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  「法に過ぐれば罰あたりぬるなり」

     国家存亡の危機を誰人も知らず

     男子部大食特集号を全日本人に

              顕正新聞 平成26年11月5日(1325)号
 
 きょうの総幹部会も大感動ですね。一人ひとりの熱烈な信心の登壇を開いておりまして、ただ胸打たれる思いでした。
 
  大事の月十月の大熱気
 
 さて、この十月は、まことに重大な月でした。
 十月十三日には、何よりも大事な御大会式を奉修し、御報恩の赤誠を尽くさせて頂いた。さらに男子部大会のビデオ放映が全国で開催され、全顕正会員がこれに参加いたしました。
 先ほども相次いでその感動と決意が述べられましたが、このたびの男子部大会は、男子部だけではない、まさに全顕正会の出陣だったのであります。
 そうでしょ。二〇年代の広布の決戦場を見据えて、一昨年の婦人部大会、昨年の女子部大会と年々開いてまいりましたが、その間、歳を逐って日本は行き詰ってきた。
 そして男子部大会の直前に、日本が国家存亡の渕に立たされている事実がわかった。もう広宣流布・国立戒壇建立以外に日本の救われる道はない。いよいよ広宣流布の時が来たのです。そして、このとき聞かれた男子部大会であれば、まさに全顕正会の出陣なのであります。
 今、五年後の二百万達成を見つめて、全顕正会の折伏弘通の前進は凄まじいですね。九・十・十一の法戦はこの十月で誓願達成の勢いです。また男子部大会特集号の配布も爆発的です。
 そしてこの折伏も、特集号配布も、すべてが地涌の菩薩の誇りと確信と大情熱で行われていること、私は何とも有難く思っております。
 

  日本国の存亡の危機、誰も知らず

 
 いま日本の人々は、日本が国家存亡の危機に直面していることをまだ知らない。顕正会員はこのことを、全日本人に知らせなければなりません。
 重ねて日本の危機について、簡略に申します。
 
  米国の占領目的
 
 日本は昭和二〇年に悲惨な敗戦をした。しかし大罰はこれで終わったのではない。大罰はいよいよこれからであります。
 敗戦のとき、占領軍として日本に乗り込んできたマッカーサーの占領目的は、日本が二度とアメリカを脅かす国にならぬよう弱体化することにあった。すなわちアメリカの保護がなくては存立できぬ国にするというのが占領目的だったのです。そこで、アメリカは、日本に与えた日本国憲法の第九条に「戦争放棄」「交戦権否認」「戦力不保持」を定めた。
 世界中でこういう国はないのです。戦争はしない、交戦権も放棄した、したがって武力は一切持たないという国になったのです。
 
  自衛隊は米軍の補完戦力
 
 では、なぜいま自衛隊があるのかというと、その後、朝鮮戦争が起き、アメリカの都合と要請により警察予備隊というのが作られ、それが徐々に発展して今の自衛隊になっているのです。
 しかし自衛隊はあくまで米軍の補完的な戦力であって、自主防衛はできない。依然としてアメリカの保障がなければ存立できない国になっているのです。
 
  日米安全保障条約
 
 その「アメリカの保護」が、まさしく日米安全保障条約なのであります。かくて日本は国家の防衛という、国にとって最も大事なことをアメリカに委ねたまま、ヌクヌクとカネ儲けだけに専念する国になった。
 しかしアメリカは決して好意で日本を守っているのではない。だからタダでは守らない。日本が儲けたカネで米国債をどんどん買わせた。この米国債は売れないから、貢いでいるのと同じです。
 
  「属国的平和」
 
 また日本の富を吸い上げるために、さまざまな要求を突きつける。一九九四年からは「年次改革要望書」なるものを送り付けては日本の国富を吸い上げている。
 郵政民営化などもその一つ、TPPなどもそうです。゛守ってやるからカネを出せ゛ということです。暴力団の「みかじめ料」みたいなものです。
 それでも守ってもらっていれば、随わなければ国の安全が保てない。これを「属国的平和」というのであります。
 
