Blue Flower

 国立戒壇を堅持し 二百万近きゆえに魔障

    御本仏の師子王心拝し 一筋の御奉公を

    顕正会は 「正しいから強い」のだ!

                                 顕正新聞 「不当捜索」特集号 (第1289号) 

 きょうの総幹部会も素晴らしいですねー。
 「御本尊様の功徳によってこのように幸福にならせて頂きました」 また 「夫が良き臨終をさせて頂きました」等の体験、あるいは学会から入会した人のけなげな発表、そして広宣流布への燃えるような決意の数々。まことに初めから終わりまで大感動でありました。
 まさに日蓮大聖人の仏法こそ、凡夫を仏にして下さる大法、国家を真に安泰にして下さる秘法、ゆえに三大秘法と申し上げるのであります。
 そしてこの三大秘法を日蓮大聖人の仰せのままに弘通して人を救い国を救わんと戦っているのは、日本国において顕正会以外にはない。
  

 本部会館等に仰々しい家宅捜索 

 
 ところが、この清らかな顕正会に、竜の口御法難会の前日の九月十一日、まことに仰々しい大規模な家宅捜索がなされました。
 数年前にも複数回にわたって家宅捜索がありましたが、こんどは規模が違う。
 警視庁公安部の捜査員が百余名出動して、本部会館・東京会館・神奈川会館さらに二名の顕正会員宅の計五ヶ所を捜索し、これに全テレビ局のカメラマンが同行し、当日の正午のニュースから終日、すべてのテレビ局がこれを報道したという物々しさでありました。
 
 理由を捏造して捜索
 
 この大規模捜索の理由は何かというと、警視庁発表に基づくと思われるテレビ報道によれば ―― 二名の顕正会員が、知人を折伏し入信させた際 「入信しなければ五体満足でいられなくなる」 とか 「入信したことを家族に話したら自宅に大勢で押しかけるぞ」 と脅かしたという。これが強要と暴力行為等処罰に関する法律違反に当るとして家宅捜索が行われた ―― とのことであります。
 だが事の真相は先ほど、入信させた当事者である石原重臣・第40隊支隊副長が述べたとおりです。
 「五体満足でいられなくなる」 とか 「大勢で押しかける」 などとは全く言ってない。取調べにおいても、この言葉を言ったかどうかの尋問はなく、したがって当日作成の供述調書にもそのような記載は一切ないとのこと。まさにでっち上げだということであります。
 取調べに当った刑事は、何とかして罪に陥れようと、警察にとって都合のよい供述を得るべく執拗に迫ったという。
 そして調書への署名押印を要求したが、石原君がこれを拒絶すると、「何度でも署に呼び出してやるからな」 と脅したという。これでは、どちらが強要・脅迫しているのか(大笑)。
 しかし石原君は立派ですね。堂々と大聖人様の御心、顕正会の精神に則って所信を述べている。
 
 刑事訴訟法198条
 
 私は本当に顕正会員はしっかりしていると思う。
 通常、何時間にもわたって執拗に 「言ったろ」 「やったろ」 と言われると、みな 「早く出たい」 とか、さまざまな不安から、事実と違う供述調書であっても、言われるままに署名押印してしまうことが多いのだそうです。
 そこに刑事訴訟法一九八条の五項に 「被疑者が、調書に誤のないことを申し立てたときは、これに署名押印することを求めることができる。但し、これを拒絶した場合は、この限りでない」 との規定があるのです。つまり、間違ったことが記載されている調書には、署名押印を拒否する権利があるということです。
 だが顕正会員はそんなこと知りませんよねー。顕正会員は御書のことしか知らない(大笑)。
 しかしこれからは、覚えておいたほうがよろしい(笑)。御金言のほかに、ただ一つだけ(大爆笑)、刑事訴訟法一九八条を。
 
 「正しいから強い」
 
 本当に顕正会員は強い。あの仰々しい家宅捜索を世間の人が見れば 「顕正会というのはどんな凶悪な団体なのか」 と思うに違いない。
 しかし、顕正会員は誰一人として微動もしない。かえってみんな喜んでいる(大笑)。沖縄などでは 「まだ見たことがない顕正会の本部が映ってる」 といってバンザイしていたと(大爆笑)。
 このように顕正会員は強い。なぜ強いのか。団結なんてものではない。「正しいから強いのだ」 と私は思っている。みなさんどうです。(大拍手)
 世間の人たちも、いったんは誤解するかもしれないが、誤解は深ければ深いほど、本当のことがわかった時には 「そうだったのか」 と、信頼と尊敬が深くなる。
 竜の口において、数百人の兵士たちの殺意が、あの大現証を拝見して一瞬にして帰依に変わってしまったではないか。時来たれば、真実は必ずわかるのであります。
 
 飯島勲のセリフ?
 
