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 浅井会長は7月度・8月度の総幹部会で、「広宣流布は歴史の必然」と、二ヶ月 連続して大見得を切ってみせた。 
 「この一六〇万はやがて二百万になり、五百万になり、一千万となる。… 広宣流布はもう歴史的必然であります。」(平成25年7月度 総幹部会
 「今はまだ仏法を軽んじている日本の人々も、遠からずみな大罰でめざめ、必ず日蓮大聖人を信じて手を合わせるようになる。… 広宣流布は歴史の必然なのであります」(平成25年8月度 総幹部会
 
 では、小生も断言しよう。
 「顕正会の崩壊は歴史の必然」であり、「広宣流布の時は未だ来ていない」と。
 
 顕正会の崩壊が近いのは、誰にでも判ることだろう。
 現役顕正会幹部たちは、その不都合な真実を知っていながら自己保身のため会長の妄想に、ヨイショし拍手し平身低頭している。
 妄想とは非合理的な「思い込み」であり、根拠が薄弱であるにもかかわらず、確信が異常に強固であり、経験・検証・説得によって訂正不能であり、内容が「非現実的」であることが特徴とされている。
 現在の百六十万ですら虚構であり、実態が伴わない化城である。それを承知の上で、浅井会長は三百万や一千万や六千万という実現不可能な空想に耽溺し、会員を騙し続けている。
 近い将来、高齢(81歳)の全権会長が総幹部会に登壇不能となったなら、顕正会はそのエンジンと頭脳を失ってしまう。顕正会はたちまちにして、脳死・心肺停止状態に陥るだろう。
 だから、「顕正会の崩壊は歴史の必然」だ、と敢えて断言するのである。
 
 次に、「広宣流布の時は未だ来ていない」、ということを論じよう。
 日蓮大聖人の時代には、怨霊や神仏の威力が強く信じられている、という背景があった。また、法門の上では「法華最勝」が論理的に一応は、成立し得た。よって、公場対決を経て国主帰依の可能性が、あり得ただろう。
 そして、当時の叡山は仏教界を代表するだけでなく、最高学府であり知の最先端の場でもあった。
 日蓮大聖人は、その知の最先端に対しても、このような態度であられた。
 
 「日本第一の智者となし給へ」(清澄寺大衆中、善無畏三蔵抄、破良観等御書)
 「智者に我が義 やぶられずば用ひじとなり」(開目抄)
 「異義まちまちにして何れを正義とも知らざりし程に」(題目弥陀名号勝劣事)
 「公場にてせめ給はざれば、ただ闇夜のにしきのごとし」(衆生身心御書)」
 「世出世の邪正を決断せんこと、必ず公場なる可きなり」(強仁状御返事)
 
 しかし今日、自然科学の探求は宇宙や銀河の始原の解明に肉薄し、仏教学会等では法華最勝の主張すら困難である。
 浅井会長は堂々と、忌憚のない批判にさらされる学術会議等で、自説を述べてみたらどうか。自慢の教学も、文献批判によってまずその基盤が問われ、通用しないと知らされるだろう。
 巨大地震・国家破産・原発災害・他国侵逼、これらの問題も各々の原因・縁由があって到来するのである。国立戒壇を建立しさえすれば、それらの諸問題がマジックのように解決 などとする、短絡・幼稚な思考に日本国民はやすやすと騙されない。
 いたずらに危機を煽るのは、時をしらぬ物怪である。「鷄の暁に鳴くは用なり、宵に鳴くは物怪なり」(如説修行抄)と。
 「先生絶対」「無二の師匠」と、ヨイショする会員を増やすことができるのも、もうあとわずかである。

 顕正会員諸氏よ、十年後にもう一度このサイトにアクセスして、上記の言明を噛みしめてほしい。
 いやそれ以前に、すこしでも早く浅井会長の「妄想の呪縛」から解き放たれることができるよう、小生は切に願っている。

     平成25年9月24日 櫻川 忠


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