  地殻変動おこる
 
 しかしついに今、この属国的平和が崩れる時が来た。すなわち諸天の働きにより、中国の台頭、アメリカの衰退という歴史的な地殻変動が起きてきたのです。
 アメリカはこれまで世界を一極支配してきた覇権国であった。その強大な核戦力の前には、中国もロシアも手が出なかった。その「核の傘」で日本は守られてきたのです。
 だが、中国の核戦力はアメリカを凌駕し、ついに今、米国全土を制し得る核兵器を持つに至った。それが新型大陸間弾道ミサイルの「東風41」と、潜水艦発射弾道ミサイルの「巨浪2」であります。
 「東風41」については数年前の開発段階から、世界各国の軍事筋がこれに注目していた。日本の専門家もフォローしていた。私も数年前からこの動向をじっと見つめておりました。
 その中で、米国防総省が本年六月に発表した「中国の軍事力に関する年次報告書」においては、この東風41を「アメリカの安全保障上の重大な脅威」と位置づけていた。しかし当の中国は黙っていた。
 そして、その中国がついに八月二月、「東風41」の存在を公式に認めたのです。
 
  先制攻撃と報復能力
 
 「東風41」は米国全土を射程に収める多弾頭型である。たった一基で数千万人を一挙に殺害できるという恐るべきものです。また対応速度が極めて速いので、米国のミサイル防衛システムをも破ることができる。この東風41と巨浪2によって、中国は先制攻撃能力と報復能力を併せ持ったのです。
 全面戦争ができない民主主義国家のアメリカは、これでもう手出しができなくなった。ということは、日本を「核の傘」で守ることもできなくなったということであります。
 中国の国家目標は「二〇二〇年代にアジアから米国勢力を駆逐して、大中華帝国を築いてアジアに君臨する」というものです。そしてこの国家目標を可能ならしめるものこそ、「東風41」と「巨浪2」の決定的な核戦力だったのであります。
 これでアメリカは、中国の太平洋進出に随って、じりじりと後退せざるを得なくなった。やがて中国の思惑どおりにアジアから撤退し、さらに安保条約の解消もあり得る事態となったのであります。
 
  安保条約は日本の生命維持装置
 
 いいですか。日米安全保障条約というのは、言ってみれば、日本の生命維持装置ですよ。これがなくなれば日本は存立できない。そして、この安保条約の解消をもっとも強く望んで、様々な工作しているのが中国です。
 遠からずアメリカは国益のために、この条約を解消せざるを得なくなる。それは二〇年代に起こると私は思っている。同時に日本への侵略が始まるのです。もしこの侵略に抗して戦えば日本全土は廃墟となる。もし屈伏すれば日本は中国の属領となってすべてが奪われる。これが亡国です。
 まさに日本は今、国家存亡の渕に立っているのであります。
 

  「佞人は危うきに居て安きを欲う」

 
 しかし日本の人々は誰もこれを知らない。政治家は驕って事態の深刻さを見つめようとしない。眼前の人気取りに心を奪われ、国家の安危を憂えないのです。
 大聖人様は富木殿御書に「夫れ賢人は安きに居て危うきを欲い、佞人は危うきに居て安きを欲う」と。
 賢人というのは、まだ事が起こらぬ以前に将来の危機を憂えるが、愚かで心の曲がった者は、危機が眼前に追っているのに目先の安逸を貪るものである――と仰せられる。
 
  佞人の典型
 
 安倍首相などはまさに佞人の典型ですね。国家の安危は思わない、目先の支持率アップだけを狙い、権力に驕っている。
 見てごらんなさい。彼は九月に内閣改造をして五人の女性閣僚を並べた。「女性が輝く社会」の看板にしたかったのでしょう。そして国連総会に出席してヒラリー・クリントンに「五人の女性閣僚を作りました」と伝え、「絶讃してくれた」と自讃していた。
 