 さて、私はテレビでこの「押しかけるぞ」という言葉を聞いたとき、「どこかで聞いたセリフだなあ」と思った。そして思い出した。「そうだ、内閣官房参与の飯島勲のセリフだ」と(大爆笑)。
 彼は、自分の弟が入信したことを知って激怒し、入信させた長野の男子部支隊長に対し、電話で 「おまえの家でも、会社でも、押しかけてやる」 と大声で怒鳴りまくったという。これを脅迫というのです(笑)。
 権力を笠に着た飯島なら、こういう脅しもするでしょう。しかし相手の幸せを願って仏法を勧める顕正会員が、どうしてこんなヤクザのようなことを言いますか。言う必要もない。まさに警視庁の 「でっち上げ」 なのであります。
 
 告訴も不自然
 
 また入信した者が告訴したというのも、不自然ですね。誰かが裏で煽動したとしか思えない。
 また本年一月から七月までの間に、警視庁に八〇件もの苦情や相談が寄せられているという発表も、不自然ですよ。
 

 「K対策」について 

 
 いいですか。学会には 「K対策について」 と称する秘密文書があるのです。「K」とは顕正会のこと。
 この文書は、顕正会の折伏によって学会員が続々と御遺命の正義にめざめてしまうので、組織崩壊の危機を感じた学会本部が密かに作成した内部文書です。作成年月は三年前の平成二二年一月二八日。学会の全国各地域の幹部にこれが通達されております。

 文書は二枚です。一枚目には 「K対策について」 との標題のもと、「さいたま市に本部を擁するKに対し、四者各部の長と未来部・教宣部が各地域での情報を共有し・・・」 などと記したのち、次の七項目の注意事項を挙げている。

「1、Kの現状
 2、注意喚起の徹底
 3、緊急連絡体制の確立
 4、被害に対する迎撃体勢  『被害』とは『近隣徘徊、ファミレスでの人会強要、G尊(御本尊)強奪の場合を想定』
 5、通報・近隣対策
 6、情報収集
 7、定期的なK対策会議の開催」と。

 「警察に通報せよ」

 そして二枚目が 「警察への通報について(K対策会議用)」 と題されたもので、これが最重要な部分です。
 その趣旨を一言でいえば、「顕正会員が折伏に来たら、すぐ警察に通報せよ」ということです。
 この「K対策」を知らない人も大勢いると思うので、その全文を読みます。
 「今後、Kによる犯罪行為や悪質な迷惑行為については、積極的に警察に通報してまいりたい。通報するガイドラインは以下のとおり。
 〔想定されるケース〕 強引な勧誘、執拗な電話・訪問、御本尊の持ち去り、その他悪質な迷惑行為。
 〔通報に関して〕 原則は被害を受けた本人、もしくはその家族が通報する。通報する場合、通報者ば教義上対立する立場からの通報゙゙懇情的な通報゙ではなく、あくまで一市民としての立場から、犯罪行為・迷惑行為に対する通報であることに留意する」と。
 要するに、教義上のことはいっさい論ずるな。折伏されたら、ただ 「迷惑だ」 「強要だ」 「犯罪行為だ」 といって、学会員の立場は隠して一市民の立場から、警察に通報せよ、と教えているのです。おかしいでしょ。日蓮大聖人の御遺命を論じ合うのに、なぜ警察を呼ぶ必要があるのか。
 これは、顕正会員に 「御遺命に背いているから功徳がない」 と言われたら反論できない。よって警察を利用して組織防衛を図ろうという、何とも卑劣、そして苦肉の策なのであります。
 ですから、警視庁発表の 「本年一月から七月にいたるまでに八〇件におよぶ苦情が寄せられている」 というのも、この「K対策」が実行されている証拠なのであります。そして、この「K対策」の延長線上に家宅捜索があり、マスコミ報道があるのです。
 
