「濁乱の極」に導いたのは、他ならぬ浅井昭衛氏である。
 
 そして内においても、浅井昭衛氏は宗教法人「顕正会」会長の座に居座り、「国立戒壇」を看板にして、純粋な会員を使役し搾取し隷属させ、多くの人々の生活・人生を無惨にも破壊し続けている。
 会員は、道具でしかない。浅井会長の為にと 一途に活動する会員諸氏を使い捨て、独裁国家のような理不尽な組織運営を、40年以上も続けて来た。

 浅井昭衛氏には、国立戒壇建立への本気の「意志」も、「戦略」も「プラン」もない。あるのは 「プライド」と宗門への 「恨み」と、「はったり」と 「諸天頼み」である。
 教学研鑽を排除するのは、国立戒壇が見せかけの「看板」に過ぎないことを、会員に隠蔽するためである。浅井昭衛氏にとって国立戒壇もまた、<過去の功績>を会員に賛嘆させるための、都合のいい道具に過ぎない。

 各地に会館を建て、自ら複製せしめた異形の「大幅形木本尊」を祀らせることは、かつて日銀総裁の印がない札は「偽札だ」と本尊乱造を批判・否定した、自身の言明に違背している。「何という堕落、何という濁乱か」。
 「この男にも、第六天の魔王が入った」と他者を批判しつつ、自分は特別・別格だと思い込んでいる。こうした事例は、各種の人格障害にもよく見られる症例である。
 
 「無二の師匠」こそ、格好の魔のターゲットだったのだ。近いうちに顕正会員諸氏は、その師匠を失うことになる。
 しかし、自暴自棄になってはいけない。自分の生命と、家族は大切にしよう。人生をやり直すことは、必ずできるのだから。

          平成28年6月 櫻川 記






 
 

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