  二大臣が同日辞任
 
 ところが、忽ちに女性大臣が次々とボロを出した。
 五人のうち、ことに安倍首相が目玉にしていたのが小渕優子経産大臣でしたね。経産省というのは原発を所轄しているが、小渕優子は原発については全くの素人、何もわからない。ただの人気取りで大臣にされたのです。だから原発再稼働についても、経産省の役人が作ったメモを読み上げているだけ。しかし人気取りのつもりが、政治資金問題でわずか一ヶ月半できのう辞任しましたね。
 また松島みどり法務大臣。これも「うちわ問題」で刑事告発されて、きのう辞任した。あの記者会見みていると、なんと憎たらしい顔しているのかと(爆笑)。どうしてああいうような……、もう、これ以上、言っちゃいけない(大爆笑)。
 一日のうちに二人の閣僚が相次いで辞任などというのは前代未聞です。明治の伊藤博文初代内閣以来のことです。
 この二人だけではない。高市早苗総務大臣は極右のネオナチ団体の代表と仲良く写真に収まっているのが暴露され、山谷えり子・国家公安委員長・拉致問題担当大臣も、ヘイトスピーチを続けている排外主義団体の幹部と記念写真を撮っていたのが暴露された。さらに彼女の場合には統一教会との絡みもある。
 このように、人気取りのための閣僚人事がかえって政権に大打撃を与えた。まさに「運きはまりぬれば兵法もいらず」の仰せのままであります。
 
  支持率アップだけが狙い
 
 また安倍首相が、一千兆円を超す大借金を顧みずに異次元金融緩和をしたのも、国民の大事な年金積立金を株式市場に注ぎ込むのも、成長戦略の目玉として博打場のカジノを作るのも、すべては目先のごまかし、ペテンです。支持率アップだけが狙いです。こういうのを、佞人というのであります。
 さらに二〇二〇年のオリンピック招致も軽薄のきわみ、浮れてますね。「アンダーコントロール」などとごまかして招致したが、福島原発の汚染水はどうにも止まらないではないか。地下水の汚染は今月一五日の調査で、「セシウムが一ミリリットル当り二六万四〇〇〇ベクレルで、過去最高値」と、東電が発表している。この汚染水はすべて海に流出しているのです。何が「アンダーコントロール」か、これもペテンですね。
 またこのところ、著名な地震学者や火山学者が相次いで五年以内の「首都圏巨大地震」と「富士山噴火」の予測を発表している。これらの学者の予測が当るかどうかは別として、三年前の3・11超巨大地震以降、日本列島の地殻が不安定になって「大地動乱」の時代に入っていることだけは一点の疑いもない。
 しかるに、これを少しも憂えることなく、六年後のオリンピックに浮かれている政治家たちは、いったいどんな神経をしているのかと私は思う。
 
  「酔えるが如く狂えるが如し」
 
 このような佞人たちには、眼前に迫る国家存亡の危機は見えない。「酔えるが如く狂えるが如し」(顕立正意抄)とは、このことであります。
 況んやこの危機が「仏法より事起こる」とは、とうてい知るべくもない。これを全日本人に教えるのが、仏弟子たる顕正会の大使命であります。
 

  「法に過ぐれば罰あたりぬるなり」

 
 今、この国家存亡の危機が「仏法より事起こる」ということを、改めて下種本仏成道御書の御教示により拝したい。いいですか。こう仰せられているのです。
 「教主釈尊の御使なれば、天照太神・正八幡宮も頭をかたぶけ手を合わせて地に伏し給うべき事なり。法華経の行者をば、梵釈左右に侍り日月前後を照らし給う。かかる日蓮を用いぬるとも、悪しく敬わば国亡ぶべし。何に況んや数百人に憎ませ、二度まで流しぬ。此の国の亡びん事疑いなかるべけれども、且く禁をなして、国をたすけ給えと日蓮がひかうればこそ、今までは安穏にありつれども、法に過ぐれば罰あたりぬるなり」と。
 
  梵天・帝釈も左右に侍る
 
 大聖人様はまず御自身の大境界について「教主釈尊の御使なれば、天照太神・正八幡宮も頭をかたぶけ手を合わせて地に伏し給うべき事なり。法華経の行者をば、梵釈左右に侍り日月前後を照らし給う」と仰せでしょう。
 「教主釈尊の御使」とは、外用・上行菩薩のお立場です。仏勅使であれば、日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩も頭をかたぶけ、手を合わせ、地に伏し給うのである――と。
 また「法華経の行者」とは、内証深秘の辺、すなわち久遠元初の自受用身のお立場です。この久遠元初の自受用身に対しては、日本守護の天照大神・八幡大菩薩とは比較にならぬ、宇宙的スケールを有する最上位の諸天たる、梵天・帝釈も左右に侍り日月も前後を照らし給うのである――と。
 これが大聖人様の大境界なのであります。
 