 手口はいつも同じ
 
 過去の例を見れば、会館の捜索にいたる手口はいつも同じパターンですよ。
 まず虚偽の告訴がなされる。警察がこれを受理して顕正会員を取調べ、あるいは逮捕し、直ちに会館の家宅捜索を行う。そしてマスコミがこれを大々的に報道するというパターンです。
 背後で、これをなさしめているのが学会であることは、疑う余地がない。
 
 千葉会館のケース
 
 一例を挙げます。平成二一年一二月、千葉会館にいきなり家宅捜索が入った。
 この事件は「藤井愛」という女性が 「顕正会員数名によって入信を強要され、車に押し込まれ、逃げようとしたら 『逃げんじやねえ』 と言って暴行傷害を受けた」 旨の被害届を出したことから、千葉会館の捜索が行われたのです。
 この捜索の後、警察は藤井の供述調書を作ろうとした。本来は千葉会館捜索の前にやるべきことなのに、まず捜索ありきだったのです。
 ところが、供述調書を作成する段階になって、藤井は自身の供述に辻棲が合わなくなってしまった。そして沈黙し、泣き出し、ついには失神して救急車を呼ぶという騒ぎになった。そして翌日の再調査において、藤井はついに 「実はすべてが作り話です」 と自白したのです。
 これで、藤井は罰金刑を受け、さらに法廷尋問においては、学会幹部と接触したことも認めております。 このように、虚偽の告訴で警察を動かし、家宅捜索せしめ、テレビで大宣伝させるというのが、これまでの学会の手口でありました。
 今回の大規模な家宅捜索が、どのような手口で為されたかは、現時点ではまだ明らかではない。しかし今後、必ず諸天の働きにより、白日のもとに晒されることを私は確信しております。
 ただ現時点で言えることは、虚偽の告訴を警視庁公安部が一方的に取り上げ、百余名の捜査員を動員して本部会館等を捜索し、その捜索に向かう様子をテレビカメラに撮影させ、全テレビ局がこれを報道したという事実だけは、はっきりしている。
 
 不当捜索の目的
 
 なぜ、このようなことをするのか ――。
 その目的はただ一つ。顕正会の社会的信用を失墜させ、以て弘通を妨害せんとするところにある。
 

 重大な憲法違反 

 
 国家権力がかかる行為をすることは「信教の自由」に対する重大な侵害、憲法違反ではないか。
 憲法弟二十条には 「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」 と定められている。この「信教の自由」の中には、自ら信ずるのみならず、人にも勧める布教の自由も含まれている。
 いま顕正会員が、日蓮大聖人の仏法を広めることは憲法の保障するところであり、国家権力がこれを妨害することは絶対に許されない。
 今回の件に対し、顕正会は断固たる法的処置を取ります。
 

 学会も憲法違反

 
 また憲法は、同じく第二十条に 「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」 と定めている。
 創価学会が「公明党」なる政党を作り、その政治上の権力を行使して学会の利益を守らせているのは、明らかに憲法違反ではないか。公明党はヨーロッパの宗教政党などとは全く異質ですよ。公明党はまさに、学会の、学会による、学会のための政党、もっと端的にいえば、池田大作一人を守るために作られた政党です。
 だから選挙も学会の丸抱え。人事も、財政も、政策も、すべてが学会員によって決められている。まさに学会の「政治部」に当る存在が、この公明党なのであります。 
 
 「竹入回顧録」
 
 この実態は、竹入義勝・元公明党委員長が政界引退後に朝日新聞に執筆連載した「竹入回顧録」に明らかです。
 「委員長を引き受けるときから、人事権は学会にあると明確にされていた。選挙にしても、人事にしても、党内はみな学会を向いている。公明党は財政、組織の上で創価学会に従属していた。公明新聞や雑誌『公明』も、学会の意向が大きなウェートを占め、部数は学会の意向で決められてしまう。(中略)公明党と創価学会の関係は、環状線で互いに結ばれているのではなく、一方的に発射される放射線関係でしかなかった」 「政治が、何かの利益団体のために利益を擁護したり、代弁したりする時代は終わりつつある」と。
 「政治が」とは公明党、「何かの利益団体」とは創価学会を指している。公明党が学会の利益を守るために存在している政党であること、この竹入証言で明らかです。
 だから公明党は、学会の悪事や組織犯罪がバレたときには、必死になって党を挙げて、そのもみ消しに狂奔するのです。
 

