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 正嘉の大地震に次ぐ今回の大地震

   大罰の時代の号鐘、広宣流布の大瑞

   広宣流布は近い、敢然と立たん

 
 きょうの総幹部会は、数々の素晴らしい登壇で、感動の極みであります。
 ことにあの巨大地震の中で、顕正会員がいかに有難い御守護を頂いていたかということ、肌身に迫りました。
 本日の集会こぞ巨大地震の中で大聖人様の御守護をこのように頂きましだとの記念として、まさに歴史的な総幹部会であったと私は思っております。
 
 松野抄講義録出来
 
 さて初めに申しておきますが、先ほど発表のごとく「松野殿御返事」講義録は四月三日前後に、いよいよ発刊されます。
 すでに皆さんが承知のごとく、この御書は、大聖人様が入信早々の松野殿に対して、何としても松野殿を仏に成さしめんとの大慈悲から、一生成仏を見つめての信心の在り方を懇切に御指南下された大事な御抄であれば、いま広布前夜に戦う顕正会員こそ、これを心肝に染めて拝さなければなりません。
 どうか、しっかりと繰り返し読み、その感激を同志とともに語り合い、いよいよ大事な四月の、大法弘通の原動力にしてほしいと念願しております。
 
 東日本巨大地震 国内観測史上の最大
 
 さて、このたび東日本を襲った巨大地震は、日本の観測史上最大のマグニチュード9・0でありました。
 死者・行方不明の数は昨日二十四日現在で二万七千人超、しかし未だその全貌はわかりません。
 大津波がいかに恐るべきものか。全日本人が改めて知りましたね。
 今回、大津波が襲った地域は、なんと青森・岩手・宮城・福島、さらに茨城・千葉までの長い沿岸です。しかも津波の高さは10メートルを超え、場所によっては20数メートルにも達したという。
 この大津波によって一瞬のうちに、市が、町が、村が消滅し、多数の人々が海に引き込まれた。この悲惨を思えば、強く胸が痛むものであります。
 
 不思議の御守護
 
 同時に、これほどの大惨事の中で、いかに全顕正会員が御本尊様の御守護を頂いたか。先ほどから多くの体験を聞き、ただ有難さでいっぱいであります。
 まさに大聖人様が「何なる世の乱れにも…」と仰せ下された大慈大悲、また「此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん」との御金言の重み、ただ身に迫り、ひれ伏すばかりであります。
 またこれほどの大災害を受ければ、みな打ちひしがれ「ただ天を仰いで恨みをのむ」という姿になって当り前なのに、顕正会員はみな強いですね。そして逞しく、明るい。
 これこそ、日蓮大聖人を杖・柱とする者の強さ、御本尊を信じ奉る者の生命力であります。大自然の猛威の前には、人間の力などはまことに小さい。だからこそ、御本尊様の御守護を頂く以外にはないのです。
 あの四条殿が、絶体絶命の闇討ちにおいて不思議にも一命を全うすることができたとき、大聖人様はこう仰せられた。
 「すぎし存命、不思議とおもはせ給へ。なにの兵法よりも法華経の兵法を用い給うべし」と。
 今後、広宣流布までは三災七難が続く。その中で、全顕正会員はいよいよ強盛の大信力を出だして、大事な大事な御奉公を貫いていかねばと、強く思うものであります。
 
 正嘉の大地震に次ぐ今回の大地震
 
 さて、今回の地震でありますが、これは、御在世の正嘉元年の巨大地震に次ぐものであると、私は思っております。
 正嘉元年には五月十八日、八月一日、八月二十三日、九月四日、十一月八日と、計五回の大地震が連発している。
 その中で八月の二回と十一月八日、この三回は巨大であった。とりわけ八月二十三日の巨大地震は、まさに前代未聞だったのです。
 
