Blue Flower

 広布最終段階みつめ 大人事を断行

   一国捨離・門下違背のゆえに亡国迫る

   「他国侵逼」に遅れてなるものか!

 
 いよいよ本日より、新しい段階の法戦開始であります。
 ただいま、期を画する組織改革と大人事を断行いたしました。すべては広布最終段階の直線コースを迎えての、私の決意であります。
 「もう日本には時間が残されていない。他国侵逼に遅れてなるものか」との思いから、決断したわけであります。
 
 組織改革
 
 まず組織改革においては、このたび壮年部を男子部に合流させ、男子部一本の組織といたしました。
 関東圏を除く全国各県では、すでに男子・壮年は一体になっている。そして一昨年の三万結集の男子部大会には壮年部も参加して、同じ誓い、同じ決意に立っている。
 ここに直線コースを迎えた今、もう男子・壮年の別はない。共に三大秘法を持つ日本男児、広宣流布に戦う日本男児として、一体の組織で戦う時が来たのであります。
 一月十六日の日曜勤行のあと、壮年部の地区部長会を開いて私はこの思いを述べた。全員が大歓喜して、全く新しい決意に立ってくれました。
 
 三本の柱で直線コース驀進
 
 これで、広布最終段階の直線コースは、男子部、女子部、婦人部の、三本の柱で戦うことが確定いたしました。
 三本の柱はそれぞれ、立派な全国組織であります。
 思い起こせば昭和六十年代、まだ顕正会が東京中心の首都圏だけの組織だったとき、私は早く全国組織を作らねばと思い「点を結んで線となし、線を結んで面となす。この面が日本列島を覆うときが広宣流布である」と言って、全国に折伏弘通を進めた。
 そして現在、まだ地方会館が建っていない県は、あと十五府県だけとなりました。一年に三会館ずつ建てても、あと五年で全県に建つ。
 いよいよ御遺命を奉ずる地涌の菩薩の流類の広がりが、日本列島を覆う時が来たのであります。
 今回の大人事で、男子部は全国に第一男子部から第十三男子部まで、隊の数は八十ヶ隊。
 また女子部は第一女子部から第十八女子部まで、区の数はついに百ヶ区になった。 さらに婦人部は第一婦人部から第十三婦人部まで、支区の数は五十一ヶ支区であります。
 いずれも堂々たる全国組織であります。この三本の柱を以て、広布最終段階の直線コースを驀進する。
 
 三者の大会を
 
 そしてこの直線コースを進む中間に、三者それぞれ、大会を開いていきたい。
 まず婦人部は来年八月に、二万人の婦人部大会を開催する。
 ついで女子部は再来年の八月、三万人の女子部大会を開催する。
 そしてその次の年、平成二十六年八月に、男子部はいよいよ五万人の男子部大会を開催する。この五万結集が成れば、男子十万の結集も必ず或る。
 同時に、顕正会の死身弘法もやがて二〇〇万、三〇〇万となる。この地涌の菩薩の大集団が心を一にして、国まさに亡びんとする日本国において「日蓮大聖人に帰依し奉れ」と一国をゆるがす大諫暁に立つとき大聖人様は諸天に申し付け必ず広宣流布をあそばす。
 「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本一時に信ずる事あるべし」との仰せはこのことであると私は深く拝し奉っております。
 さあ、前進を開始しよう。
 一月の誓願は一万二千とします。今年は大寒波が襲来しておりますが、佐渡雪中の大聖人様を偲び奉って、敢然と立ち、御本尊様の功徳弘めたい。みなさん、どうでしょうか。(大拍手)
 
 御遺命の大事 全員が心肝に
 
 先ほど、理事長から本年の教学試験について報告がありましたが、受験者が三万人を超えたとは凄いですね。まさに歓喜と、情熱と、真剣さみなぎる教学試験でした。このような試験は、世間では絶対に見ることができない。
 大聖人様は「行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」と。
 この仰せのままに、いま顕正会員は、我も唱え人にも勧め、そして信心より起こる教学に励んでいるのであります。
 
 なぜ御遺命破壊が起きたのか
 
 ことに本年の教学は、時に当って大事な御遺命の正義を、全顕正会員が心肝に染めさせて頂いた。
 どうです。みなさんは学んで、改めて思ったでしょ。
 国立戒壇建立の御遺命は、御本仏一期の大事である。ゆえに日興上人以来第六十五世日淳上人にいたるまでの七百年間、「国立戒壇」は正系門家の唯一の宿願となっていた。
 それがなぜ、このように抹殺されんとしたのか。なぜこのようなことが正系門家に起きたのか。不思議にすら思ったことでしょう。
 