 集団替え玉投票事件

 
 たとえば昭和四三年七月、学会は「集団替え玉投票事件」と称する前代未聞の大規模な選挙違反事件を起こした。
 このとき公明党委員長・竹人義勝は、警視総監・秦野章に頼み込み、談合の結果、これをもみ消している。この事実は、山崎正友が自著「創価学会・公明党の犯罪白書」で暴露しております。この山崎は学会の副理事長で顧問弁護士。池田大作のあらゆる悪事の片棒をかついで助けてきた男ですよ。
 池田大作がこの山崎をどれほど頼りにして来たか。彼は一枚の色紙を山崎正友に渡している。それには 「四面楚歌 君がおわせば王の道」 とある。当時、池田は窮地に陥っていた。そこで゙四面はみな敵であるが、君がいてくれれば、私は王の道を歩める゙と言ったのです。うまいか下手かは知りませんが(大笑)、とにかくバカバカしい色紙を渡したものです。
 この山友が池田に反逆して暴露本を書いたわけであります。では「集団替え玉投票事件」の部分を行成理事に読ませます。
 
 山崎正友の証言
 
 「この事件では、アパートの郵便受けから他人の投票用紙を盗み取り、これに基づいて、公明党区議会議員が住民台帳と照合し、生年月日等を調査して、同じ歳格好の人物を創価学会組織から選び出し、替え玉投票をさせた。それも、当日では本人とハチ合わせする危険があるので、投票日前に゙不在投票゙をさせる、という念の入れようであった。
 替え玉投票者は公明党区議団の控え室を訪れ、区議の紹介で、選挙管理委員会に行って不在投票をしたのであった。
 このような方法は、世田谷区、中野区等や、他の区でも行なわれた。その総数は、創価学会連絡局で掌握したところによると、五千票を越えていたということであった。
 選挙当日、投票所に行った人が、自分の名前ですでに投票されていたことを知り、届け出たのが発端となって捜査が始まった。不在投票という方法を使っていたため、資料が残っており、その投票者本人が住んでいるアパートの住人の学会員、替え玉不在投票をした人物の前後に不在投票をした人物等々、捜査が続けられた結果、警察も検察も、空前絶後の選挙違反の実態をつかみ、十人近くを逮捕し、総力を挙げて捜査に取り組んだ。
 このままでは、創価学会も公明党も致命的な打撃を受けることが避けられない情勢となり、池田大作は竹入義勝委員長(当時)に命じて、検察・警察首脳との談合をさせた。
 当時の警視総監・秦野章氏は、竹入氏と肝胆相照らす仲で、竹入氏が実情を打ち明け頼み込むと、快く承知したが、検察庁は久しぶりの大きな獲物を前に張り切っていて、なかなか手を引く気配にならなかった。その当時の、検察首脳と竹入氏の話し合いの状況が、平成十年秋、(竹人氏により)次のように述べられている。
 『替え玉投票事件では、警視庁の幹部にも陳情に行き、さんざん絞られた。東京地検にも行った。゙二度としないので勘弁してください゙ と謝ったが、地検幹部から゙ここに来ると、みんなそういうんだよ゙ とやられた。そこで゙こういう事件を二度と起こさないことを誓いまず と言ったら゙いっぺんだけ信用しよゔ といわれた。この事件は地検が大喜びで、゙地検始まって以来の事件゙ と意気込んだものだったが、幸い大がかりな事件にならずに済んだ』(『朝日新聞』平成十年九月十八日付)
 結局、この事件は検察・警察のお目こぼしを受けて、逮捕された者達だけが起訴され有罪となって終わり。組織の上層には及ばなかった」と。
 
