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 御遺命破壊は七百年来なき大悪事

   亡国の三大災厄も仏法より事起こる

   事前告知から動執生疑・断疑生信へ

 
 いよいよ一五〇万法城が屹立する十一月を迎えました。
 仏法に背くゆえに、国まさに亡びんとする濁悪の日本国に、日蓮大聖人に忠誠を貫く一五〇万の仏弟子の大集団が出現するのであります。
 
 150万法城の意義
 
 このことがいかに重大であるか。よーく見つめてほしい。いいですか。
 日本国は七百年前、この国に出現された御本仏日蓮大聖人を誤解して怨み、流罪・死罪にし、今に至るまで背き続けている。この日本がどうして保ちましょうか。その罪禍を見れば、もう亡んで当然なのです。
 加えて、一国を諌めるべき正系門家が、あろうことか世間にへつらい、「国立戒壇建立」という御本仏の御遺命を抛って偽戒壇・正本堂まで建てた。この仏法違背により、今ついに大罰現われ、日本国は亡びんとしているのであります。
 だがこのとき、大聖人様は広宣流布をあそばす。
 ゆえに地涌の菩薩の大集団を召し出だし、一国を諌暁せしめ御本仏に帰依せしめ給う。その御奉公をさせて頂くのが、我が顕正会なのであります。
 
 事前告知から動執生疑・断疑生信ヘ
 
 そしていま顕正会の戦いも、災難の「事前告知」の段階から、眼前の大罰を指さして御本尊を信ぜしめる戦いへと進んでまいりました。
 そして七年前の平成十六年、第二回の諌暁書「再び日本国民に告ぐ 日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」を著わした。
 この書の冒頭に私は「まもなく始まる巨大地震の連発を号鐘として、国家破産、異常気象、大飢饉、大疫病等の災難が続発し、ついには亡国の大難たる自界叛逆と他国侵逼が起こる」と言い切った。
 このとき私は全顕正会員に、「前もって耳に入れておけばこそ、事の起きたとき、人々は深刻にこれを理解する」と申しました。全顕正会員が信心の真心で、この諌暁書を広く国中に配布してくれましたこと、私は心から有難く思っております。
 当時人々は、火宅にあそぶ子供のごとくでした。「覚らず、知らず、驚かず、怖じず」の人々が多かった。また顕正会を怨嫉する、御遺命を破壊せんとした学会・宗門の無道心の輩は「浅井は大地震だ他国侵逼だのと、世間を脅している。そんなことが起こるはずがない」と悪口・嘲笑していた。
 しかし私は「もしそうなったら、どうする」との大確信に立っておりました。
 
 大罰の時代に突入
 
 そして本年三月十一日、日本史上最大級の超巨大地震が発生し、日本は「大罰の時代」に突人したのです。この大地震こそ日本亡国の前相、また広宣流布成就の大瑞であります。
 この巨大地震により、現代の「大疫病」ともいうべき放射能汚染と、現代の「大飢饉」たる国家破産、さらに恐るべき他国侵逼が、人々の限にもようやく映るようになってきた。
 ここに広宣流布の戦いは、「事前告知」の段階から、いよいよ動執生疑・断疑生信へと進んできたのであります。
 
 仏法は体世間は影
 
 いま私は、亡国を招く三つの災厄たる原発災害、国家破産、他国侵逼も、すべてはこれ「仏法より事起こる」ということを、いよいよ強く確信しております。
 この狭い日本列島しかも大地動乱が始まってきたこの日本列島に、危険きわまる五十四基もの原発が建てられたのも、返済不能の大惜金が積み重なって極限に達してしまったのも、そして中国の軍事力が日本に脅威を与えるまでに大膨張したのも、すべては正系門家における御遺命破壊、すなわち偽戒壇・正本堂が建てられてからのことなのであります。
 まさに「仏法は体のごとし、世間は影のごとし。体曲れば影ななめなり」の仰せのままです。
 この歴史的事実は、三つそれぞれのグラフを作ってみれば一目瞭然です。このグラフ、顕正新聞に掲載しますから、よーく見て下さい。正本堂の大悪事から亡国の芽がむくむくと頭をもたげて来たこと、このグラフで一目瞭然であります。
 