 第六天の魔王の障礙
 
 いいですか。これが魔の障礙なのです。
 下種御本仏の御遺命が成就されるという大仏事を、第六天の魔王が拱手傍観しているわけがないのです。ゆえに広宣流布前夜には、必ず第六天の魔王自ら打ち下って、御本仏の御遺命を破壊しようとするのであります。
 最蓮房御返事には「第六天の魔王智者の身に入りで、正師を邪師となし、善師を悪師となす。経に『悪鬼其の身に入る』とは是れなり。日蓮智者に非ずと雖も、第六天の魔王我が身に入らんとするに、兼ての用心深ければ身によせつけず」と仰せられている。
 大聖人御在世には、第六天の魔王が自ら打ち下って、国中の智者の身に入って正師を邪師とし、善師を悪師にする。さらに第六天の魔王は大聖人の御身にまで入ろうとするが、大聖人様は兼ねてからの用心が深いので、魔を身によせつけない――と仰せられる。
 ですから、信心の薄い者、名利の強い者には、必ず魔が便りを得る。仏法は外からは壊わせない。そこで第六天の魔王ば宗門の内部からこれを壊そうとするのです。
 
 形は人、力は第六天
 
 天魔はまず、宗門の最大実力者であり政治野心に燃える池田大作の身に入った。そして国立戒壇を捨てさせ、偽戒壇・正本堂を建てさせた。
 池田はこの大それた謀りをするのに、信徒の誰人も背けぬ「法主」の権威を利用した。すなわち六十六代・六十七代の二代の貫首に国立戒壇を否定させ、「正本堂こそ御遺命の戒壇だ」と言わせた。この池田の力はまさしく「形は人なれども、力は第六天の力なり」の仰せのままですね。
 二代にわたる貫首は信心うすきゆえに、ただ池田の威を恐れ、その金力にへつらい、大事の御遺命を売り渡してしまったのです。
 
 二代の貫首のたばかり
 
 ここに「法主」の権威を以て、白を黒といい、天を地といい、東を西というほどの謀り、ペテンが行われたのであります。
 たとえば広宣流布をごまかすために、二人の貫首はこんなことも言いましたね。
 
 「舎衛の三億だから、今はもう広宣流布だ」とか「広宣流布は終着点のない流れ自体」だとか「いつが広宣流布かは法主が決める」だとか。
 また国立戒壇を否定するためには「国立戒壇は御書にはない」とか「国立戒壇は田中智学が言い出した」とか「国教でないから国立戒壇はない」とか「世界宗教だから国立戒壇はない」だとか、あるいは三大秘法抄の文意をねじ曲げて「勅宣並びに御教書は建築許可証にすぎない」とも言った。
 
 細井日達の浅ましき自語相違
 
 ことに細井日達管長の自証相違など、まことに浅ましいばかりであった。
 たとえば国立戒壇について、曽ては「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが日蓮正宗の使命である」と言っていたのに、正本堂のたばかりをした後では「国立戒壇は本宗の教義ではない」と変更した。
 また事の戒壇についても、曽ては「事の戒壇とは、広宣流布の時の国立の戒壇であります」と正論を述べていたのに、あっというまに「戒壇の大御本尊ましますところは、いつでもどこでも事の戒壇である」となった。
 このようなたばかりを、誰人も背けぬ貫首が言い出したら仏法は破壊されてしまう。
 しかしこのような事態が、広宣流布の前夜には必ず起こるのです。
 ゆえに日興上人はその非常事態に備えて「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事」と、厳しく御遺誡されたのであります。
 細井日達はこの一条についても、曽ては次のごとく正しく解釈していた。
 「貫首であっても己義を構えたら、その説は勿論、その貫首を用いてはいけない。日興上人は大聖人の仏法を守るためには、かくのごとく厳格であった」(取意)と。
 ところが正本堂のたばかりをした後は、自分の立場を守るためにこうねじ曲げた。
 「貫首は誰でも採用することができる。しかし己義を構える弟子を用いてはならない。つまりこの一条は貫首の権限を示したものである」(取意)と。
 このような卑劣な二枚舌は、世間の者ですら恥とする。いわんや仏法の世界においておやです。ところが正系門家の貫首が、このような見えすいた二枚舌を使って全信徒をだましたのです。
 まさしく魔が貫首の身に入って大事な御遺命を破壊せんとしたのが、この姿だったのであります。
 