 政治権力利用は明白
 
 これでわかるように、公明党委員長が警視総監に頼み込んで、このような重大組織犯罪をもみ消してしまったのです。
 警視総監がなぜ「うん」と言ったのか。警視庁の予算は東京都議会が握っている。その都議会において当時、公明党は二十二議席を有し、キャスチングボートを握っていた。よって警視総監も「うん」と言ったと思われる。
 これほど重大な、世界でも例を見ない組織犯罪。一般住宅から投票券を盗み取り、そのうち約五千枚を使って替え玉投票したのです。
 もしこの重大な組織犯罪が摘発され、その全容が社会に公表されたら、学会はそれで終わる。そこで公明党を使って、これをもみ消したのです。
 この行為は、憲法第二十条の 「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」 に違反していること、明々白々ではないか。
 
 藤原行正の証言
 
 この重大事件については、当時、公明党都議団副幹事長で、自らもみ消しにも関わった藤原行正が、さらに詳細に著書「池田大作の素顔」の中で証言しているので、つけ加えて紹介する。
 
 「昭和四十三年七月七日、第八回参院選の投票日に東京新宿区で『集団替え玉投票事件』という前代未聞の出来事が起こった。これは池田大作が公明党の得票数を増やすために仕組んだ悪質な選挙違反であった。
 その手口は学会の実行部隊が、他人のところへ郵送された投票所入場券約六千枚を郵便受けなどから盗みだした。その上で生年月日や年齢等を公明党区議が選挙人名簿を閲覧して調べ、替え玉を仕立てて、不在者投票をさせたというものである。
 当時の創価学会では、こうした違法行為が全国で組織的に行われ、社会の批判を浴びたが、逆に池田大作は内部には違法行為を奨励した。刑事事件になった者には『法難章』としてメダルを与え、池田会長が特別に表彰するという制度までつくられていたのである。(中略)
 世間流にいうと、とにかくバレなければ法律もクソもない、という考え方である。国会の議席を増やすという学会の目標達成こそ最優先だ、一票でも稼ぐには何をやってもいい。野望実現を焦った池田大作の異常さはまずこんな形で現れた。
 さて、『集団替え玉投票事件』の発端である。歓楽街が軒を並べる東京新宿は居住者の移動が激しい。学会関係者が事前に調べてみたら、三年間で四割近い有権者の流出入があるのがわかった。これら移動住民層は住民票の取り扱いもルーズで、選挙への関心も薄い。そうなら、彼らのアパートのポストから投票入場券をチョロまかしてしまえ。その一票で公明党の得票数を増やすことができる・・・。
 選挙直前になり、不正は実行された。しかし、悪だくみはすぐ露見してしまう。手柄を焦った実行部隊が見境なく投票入場券を抜き取ったため、被害に遭った会社員夫婦が投票所まで出向き再交付を求めたのである。ところが、だれか他人の手で投票ずみになっていた。そこで組織ぐるみの不正がバレてしまった。 投票日直後、捜査の手が及び、まず末端の実行者が逮捕された。不在者投票申請書の筆跡、指紋など動かぬ証拠があるから弁解の余地はない。
 学会上層部は大変な騒ぎになった。お家の一大事ということで、創価学会は組織をあげて証拠隠滅にかかり、学会本部に事件モミ消しのための対策本部が設置された。
 そのキャップ格は学会総務(当時)の北条浩ともう一人、かつて学会の第三渉外局長として事件モミ消しに走り回った経歴をもつ公明党委員長二年目の竹入義勝の両名だった。ほかに主だった顔ぶれは警視庁に顔がきいた公明党都議団から竜年光、藤井富雄、そして私。また学会渉外局から大野潔、吉田顕之助、館岡倉市などが出てきた。
 この事件でもそうだったが、張本人の池田大作は幹部たちが事件処理の善後策を練る場所には絶対出てこない。別室で一人報告を待っているのである。その連絡役が当時の学会顧問弁護士・山崎正友だった。幹部間で意見が分かれると、山崎が池田の部屋へ行き、二人で話し合って結論が出る。これがお定まりのパターンだった。
 この悪質な選挙違反を指揮した二人の学会幹部がいた。双方とも池田に近い幹部だが、学会組織を動かしたのが八矢英世、この男は学会参事で関連企業『創造社』代表取締役。そしてもう一人、実行部隊の青年部を動かした責任者は松山久夫現副会長であった。この松山が事件の鍵を握っていた。彼が逮捕されると計画的犯行の全容まで明るみに出てしまうおそれがあった。そこで大急ぎで手配して、まずこの男をアメリカヘ高飛びさせた。
 そのあと事実関係を調べ、上の幹部へ累が及ばないようにウソ八百のストーリーをあわててつくった。その担当は当時の第二渉外局長で現衆議院議員の大野潔。ストーリーが仕上がり、私たち対策本部の幹部が手分けしてその内容を逮捕予定者たちに教えこんだ。要するにこの事件は組織的なものではなく、個々の犯罪というデッチ上げだった。
 しかし、大野の仕立てた即席のシナリオがお粗末で、最初の偽証工作は検察当局から簡単に見破られ、捜査は次第に核心に迫ってきた。次つぎとボロが出て、学会員が連日、呼び出されてきびしい取り調べを受けた。ついに検察側は新宿区にある不在者投票申請書をすべて取り寄せ、その一枚一枚について徹底捜査する方針を固め、警視庁に協力を求めるという学会側には最悪の事態へ向かった。警視庁の選挙違反取締本部を総動員されたら、もう万事休す。創価学会の組織ぐるみの不正行為が白日のもとにさらされてしまうのは必至であった。
 『これが世間に出たら公明党はおしまいだな。ゼロからやり直すしかないな』 さすがの池田大作も覚悟を決めていた。竹人が検察首脳と会い、捜査の手加減を頼みこんだのはこの前後である。しかし、その裏工作は空振りしてしまった。検察の姿勢はきびしく、ここにいたって、学会側の対策本部は創価学会本部や公明党本部の家宅捜索を覚悟し、あわてて関係書類の焼却等の指示を出した。
 その一方で学会側が最後の頼みとした人物が警察にいた。竹入がその警察幹部に泣きついた。捜査対象が一定の幹部以上に及ばないように手加減を乞うた。先方は迷惑だったろうが、話だけは聞いてくれた。
 そこまでお膳立てした上で再び必死の偽証を組み立てた。その内容は、ちょうど青年部にドイツヘ留学する人がいたので、今度は 『この人を罪にしたくないから、私たちも仕方なく偽証したんだ』 という都合のいい筋書をこしらえ、いかにも改心したような様子を見せることにした。最後は恥も外聞もない泣き落とし戦術だった。
 しかし、こうした時間稼ぎともいうべき悪あがきも効果があった。やがて警視庁は七月末に選挙違反取締本部を解散し、結果的には末端の学会員から三十数人の逮捕者を出したにとどまった。創価学会、公明党は九死に一生を得たのである」と。
 