 御遺命破壊がいかに大悪事か
 
 国立戒壇建立という、御本仏一期の御遺命を抛つことがいかに大それた悪事か――。
 このことは、日本国を仏国にし地球上の全人類を仏に成すという大聖人様の御化導を、まさに水泡に帰せしむるの大悪事なのです。
 広布前夜には、この大悪事を第六天の魔王が必ずなす。第六天の魔王というのは、仏様の化導を妨害することを目的としている。だから、下種の御本仏がいよいよ広宣流布をあそばす時、第六天の魔王が手を拱(こまね)いて見ているわけがない。必ずや動き始める。そして正系門家から「国立戒壇」を捨てさせようとするのです。
 第六天の魔王はまず、宗門信徒を支配する地位にあり最高の権力者である池田大作の身に入った。前々から政治野心を懐いていた池田大作は、魔が入るやたちまちに「国立戒壇は選挙の邪魔になる」としてこれを捨て、偽戒壇・正本堂を大石寺境内に建てることを企てた。
 「時の貫首」は、このような仏法破壊の大悪事を見たら、断固としてこれを打ち砕かなくてはいけない。それが日興上人の「衆議たりと雖も仏法に相違あらば、貫首之を摧くべき事」とのお誡めでもある。
 ところが、第六十六代・細井日達は池田大作にへつらってしまった。
 そして「国立戒壇は本宗の教義ではない」と言い放ち、さらに「正本堂こそ御遺命の戒壇である」と欺き、全信徒をたぶらかしたのです。
 また当時、宗門の教学部長で宗門第一の学者といわれていた阿部日顕は、自身の立身出世のために池田大作にへつらい、命ぜられるままに、国立戒壇を否定し正本堂を讃える二冊の悪書、すなわち「国立戒壇論の誤りについて」と「本門事の戒壇の本義」という謗法の書を著わした。
 ここに日興上人以来七百年、「国立戒壇」を唯一の宿願としてきた正系門家から、国立戒壇の御遺命は消滅してしまったのです。第六天の魔王は手を叩いて喜んだに違いない。
 だが、大聖人様はこの大悪事を許し給わない。ゆえに顕正会をして宗門・学会を諌暁せしめ、諸天をして宗門・学会を分裂・抗争せしめ、ついに正本堂を打ち砕き給うたのであります。
 
 三人の罰を見よ
 
 御遺命に背くことが、いかに大きな罪業となるか。この御遺命破壊に加わった者たちの受けた大罰を見てごらんなさい――。
 
 細井日達の罰
 
 時の貫首でありながら、池田大作に御遺命を売り渡した細井日達は、昭和五十四年七月、入院先のフジヤマ病院で急死してしまった。そばにいた二人の医師が驚き慌て、交替で数時間にわたって心臓マッサージを施したが、ついに蘇生しなかった。さきほど男子部の大平第九男子部長が、祖母の臨終について発表しておりましたが、まさに天地雲泥ですね。臨終だけは信心なのです。
 細井日達はこの急死によって、貫首としての最大の責務である「御相承」すらなし得なかったのです。
 このことは何を意味しているか――。御遺命に背く者は、すでに「貫首」ではないのです。
 大聖人様は御入滅直前に、日興上人に本門戒壇の大御本尊を付嘱し給い「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」と御遺命あそばされた。この重大な付嘱・遺命に背き奉る者は、もう貫首ではないのです。
 ゆえに大聖人様は「御相承」を許し給わなかったのであると、私は謹んで拝しております。
 
 阿部日顕の罰
 
 次の阿部日顕は、細井日達の急死を見て、池田大作と諜し合わせて「自分が相承を受けていた」とウソをついて猊座に登った。
 しかしウソはすぐバレる。一宗の僧俗から「ニセ法主」と侮蔑され、二百余名の正信会僧侶からは裁判沙汰まで起こされ、今日に至るまで「ニセ法主」の生き恥をさらしている。
 またその間、池田大作と仲間割れし、「修羅と悪竜」のごとき抗争の中に「ニセ法主」と糺弾されるだけでなく、己れの醜行のすべてを暴かれた。
 さらに、阿部日顕が腹心の河辺慈篤に語った秘密の会話が記録された、いわゆる「河辺メモ」が流出して、戒壇の大御本尊様への信さえなかったこの男の無道心の正体が、白日のもとに晒された。これ諸天が、この男の正体を暴いたのです。
 臨終をこそ恐るべしと、私は思っております。
 
 御入滅は一切衆生救済のため
 
 去る十月十三日、御大会式が厳修されました。本年はことに御入滅七三〇年の大節、そしてこれに符節を合わせるように、大罰の時代突入の号鐘たる超巨大地震が発生した。
 この御大会式において私は、久遠元初以来常住不滅の大聖人様が、なぜ入滅あそばされるのかということについて、申し述べました。
 文底下種の寿量品には「衆生を度せんが為の故に、方便して涅槃を現ず。而も実には滅度せず、常に此に住して法を説く」と。
 すなわち、一切衆生を救済するために、大聖人様は仮に入滅されるのであって、実には滅度されてない。常にここに住して法を説いておられるのである――と。
 では、御入滅がなぜ一切衆生を救うことになるのかといえば、同じく寿量品に「若し如来、常に在って滅せずと見ば、便ちきょう恣を起し、厭怠を懐き、難遭の想、恭敬の心を生ずること能わじ」――もし仏様はいつもいらっしゃる、入滅することはないのだと一切衆生が見れば、衆生は狎(な)れを生じて怠け心を起こす。そして仏様には遭い難しとの思いや、つつしみ敬う心がなくなってしまう――と。
 これでは成仏が叶わない、かえって悪道に堕する。そこで仏様は一切衆生に心からの恋慕渇仰を起こさしむるため、滅にあらざる滅を現じ給うのである――と仰せられる。
 