 大聖人は許し給わず
 
 だが、大聖人様はこれを断じてお許しあそばさない。よって顕正会をして諫暁せしめ、諸天をして正本堂を打ち砕かしめ給うたのであります。
 さらに、御遺命を破壊せんとした者どもが受けた、大罰を見てごらんなさい。
 
 口則閉塞、頭破七分
 
 あれほど権勢を誇った池田大作は、「日蓮が申す事を背き給わば、蘇我が如くなるべし」の仰せのままに、ついにいま「生ける屍」のごとくになってしまった。
 彼は昨年五月十三日に開かれた本部幹部会を最後に、今日にいたるまで一切の集会に姿を見せなくなってしまった。その病状は極秘にされているが、密かに伝えられるところによれば、呂律がまわらず、しゃべれない。また判断力を失っているごとく、とも伝えられております。
 法華経には「口則閉塞」(口則ち閉じ塞がらん)とある...。また「頭破七分」(頭七分に破れん)とも説かれている。
 大聖人様は聖人知三世事に「日蓮は是れ法華経の行者なり。乃至、軽毀する人は頭七分に破れ、信ずる者は福を安明に積まん」と仰せられている。
 これを以て思うに、大聖人様を軽んじて一期の御遺命たる「国立戒壇」を毀るならば、「口則閉塞」「頭破七分」も当然であると、私は思っております。
 それだけではない。顕立正意抄には「我弟子等の中にも信心薄淡き者は、臨終の時、阿鼻獄の相を現ずべし」と。
 この大罰をこそ恐るべきであります。
 
 「御相承の授受不能」
 
 では、「時の貫首」として御遺命を破壊せんとした細井日達・阿部日顕の罰はどうか。
 二人は共に顕正会の諫暁を機に、池田大作と仲間割れを起こし、その後池田大作から大いに苦しめられた。しかし、こんなことは小罰であります。
 最大の罰は、「御相承の授受」ができなかったことです。
 御相承は歴代の貫首上人にとって最大の責務ですよ。しかし細井日達は臨終思うようにならず、大事な御相承をなし得ずに急死を遂げてしまった。
 これ、大聖人様がお許しにならなかったのです。
 いいですか。
 御付嘱状に背いて国立戒壇を否定する者は貫首ではない。だから授ける資格がないのです。また阿部日顕はさらに御遺命違背の者、よって受ける資格などない。
 ゆえに大聖人様は「御相承の授受」を許し給わなかったものと、私は謹んで拝し奉っております。
 だが、下種仏法の金口の血脈は微動だにするものではない。国立戒壇堅持の貫首上人が出現されれば、たちまちに血脈は蘇る。
 ただ、御遺命に背く貫首を、大聖人様は許し給わぬのであります。
 
 仏法は体、世間は影
 
 御遺命に背くことがどれほど重く、恐ろしいことか。信心のない者にはわからない。だが一分でも仏法を学び、信心があれば、これほど恐ろしいことはないのであります。
 いいですか。仏法は体、世間は影ですよ。正系門家の貫首が大事の御遺命に背いてしまった。ここに報恩抄の「法王すでに国に失せぬ、人王あに安穏ならんや」という事態がいま日本国に現出しているのです。
 そしてそれが「我が国に、此の国を領すべき人なきかのゆへに、大蒙古国は起こるとみへたり」の仰せのままに、いま大蒙古のごとき中国が台頭して、我が国を襲わんとしているのであります。
 
 災いを千里の外より招く 
 
 中国の尋常ならざる急膨張を見てごらんなさい。その軍事費は公表されているだけで、過去二十二年間、連続二ケタ増ですよ。こんな国は世界で中国一つしかない。 この異常な軍事膨張は今、世界各地で軋轢を起こしていますね。
 
 潜水艦増強と対艦弾道ミサイル
 
 その中国が、現在もっとも力を注いでいるのが、西太平洋への進出であります。
 しかしこの進出を成し遂げるには、アメリカの空母を西太平洋から閉め出さなければならない。ゆえに中国はこれまで潜水艦増強に力を注いできた。これだけでも、米空母にとっては大きな脅威であった。
 ところが中国はこの潜水艦増強と並んで、米海軍がもっとも恐れていた新兵器、対艦弾道ミサイル(ASBM)を完成させ、すでに部隊配備を始めたと、昨年十二月、ウィラード米太平洋軍司令官が発表しております。
 この対艦ミサイル(ASBM)は、はるか彼方の洋上を航行する空母を攻撃でき、しかも防御が難しいことから「空母キラー」と呼ばれている。
 通常の弾道ミサイルは「撃ちっ放し」でしょ。外れたらそのまま。だがこの新兵器は動く標的を追って軌道修正することができる。そして目標に到達するや、多数の弾頭がばら撒かれ、空母の飛行甲板に当たれば、たとえ沈没を免れたとしても飛行機の離着艦ができなくなるという凄い兵器です。
 潜水艦と並んでこの対艦弾道ミサイルが部隊配備されたことで、米海軍の作戦行動は著しく制限される。極東海域に空母を入れることは「もう怖い」ということになっているのであります。
 