 藤原行正暗殺計画
 
 ついでに言えば、この藤原行正は学会首脳から強く憎まれ、暗殺計画まで立てられていたという。この驚愕すべき一件は、元公明党委員長・矢野絢也が著書「黒い手帖」の中で、次のように述べている。
 
 「黒い手帖に記載したといえば、公明党の元都議・藤原行正氏に対する学会の脅しは、書くのもはばかられる内容で、耳にしたときには身の毛がよだつ思いだった。
 藤原氏は、公明党創立当時からの古参議員で、池田氏には批判的な人物として知られていた。その藤原氏を学会が公然と敵視するようになったのは、マスコミに藤原氏の夫人と池田氏との不倫を印象付ける記事が掲載されて以来である。学会は、この情報を藤原氏側からのリークとみなし、熾烈な攻撃を始めたのだ。(中略)
 当時、公明党都議会の藤井富雄幹事長が、私の自宅を訪ねてきて、真剣な表情で、次のように依頼した。 『学会首脳が第三者を使って藤原氏の暗殺を計画している。そういうことは学会の自殺行為になる。なんとか止めてもらえないか』
 暗殺とは穏やかではない。学会首脳が藤原氏の殺害を計画しているなどとは、とても信じがたかったが、事が事である。私は当時会長だった秋谷栄之助氏に、藤井幹事長の依頼を伝えた。
 暗殺依頼が本当にあったのかどうかは、わからないが、藤井幹事長が深刻な懸念を抱いて、『取りやめ』を学会首脳陣に進言するよう、私に求めてきたのは厳然たる事実である。
 学会が暗黒街の組織のごとく、邪魔者は消せとばかりに殺人を依頼する。今でも、あれは藤井氏の杞憂だったと思いたいが、離反した議員に殺害を仄めかすような脅しを、創価学会や公明党の幹部がかけたという話は、たびたび耳にする。
 私自身、手帖強奪の過程で、議員OBから 『あなたの身に危険が及ぶ』 という趣旨の恫喝を何度も受けたし実際に幾度も身の危険を感じた。(中略) 裁判において、私が生命に及ぶ危険を覚え、畏怖するに足る背景があったことを証すため、不本意ながら今述べたような事実をあえて開示した。今後も必要があれば、私の黒い手帖に記載されている記録を裁判所が職権で閲覧することを拒まない」と。
 