 正嘉元年八月二三日 前代未聞の巨大地震
 
 当時の史書・吾妻鏡には、こう記録されている。
 「八月二十三日、戌の刻の大地震。音有り、神社仏閣一宇として全きはなし。山岳類崩し、人屋顛倒し、築地悉く破損す。所々に地裂け破れ、其の中より火炎出ず。色青し」と。
 凄まじいですね。これで正嘉元年の巨大地震の震度がほぼわかる。
 ちなみに、震度というのは揺れの強さを示し、マグニチュードは地震の規模を示す。震度はマグニチュードの大きさと、震源域からの距離で決まるのです。
 気象庁が一九七八年に定めた震度階級によれば、震度〇から震度七までの階級が決められている。震度〇というのは「人体には感じないで、地震計に記録される程度」と説明されている。
 で、この震度階級では、震度五を強震、震度六を烈震、そして最大の震度七は激震と名づけられている。
 その「激震」はどういう内容か。こういう説明がなされている。「家屋の倒壊が三〇%以上に及び、山くずれ、地割れ、断層などを生ずる」と。これが最大の震度七ですよ。
 そこで吾妻鏡を見る。ここには「神社仏閣一宇として全きはなし」とある。神社・仏閣というのは、一般庶民の家屋とは違って極めて堅固に造られている。その神社・仏閣がことごとく倒壊してしまったということは、正嘉元年の大地震は震度七をはるかに超えたものと思われる。
 今回の東日本巨大地震の震度は、宮城県栗原市の「震度七」が最高で、あとは六以下であった。ゆえに今回の地震は、正嘉の大地震に次ぐものであると、私は思っております。
 
 正嘉元年大地震の仏法上の意義
 
 では、前代未聞の正嘉元年八月二十三日の巨大地震を、大聖人様は仏法の上から、どのように御覧あそばされていたか。
 このことは多くの御書に記されており、いかに大聖人様がこれを重視しておられたかということがわかります。
 まず立正安国論の奥書には「去ぬる正嘉元年八月二十三日戌亥の刻の大地震を見て、之を勘う」とある。立正安国論は、この正嘉元年の巨大地震を見て勘えた――と。
 また安国論御勘由来には、この地震を指して「他国より此の国を破るべき先相なり」と仰せられている。
 
 仏法より事起こる
 
 そして下山抄には「此の災夭(正嘉元年の大地震・文永元年の大彗星)は、常の政道の相違と世間の謬誤より出来せるにあらず、定めて仏法より事起こるかと勘ヘなしぬ」と。
 いいですか。この巨大地震は、通常の原因から起きたものではない。定めて仏法上のことから起きたものである――とご断定されているのです。
 この仰せを拝すると、地震にも通常の原因によるものと、仏法上の原因すなわち諸天が起こすものとの、二通りがあるということがわかる。
 
 御本仏を怨むゆえに諸天怒りをなす
 
 では「仏法より事起こる」とは、どのようなことかといえば――
 まず第一に、大慈大悲の御本仏日蓮大聖人を、一国あげて怨むゆえに、諸天怒りをなして起こすところの大罰であるということです。
 そのことを法蓮抄には「此の大瑞は他国より此の国をほろぼすべき先兆なり。乃至、予不肖の身なれども法華経を弘通する行者を、王臣人民之を怨む間、法華経の座にて守護せんと誓いをなせる地神いかりをなして身をふるい、天神身より光を出だして此の国をおどす。いかに諌むれども用いざれば、結句は人の身に入って自界叛逆せしめ、他国より責むべし」と。
 「いかに諌むれども用いざれば」とは、諸天が巨大地震・大彗星を以ていかに日本国を諌めても、なお大聖人様に対する迫害をやめなければ、ついに諸天は人々の身に人って、自界叛逆を起こさしめ、ついには他国より責めしめる――ということです。
 さらに撰時抄には「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり。此をそしり此をあだむ人を結構せん人は、閻浮第一の大難にあうべし。これは日本国をふりゆるがす正嘉の大地震、一天を罰する文永の大彗星等なり」と。
 ――日蓮大聖人は閻浮第一の法華経の行者、すなわち下種の本仏であられる。この大聖人を謗り怨む邪法の悪僧等をもてなす国主・万民等は、閻浮第一の大難にあうであろう。それが、日本国を振り揺るがす正嘉の大地震と、一天を罰する文永の大彗星等である――と。
 どうです。正嘉の大地震等が、大慈大悲の御本仏を怨むゆえの大罰であるということ、よーくわかりますね。
 