 逆縁広布の大慈大悲
 
 ここで、大聖人様の御振舞いを拝してごらんなさい。
 
 
 いいですか。三たびの諌暁ののちは、直ちに鎌倉を去って身延に入山あそばされているでしょ。
 国主は三たびの諌暁を受けても、なお「毒気深入」のゆえに信じない。もしそのまま鎌倉に留どまるならば、かえってきょう恣の心を生ぜしむる。よって平左衛門に「天の御気色いかり少なからず、急に見へて候。よも今年は過ごし候わじ」と仰せられ、蒙古の責めという大罰を断言し給うた。
 未驚天聴御書には、こうも仰せられている。
 「事、三箇度に及ぶ、今は諌暁を止むべし。後悔を致すこと勿れ」と。
 
 「此の国に大聖人有り」
 
 また法蓮抄には「『聖人去らん時は七難必ず起こる』等云云。当に知るべし、此の国に大聖人有りと。又知るべし、彼の聖人を国主信ぜずと云う事を」と。
 大聖人御自ら、「此の国に大聖人有り」と仰せられている。きわめて重大な御言葉です。これ「久遠元初の自受用身ここに有り」という重大の御意であります。
 かくて大聖人様は鎌倉を去られ、諸天に申し付けて大蒙古の責めを起こさしめ給うた。
 この御振舞いを謹んで拝し奉れば、まさに「此の国に大聖人有り」すなわち「久遠元初の下種の本仏この国に有り」ということを、蒙古の責めという大現証によって一国に見せしめ、一切衆生の心田に仏種を下し給うたのです。これが御在世の逆縁広布の御化導なのであります。
 
 順縁広布の時は絶対帰依・絶対信となる
 
 そして御入滅後の「末法濁悪の未来」に、諸天いかりをなし、前代未聞の大闘諍一閻浮提に起き国まさに亡びんとするとき、日本一同に「頭を地につけ掌を合わせ」るの絶対帰依・絶対信を起こさしめ、一切衆生をお救い下さる。これが順縁広布の御化導であります。
 もう一度いいます。御在世においては、国主は「毒気深入」のゆえに三度の諌暁を受けても、なお心底からの帰依はなかった。信じなかったのです。このとき大聖人様は蒙古の責めという大罰の中に、一切衆生の心田に逆縁の下種を下し給うた。
 そして順縁広布のときには、こんどは「頭を地につけ掌を合わせる」の絶対の帰依です。日本国の上一人から下万民に至るまで、頭を地につけて「南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経」「助け給え、南無日蓮大聖人」と手を合わせる時が必ず来ると仰せられている。
 この絶対帰依・絶対信により、日本一同は一生のうちに必ず仏に成らせて頂ける。さらにそれが全世界におよぶ。これが大聖人様の、一切衆生のために非滅の滅を現じ給うた大慈大悲の御化導なのであります。
 
 広布は御一人の御威徳による
 
 私はいつも言っております。「広宣流布は大聖人御一人のお力で成されるのだ」と。
 そうなんです。「末法濁悪の未来」とは、日本一同が仏法に背き続けて貪・瞋・痴の三毒いよいよ強く、門下は七百年来かってなき御遺命破壊の大悪事をなす。この時こそ、まさに「末法濁悪の未来」なのであります。
 このとき、大聖人様は、諸天に申し付けて巨大地震を連発せしめ、さらに隣国にこの国を責めしめ、同時に無数の地涌の流類を呼び出だして一国を諌暁せしめ、ついに日本一同に「助け給え、南無日蓮大聖人」「南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経」と掌を合わせて唱えしむるの、絶対帰依・絶対信を起こさしめ給うのです。すべては日蓮大聖人御一人の御威徳によるのであります。
 
 地上の戦い遅れてなるか
 
 いま諸天は大聖人様の仰せのままに励んでいる。このとき、地上の我等の戦いが遅れては、何とも申しわけない。
 大聖人様の大慈大悲と大恩徳を日本一同に教えるのは、御遺命を守り奉った顕正会以外、どこにありましょうか。
 人々に原発災害・国家破産を指摘するのも、近き将来の他国侵逼を見つめさせるのも、偏に日蓮大聖人を信ぜしめるため、お題目を唱えさせるためであります。
 さあ迎える十一月、全顕正会員が特乗号を片手に、みごと一五〇万大法城を築き上げ、晴れて大聖人様の御照覧を賜ろうではありませんか。以上。(大拍手)
 

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