 この証言に嘘はあり得ない。矢野元委員長は 「身の毛がよだつ思い」 と記しているが、いったい誰がこのようなおぞましき犯罪を計画し指示したのであろうか。これもやがて諸天が白日の下に晒すに違いない。

 投票所襲撃事件

 
 次に学会は昭和四四年七月、「練馬事件」と呼ばれる集団暴行事件を起こしている。そしてこの凶悪事件も、当時、公明党委員長だった竹入義勝が警視庁と談合してもみ消しているのです。
 山崎正友は前掲の書の中で、次のごとく暴露している。
 
 「昭和四十四年七月十三日に行なわれた東京都議会選挙では、投票日当日、練馬区第四投票所を百数十人の学会員が取り囲み、投票立会人を土下座させ、四時間半にわたって吊るし上げた上、選挙管理委員に殴る蹴るの暴行を加える、という事件が発生した。
 『練馬事件』と呼ばれるこの集団暴行事件は、当時、参謀室長の職にあった市川雄一氏(現衆議院議員)が首謀者だった。市川雄一氏は、投票締め切り時間に二分遅れて投票所に入った学会員が、投票を拒否された、ということを怒り、青年部員を引き連れて、投票所に殴り込んだのである。
 当時から、『エキセン男』として名高かった市川氏は、逆上し、大暴れしたのであるが、事件が表面化し、捜査が始まると、竹入委員長が警視庁と談合し、市川雄一氏のお目こぼしを願い、事件のもみ消しを図った。市川氏は、その後数年、地下にもぐった形となったが、ほとぼりがさめた後、代議士となってカムバックした。(中略)
 ともあれ、池田創価学会は、犯罪者を組織でかばい、警察と談合し、その犯郭者を公明党の中心にすえるという、国民をバカにした行為をしているのである。同じように、共産党宮本委員長邸盗聴の後始末に関わった神崎武法氏を、公明党委員長にすえたのも池田大作である。まことに恐るべき犯罪集団ぶりではないか」と。
 
 悪人愛敬・善人治罰は亡国を早める
 
 これらを見るに、学会・公明党の憲法違反もさることながら、警視庁のこの不公正ぶりはいったい何事か。
 憲法第十四条には「法の下の平等」が謳われている。
 しかるに顕正会に対しては、入信を勧めた際の強要・脅しという微罪、それも全くのでっち上げであるのに、いきなり仰々しい家宅捜索を強行し、顕正会の社会的信用を失墜せしめんとした。
 一方、学会に対しては、前代未聞の悪質な組織犯罪であるにもかかわらず、手心を加えてこれを見逃している。
 一切衆生成仏の大法たる日蓮大聖人の仏法を真摯に弘める顕正会は罰し、政治野心に燃えて法を犯す学会を庇護する。これを「悪人を愛敬し、善人を治罰する」というのであります。
 諸天はこれをじっと見ている。亡国が早まることは疑いない。
 

 仏法の眼で本質を見よ

 
 いいですか。警視庁公安部といえば、国家権力の中の国家権力ですよ。誰も抗うことはできない。今回、なぜこの国家権力が動いたのか。
 これを、仏法の上から見れば ―― 兄弟抄には 「此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競わずば正法と知るべからず」
 また 「行解既に勤めぬれば、三障四魔紛然として競い起こる」と。
 