 久遠元初の自受用身ご出現の大瑞
 
 さらに、大聖人様はより深い仏法上の重大意義をお示し下されている。
 呵責謗法滅罪抄には「去ぬる正嘉元年八月二十三日戌亥の刻の大地震と文永元年七月四日の大彗星。此等は仏滅後二千二百余年の間、未だ出現せざる大瑞なり。此の大菩薩の、此の大法を持ちて出現し給うべき先瑞なるか。尺の池には丈の浪たゝず、驢吟ずるに風鳴らず、日本国の政事乱れ万民歎くに依っては、此の大瑞現じがたし。誰か知らん、法華経の滅不滅の大瑞なりと」
 まことに天馬空を行くごとき、雄大の御気魂みなぎる御文であります。
 まさしく正嘉元年の大地震等は、釈尊滅後二千二百余年の間未だ曽てなき前代未聞の大瑞である。これこそ熟脱の釈迦仏法が滅尽して、いよいよ下種の御本仏日蓮大聖人が、三大秘法を持って出現し給うべき大瑞である――と仰せられる。
 また観心本尊抄には「此を以て之を惟うに、正像に無き大地震・大彗星等出来す。此等は金翅鳥・修羅・竜神等の動変に非ず、偏に四大菩薩を出現せしむべき先兆なるか」と。
 「四大菩薩」とは、別しては上行菩薩すなわち御本仏日蓮大聖人の御事です。
 さらに顕仏未来記には「既に後五百歳の始めに相当たれり。仏法必ず東土の日本より出づべきなり。其の前相、必ず正像に超過せる天変地夭之れ有るか。乃至、去ぬる正嘉年中より今年に至るまで、或は大地震・或は大天変、宛かも仏陀の生滅の時の如し。当に知るべし、仏の如き聖人生れたまわんか、滅したまわんか。大虚に亘つて大彗星出づ、誰の王臣を以て之に対せん。当瑞大地を傾動して三たび振裂す、何れの聖賢を以て之に課せん。当に知るべし、通途世間の吉凶の大瑞には非ざるべし。惟れ偏に此の大法興廃の大瑞なり」と。
 
 まさに、釈迦仏法滅尽の末法の始め五百年に、久遠元初の自受用身日本国に出現され、三大秘法を弘宜し給うという仏法上の重大事のゆえに、正像二千年に未だ無き巨大地震・巨大彗星が、その大瑞として現われたのである――と仰せ給う。
 いま、これら重要な御文を拝して、正嘉の巨大地震の意義を端的に述べさせて頂けば――
 正嘉の大地震こそ、日本が亡ぶ他国侵逼の先相であり、それは同時に、久遠元初の御本仏出現して三大秘法を弘め給う大瑞相である、ということであります。
 
 今回の大地震の仏法上の意義
 
 そして、大聖人様の御在世は一国が怨をなした逆縁広宣流布の時であった。しかし大聖人様は「末法濁悪の未来」に、日本国の上一人より下万民に至るまで南無妙法蓮華経と唱え奉る順縁広布の時が、必ず来ると御断言であります。
 そのことを上野抄には「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」と。
 いいですか。梵天・帝釈・日月等の諸天が、今の日本を見れば、必ずこう思うに違いない。
 「日本はまだ、御本仏を無視し軽んじているのか。御在世には大恩徳まします御本仏の御頸を刎ね奉らんとし、滅後もなお背き続け、さらにいま門下まで大事の御遺命を破壊せんとしたではないか。いったい何時まで背き続けるのか。早く日蓮大聖人に帰依しなければ、もう日本は必ず亡ぶ」
 諸天は必ずこう思うに違いないのです。
 ここに、諸天は全日本人をめざめさせるために、一国に総罰を下す。これが広布前夜の「大罰の時代」なのであります。
 
 七年前の諌暁書に記す
 
 私はこのことを感じたゆえに、七年前の平成十六年の諌暁書「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」の冒頭に、こう記した。
 「日本は今、亡国の前夜を迎えている。その亡国は、どのような災難によってもたらされるのかといえば―― まもなく始まる巨大地震の連発を号鐘として、国家破産、異常気象、大飢饉、大疫病等の災難が続発し、ついには亡国の大難たる自界叛逆と他国侵逼が起こるのである。これは凡夫の私がいうのではない。日蓮大聖人が立正安国論の奥書に『未来亦然るべきか』と示されるところによる」と。
 それより七年を経て、いよいよ今、大罰の号鐘たる巨大地震が発生したのであります。
 
 巨大地震が連発する
 
 この地震は大地動乱の始めであるから、決して一回では終わらない。
 今回のマグニチュード9・0というエネルギーは、大正十二年の関東大震災の四五倍、平成七年の阪神淡路大震災の一四五〇倍ですよ。これだけの巨大地震になると、周りのプレートや断層にも多大の影響を及ぼし、余震域と無関係の地域でも大きな地震を誘発するのです。
 事実、あの巨大地震の翌十二日に発生した日本海側の秋田県沖の地震はマグニチュード6・4であった。同日の長野県北部の地震はマグニチュード6・7、いずれも東日本巨大地震に誘発された、別の地域で起きた地震です。
 同じく十五日には静岡県東部で地震が起きている。震源地は富士山頂から南方に八キロ下がった富士宮市でした。マグニチュードは6・4、震度は六強というかなり強いものであった。私はこの地震をことに注目しております。
 そしていま富士山を中心に、日本列島全体で13の活火山が一斉に活動を活発化しつつある。
 地震学者は口をそろえて、「今回の東日本巨大地震により、日本列島は地震の活動期に入った」という認識を示しております。
 この巨大地震に誘発されて、やがて首都圏直下の大地震が起こる。
 首都圏は東北とは人口密度が違う。日本国土のわずか三・六パーセントの面積に、総人口の約四分の一に当る三二〇〇万人がひしめいているのです。しかも政治・経済の中枢がここにある。もし首都圏が巨大地震に襲われたら、日本は半身不随になってしまうのです。
 首都圏直下大地震だけではない。さらに東海・東南海・南海等の巨大地震も連発する。そして種々の災難が続発したのち、ついに亡国の大難たる他国侵逼が起こるのであります。
 すべては、この国に御出現し給うた久遠元初の御本仏・日蓮大聖人を、早く全日本人に信ぜしめんとの、諸天の働きによるのです。
 
