Blue Flower

 聖滅七三〇年の新春を迎う

   年頭の辞

   広宣流布はすでに直線コース

                         冨士大石寺顕正会会長 淺井昭衞
 
 本年は日蓮大聖人御入滅七三〇年に当る。そして御遺命のゆえに解散処分を受けた顕正会の死身弘法は、本年ついに一五〇万に達する。
 
 日蓮大聖人の唯一の御遺命は、広宣流布の暁に富士山に建立される国立戒壇である。
 この国立戒壇が建立されれば、「本門戒壇の大御本尊」の功徳・妙用によって、日本が仏国に成るのみならず、全世界の人々もこの大法を受持して仏に成らせて頂ける。そのとき地球上から戦乱と飢餓と疫病は消滅し、事の寂光土が現出する。これこそ御本仏の大願とされるところである。
 だが、これほどの大事の成就を、第六天の魔王が座視するはずがない。ゆえに広宣流布が近づけば、天魔自ら打ちくだって、正系門家の内部から御遺命を破壊しようとするのである。
 天魔はまず、正系門家における最大実力者であり、政治野心に燃える池田大作の身に入った。池田は忽ちに「国立戒壇」を捨て、「民衆立」と称して、学会員だけで建てた正本堂を「御遺命の戒壇」と偽った。
 このような大それた御遺命破壊、もし「時の貫首]さえ毅然としていれば、誰人が成し得よう。だが池田大作には、絶対権威の「法主」をも、思うままに操ることができたのだ。この力はまさに「形は人なれども、力は第六天の力なり」(上野抄)の仰せのままであった。
 
 顕正会は大事の御遺命を守り奉らんと、必死に宗門・学会を諌めた。池田大作は顕正会の口を塞がんと、宗門に解散処分を下させた。このとき顕正会は一万二千であった。
 しかしこの理不尽な解散処分により、顕正会はかえって御在世の清純な信行に立ち還った。これより、戒壇の大御本尊を遥拝しつつ、熱烈の死身弘法が展開された。この前進を恐れた池田大作は、こんどは公権力を動かして顕正会の弘通を阻止せんとした。だがこの卑劣な謀略も虚しかった。
 そして顕正会のたゆむことなき死身弘法は、本年ついに一五〇万に達せんとしているのである。これほどの不思議はない。解散処分を受けた非力弱小の一講中が、一五〇万の地涌の大集団となったのだ。
 これ全く大聖人様の御守護以外にはない。いま日本国において、日蓮大聖人の御遺命を奉じて立つ仏弟子の大集団は、ただ顕正会だけなのである。
 
 そして日本国には、いま亡国が近づきつつある。大聖人様は佐渡雪中で師子吼あそばした。
 「日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬へば宅に柱なければたもたず、人に魂なければ死人なり。日蓮は日本の人の魂なり。平左衛門既に日本の柱をたをしぬ。只今世乱れて、それともなくゆめの如くに妄語出来して此の御一門同士討ちして、後には他国よりせめらるべし」と。
 日蓮大聖人を信ずるか否かによって、日本国の有無、人類の存亡は決する――これが下種御本仏の大境界・絶大威徳であられる。かかる大聖人を流罪・死罪に処した鎌倉幕府は、仰せのごとく忽ちに北条一門に同士討ちが起こり、その後、大蒙古の責めを受けた。まさしく日本国の柱を倒さんとした天罰である。
 さらに御入滅後も、日蓮大聖人に背き続ける以上は、自界叛逆・他国侵逼は年ごとに激化増大する。これ仏法の定理である。ゆえに日興上人は「法華本門を建てられざるの間は・・・自他の叛逆歳を逐うて蜂起せん」と仰せられた。
 この現証は歴史が証明している。大聖人御入滅より幕末までの五百数十年は両統迭立、南北朝の大乱、戦国時代と、内戦すなわち自界叛逆の時代であった。明治以降は日清、日露、日中、日米戦争と、他国との戦いに引きずり込まれた。しかもその災厄は歳ごとに増大しているではないか。 
 
 だが――大罰は未だ畢ってない。なぜなら、日本一同は未だに御本仏に背き続けている。加えて、あろうことか正系門家が御遺命に背き奉ったのである。諸天いかで怒りをなさぬことかあろうか。
 ここに大聖人御予言の「前代未聞の大闘諍、一閻浮提に起こるべし」が事実となるのである。すでに御在世の大蒙古と酷似する軍事超大国・中国は、忽然として隣の大陸に姿を現わしている。その地球規模の侵略的マグマは、いま東アジア制覇に向って噴き出している。
 それが昨年九月の尖閣諸島事件であった。遠からず中国は「漁船」の大船団を繰り出し、「漁民」を装った民兵を上陸させ、尖閣を実効支配するに違いない。
 これに連動して、やがて朝鮮半島の動乱も起こされよう。そして二〇一二年をみつめて台湾統一も進められよう。中国の国産空母は現在二隻が建追申であるが、二〇二一年に実戦配備するとの予定が、数年も前倒しになると伝えられている。
 中国の日本侵略はすでに最終段階、顕正会の御奉公も最終段階。広宣流布はすでに直線コースに入っているのである。もし朝鮮半島と台湾が中国の手に落ち、空母機動部隊が日本列島を威圧するに至れば、日本の命運はここに尽きる。そのとき全日本人は始めて、国亡び命を失う恐怖に怯え戦くことであろう。
 この時、大聖人様は広宣流布をあそばす。すなわち「日本国一時に信ずる」の日が来る。日本一同に「南無日蓮大聖人」「南無妙法蓮華経」と唱え奉る日が来るのである。 
 
 この重大の御化導を手伝いまいらせるのが、御遺命を守り奉った顕正会である。
 全顕正会員は、もったいなくも大聖人様に召し出だされた地涌の菩薩である。この最終段階の御奉公こそ「仏法を得べき便り」と歓喜し、断固としてその使命を果たし、一人ひとりが仏果を遂げさせて頂こうではないか。
 
   平成二十三年元旦 
 
 

ゲスト1人 と メンバー0人 がオンラインです