 国立戒壇を堅持し 二百万近きゆえに魔障
 
 いま顕正会は、日蓮大聖人の御遺命たる「国立戒壇」を堅持する唯一の団体であり、その死身弘法はいよいよ二百万にも及ばんとしている。ゆえに魔が競い起こるのであります。
 もし国立戒壇を捨てれば、難は絶対に起きない。学会を見ればわかりますね。御書には 「魔、是の人に於て猶親の想を生す」 と仰せられている。御本仏の御遺命を捨てれば、魔はかえってその者を親のように大事にしてくれるということです。
 また、たとえ国立戒壇を堅持しても、わずか数百・数千人の団体ならば、魔は眼中に置かない。
 だが、御本仏に忠誠を貫く仏弟子の大集団が、いよいよ国をも動かす力を持つに至ったとき、魔は何としても御遺命成就を妨げんとする。
 ここに三類の強敵が競い起こる。そして三類が競い起これば、広宣流布は近いのであります。
 大聖人様は 「大悪をこれば大善きたる。すでに大謗法国にあり、大正法必ずひろまるべし」 と仰せられている。
 国家権力が顕正会を憎み妨害すればもう広宣流布は近い。「春を留めんと思へども夏となる」 と。
 誰人が妨害しようとも、広宣流布を止めることは絶対にできないのであります。
 
 大聖人のお力で順縁広布の時代が
 
 そしてここに、大事なことがある ――。それは、順縁広布という時代も、大聖人様が作って下さったということであります。
 昭和二十年の敗戦によって、国家権力による残酷な弾圧がなくなった。
 思えば、大聖人御在世より六十数年前の戦時中までの七百年間は、広く折伏を行ずれば必ず弾圧を受けたのです。あるいは苛酷な拷問、あるいは命をも奪われた。そのような時代においては、宿縁深き人々は堅く信心を持つとも、広く大衆が受持することはできない。
 しかし敗戦により「信教の自由」が保障される時代になった。もう国家権力による弾圧はない。まさしく大聖人様のお力によって、ついに順縁広布の時代が到来したのであります。ゆえに私は 「昭和二十年の敗戦こそ、広宣流布の遠序である」 と、前々から言って来たのであります。
 しかし、広宣流布が近くなれば第六天の魔王は必ず障碍する。三類の強敵も必ず妨害する。ゆえに、たとえ国家権力による拷問等のない時代になったとしても、「仏法のためには身命を惜しまぬ」 との決意がなければ、御遺命成就の御奉公はとうてい叶わない。
 今こそ、御在世の信心に立たなくてはいけない。
 
 御本仏の大教令 心腑に染めよ
 
 大聖人様は熱原の大法難のとき、門下一同に次のごとく仰せられた。
 「各々師子王の心を取り出だして、いかに人威すとも怖づる事なかれ。師子王は百獣に怖ぢず、師子の子又かくのごとし」 と。
 また竜の口の大法難まさに起こらんとする前夜には、全門下に対し、一大教令を下し給うておられる。
 「各々我が弟子となのらん人々は一人も臆し思わるべからず。乃至仏滅後二千二百二十余年が間、迦葉・阿難等、馬鳴・竜樹等、南岳・天台等、妙楽・伝教等だにも未だひろめ給わぬ、法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字、末法の始めに一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に、日蓮さきがけしたり。
和党ども二陣三陣つづきて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にも越えよかし。わづかの小島の主らが威さんを怖じては、閻魔王の責めをばいかんがすべき。仏の御使となのりながら臆せんは無下の人々なり」 と。
 何という烈々の御気魂か。まさに御本仏の師子王心を拝し奉るの思いであります。私はこの御教令を、忘れたことがない。

 時はすでに大罰の時代。首都圏直下・南海トラフの巨大地震は足下に迫り、他国侵逼の影もひたひたと迫りつつある。もう広宣流布はギリギリの最終段階なのであります。
 このとき、全顕正会員の 「一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命も惜しまず」 との切なる信心が大聖人様の御意に叶うとき、広宣流布・国立戒壇は必ず成るのであります。
 その御遺命成就のとき、晴れて大聖人様よりお誉めを賜り、天生原において全顕正会員、大地にひれ伏し紅の涙を流させて頂こうではありませんか。以上。(大拍手)
 
 

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