 安全神話次々に崩壊
 
 いいですか。もし諸天が日本を罰するなら、いかなる科学技術も、経済力も、軍事力も、いっさい役には立たないのです。「夫れ遅きはまりぬれば兵法もいらず」の仰せのとおりになる。
 見てごらんなさい。日本人はこれまで数々の安全神話を信じてきた。しかし今、その安全神話が次々と崩れているではないか。
 「絶対に倒壊しない」といわれていた高速道路は、阪神淡路大震災で簡単にひっくり返ってしまった。
 「日本の原子力発電は絶対安全」と科学者、政府、企業は胸を張っていた。だが今回の福島原発の大事故で、この安全神話も崩れた。
 日本経済は世界第二位で国債の信用度は世界のトップクラス、といわれてきたが、あっというまに国家破産寸前になってしまった。
 国家の安全神話は日米安全保障条約ですよ。「日米安保がある限り、アメリカは必ず守ってくれる」と日本人は長く信じて来た。しかしどこの国が、自国を犠牲にしてまで他国を守りましょうか。米中の軍事バランスが逆転するとき、この安全神話も必ず崩壊するのです。
 といって、日本は自力で国を守ることはできない。「平和を愛する諸国民の公正と信義」を信頼して生存してきた日本は、もう頼るものがないのです。
 
 慢心の者も神仏にすがる
 
 人間というのは弱いものです。どうにもならなくなると、人は必ず神仏にすがる。普段、慢心し強がっている者ほどそうです。
 今年の正月は全国の神社・仏閣に未だ曽てない多くの人が参拝したでしょう。神田の何とかいう神社には、蒼々たる企業のトップクラスまで神妙な顔つきで頭を下げていた。見通しのつかぬ大不況がこの光景を作り出したのです。
 自民党の領袖たちが、行き詰まるたびに真言の坊主に祈祷を頼み、また民主党でも大物が高野山に行って祈祷していることはすでに周知です。
 まして、国亡び我が命が危うしとなれば、政治家たちは右往左往してこぞって必ず神仏に祈る。しかし、そのような神仏に力のあるはずもない。かえって身を亡ぼし国を亡ぼすのです。
 
 日蓮大聖人に帰依せよ
 
 日蓮大聖人に帰依し、戒壇の大御本尊を信ずる以外、人も国も助かる道は断じてない。
 ゆえに聖人知三世事には「設い万祈を作すとも、日蓮を用いざれば必ず此の国今の壱岐・対馬の如くならん」と。
 また新尼抄には「諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給わざらん時、諸人皆死して無間地獄に堕つること雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん」と仰せられる。この御金言はまことに重い。
 
 大罰の時代の号鐘 広宣流布の大瑞
 
 いいですか。今回の巨大地震を仏法の眼で見れば、これまさしく――
 広布前夜の大罰の時代到来の号鐘であり、同時に、いよいよ広宣流布が成就し全日本人が救われる大瑞であります。
 まさに広宣流布は最終段階の直線コース、もうゴールが見えて来たのです。
 諸天の活発なる動きに、もし地上の戦いが遅れたら、何とも大聖人様に申しわけない。
 しかし、先ほども聞きました。大地震の被災地では入信勤行が続々と行われていると。あの大災害の中でも、顕正会員は毅然として立っているのです。私は聞きながら涙が出てきた。これこそ地涌の菩薩の魂ではないか。
 大聖人様は「軍には大将軍を魂とす。大将軍臆しぬれば、歩兵臆病なり」と。
 戦いは長の一念で決まる。
 さあ、全幹部が確信と情熱の塊となり、四月二十八日を見つめて誓願を断じて成し遂げ、大聖人様の立宗の御心に、全員で応え奉ろうではありませんか。以上。(大拍手)
 
 

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