 日本海に中国の軍港
 
 また中国軍は先月、北朝鮮の経済特区で日本海に面している羅先(らそん)市に、部隊を進駐させた。
 この羅先市には羅津(らしん)港という港がある。中国はこの港湾の使用権を北朝鮮から十年契約で獲得し、今その港湾施設を造っている。その警備と在留中国人保護という名目で、中国軍が駐留したわけです。
 この軍隊は朝鮮半島有事の際には、中国の大部隊の先遣隊となるに違いない。
 いま建設中の羅津港には、やがて中国の軍艦が出入りするようになる。日本海に画した羅津港に中国の海軍基地が築かれたら、日本の喉元に匕首(あいくち)が突き付けられたのと同じです。
 
 新潟市に中国総領事館
 
 羅津港の南には、日本海をはさんで新潟市がある。
 そしてこの新潟市に、中国総領事館とチャイナタウンを作る計画が、中国政府から持ちかけられた。
 新潟市は県と連携して、昨年六月すでに中国総領事館を誘致した。ところが中国側はわずか二ヶ月後に「移転したい」として、市立小学校跡地の約五千坪の売却を市に打診してきた。
 財政困難な市は喜んでそれを受け入れようとしたが、不安を感じた住民の反対運動が起こり、土地売却はいま辛じてストップしている。
 もし大規模な総領事館とチャイナタウンが実現すれば、中国は新潟市に中国人を大量に入植させる計画だったのです。そうなれば、総領事館と在留中国人保護の名目で、いつ人民解放軍が進駐してくるかもしれない。
 すでに南からは尖閣諸島と沖縄に狙いがつけられ、日本海側からもこの圧力です。このように中国は着々と日本列島を制圧せんとしている。
 ゆえに私は「もう広布最終段階は直線コースに入っている」というのであります。
 
 人民解放軍が主導
 
 ことに最近の中国情勢で気になるのは、政府が軍を指導しているのではなく、軍が政府を動かしているという事実です。人民解放軍がそこまで強力になってきたということであります。
 一例を挙げれば今月十一日、アメリカのゲーツ国防長官が訪中して胡錦涛国家主席と会談した際、その直前に、人民解放軍が開発中のステルス戦闘機「織20」の試験飛行が行われたので、ゲーツ長官が胡錦涛に「これは私の訪中に合わせたものか」と尋ねたところ、胡錦涛はこのテスト飛行の実施を知らされていなかったことがわかった。これを見てゲーツ長官は驚き、北京での記者会見で、中国軍の文民統制について「懸念を懐いている」と述べていた。
 昨年の尖閣諸島侵犯事件も、人民解放軍の戦略に基き行われたものです。温家宝の発言なども、すべて軍の意向が投影されていますね。
 
 「体に影のそうがごとく」
 
 このように、人民解放軍が主導する中国が、いよいよ日本に狙いをつけている。これ、諸天の働きであります。
 大聖人様は十字御書に「今日本国の、法華経をかたきとしてわざわいを千里の外より招き出せり。乃至、法華経をかたきとする人の国は、体にかげのそうがごとくわざわい来るべし」と仰せられている。
 日本は日蓮大聖人御出現の本国にもかかわらず、これまで背き続けてきた。加えていま、正系門家まで御遺命に背いてしまった。どうして諸天、怒りをなさぬ道理がありましょうか。
 ここに「体にかげのそうがごとく」恐ろしい他国侵逼が、日本を襲わんとしているのであります。この他国侵逼は仏法のゆえに起きたものであれば、日蓮大聖人に帰依しなければ絶対におさまらない。対治できなければ日本は必ず亡ぶ。
 このとき、大聖人様は広宣流布をあそばす。この重大な御化導をお手伝い申し上げるのは、御遺命を守り奉った顕正会以外、どこにありましょうか。
 ゆえに私は「他国侵逼に遅れてなるものか」と決意しているのであります。
 大聖人様はお待ちあそばす。
 さあ、全顕正会が立ち、まず本年、歓喜の中に一五〇万大法城の石垣を全員で積み、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。(大拍手)
 

ゲスト1人 と メンバー0人 がオンラインです