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 浅井会長は、「総理大臣・安倍晋三はどのような責任をとるのか」(平成25年5月度総幹部会)と、日本国のリーダーたる総理大臣に対し、未来を想定した事態の責任を追求した。 
 では、言うところの「責任」とは、どういうことだろうか。いろいろな観点があるが、社会的に見れば「自由があることに伴って発生」する概念、とされる。自由な行為・選択に伴い、それに応じた責任が発生するのだ。
 顕正会の唯一無二のリーダーたる浅井昭衛会長の言動にも、当然のことながら大きな責任が生じている。

 浅井昭衛氏には、顕正会会長として様々な選択肢があり得た。
 妙信講の時代には、「妙信講が憎ければ潰してもよい、ただし御遺命の正義だけは取り入れていただきたい」と叫び、当時それは本気だっただろう。だから迫力もあったし、小生もそれを信じて人生を賭した。
 また、正本堂誑惑の元凶たる池田大作氏が宗門追放(創価学会は破門処分)となった時、我が身も捨てプライドも捨てて宗門復帰、という選択肢もあり得たかもしれない。そうした選択であれば、宗門に於ける御遺命の正義宣揚のためには、むしろ近道だっただろう。
 しかし浅井昭衛氏には、顕正会会長という権益の座を維持することの方が、御遺命より(実は・・)大事だったようだ。なりふり構わず、後継と目されていた長男・克衛氏を排除し、血脈断絶と称して大石寺貫首を呼び捨てするに至ってしまった。
 
 浅井昭衛氏の言説には、自身の選択に応じた重い責任がある。その迷妄たる言動は数多いが、ここではその一つだけを挙げておこう。
 「そして席上、誓願を立てさせて頂いた。『顕正会の会長として、謹んで大聖人様に誓い奉る。一千万は、あと十五年、平成二十五年までに必ず成し遂げること、堅く誓い奉る。どうか全顕正会員はこの誓願に同心し、同じ決意に立ってほしい』 と」 ( 『日蓮大聖人の仏法』 改訂版 283ページ)
 
 その平成二十五年とは、まさに今年のことである。
 「一千万は、平成二十五年までに必ず成し遂げる」と、浅井昭衛氏は顕正会会長として、自らの自由な行為・選択にもとづいて断言した。
 そして多くの会員諸氏がその言葉を信じ、「この誓願に同心し、同じ決意」に立って、かけがえのない人生を虚しい組織活動に投じた。浅井会長の妄想と妄言には、重大な責任がある。
 もちろん、「この一六〇万はまもなく二百万になり、五百万になり、一千万になる」、も同様である。
 
  浅井昭衛会長よ!、安倍総理大臣の未来の責任を、追求している場合ではない。まずは自らの虚言に、 「どのような責任をとるのか」!  
 そして、顕正会の現役幹部諸氏にも、自ら省みる選択肢は残されている。22年後の300万が、どうしてあり得るだろうか。浅井会長の荒唐無稽な妄想の片棒を担ぐなら、その発言と行動には自ずと「責任が生じる」ことを知るべきである。
 

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