  悪しく敬えば国亡ぶ
 
 次いで仰せられる。「かかる日蓮を用いぬるとも、悪しく敬わば国亡ぶべし。何に況んや数百人に憎ませ、二度まで流しぬ」
 ――かかる絶大威徳まします日蓮大聖人をもし用いたとしても、「悪しく敬う」すなわち間違った敬い方をするならば国は亡ぶ。況んや数百人の兵士たちに憎ませて竜の口で類を切らんとし、二度まで流罪するにおいておや――と。
 
  「悪しく敬う」とは
 
 この「悪しく敬う」とは、どのようなことか。一例を挙げます。
 大正十一年に、国柱会の田中智学や顕本法華宗の本多日生などが音頭を取って、身延派をはじめとする不相伝日蓮宗各派が、挙って宮内庁に「天皇陛下より日蓮聖人に対し大師号を賜わりたい」との請願を出したことがあった。
 こういうことです。彼らは「最澄には『伝教大師』という大師号が、また空海には『弘法大師』の諡(し)号が時の天子から下されている。どうか日蓮聖人には『立正大師』という諡号を降賜(こうし)して頂けないでしょうか」と、宮内大臣を通して請願したのです。
 その結果、大正十一年ですから大正天皇の御代ですが、摂政となられていた昭和天皇が「立正大師」の諡号を宣下されたのです。
 
  「勤皇愛国の国士」と
 
 請願の理由には「日蓮聖人は立正を叫び、勤皇愛国の国士たるゆえ」とあった。そして立正安国論の「先づ国家を祈りて須く仏法を立つべし」の文を引いて、「勤皇愛国」の証としていた。
 いいですか。「先づ国家を祈りて須く仏法を立つべし」とは、何よりもまず国家の安泰を祈り、しかるのち仏法を立てるべし、ということでしょう。これでは安国立正ではないか。それもそのはず、これは「客の曰く」なのです。彼らは「客」の文を引いているのです。
 大聖人様は「立正安国」とお教え下さる。ゆえに結勧の御文に「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰えんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば、身は是れ安全にして心は是れ禅定ならん」と。
 「信仰の寸心を改めて」とは破邪、「実乗の一善に帰せよ」とは立正、「然れば則ち」以下は安国です。すなわち、邪法を捨てて、正しい仏法を立てれば、自ずと国家は安泰になる――これが立正安国なのです。
 しかるに「客」の文を引いて「大聖人こそ忠君愛国の国士だ」などと。バカも休み休み言えといいたい。
 
  御聖意に背く 「立正大師」
 
 また「立正大師」という名前も大聖人様の御心に背いている。大聖人御自身が「日蓮」とお名乗りあそばしたのです。この御名には、久遠元初の唯我独尊と末法下種の主・師・親を顕わし給う甚深の御意がある。
 しかるにみだりに凡夫が「立正大師」などと言うのは、まさに「悪しく敬う」ことに当るのであります。

  謗法と同座
 
 ところが、これを邪宗日蓮宗だけでやるならばまだしものこと、何とも口惜しいことに、唯一の正系門家たる「日蓮正宗」もこれに加わってしまった。当時の国粋主義の時流にへつらったのでしょう。
 そしてあろうことか、身延派をはじめ謗法の管長どもと同座して、本宗の貫首も「立正大師」の諡号宣下書の奉戴式に参列してしまった。まさに悪しく敬ってしまったのであります。
 
  この罰を見よ
 
 その結果、日本はどうなったか。
 翌年の大正十二年に関東大震災が起こり、その八年後の昭和六年には満州事変が勃発し、以後、日中戦争・太平洋戦争と続いて、ついにあの敗戦になった。まさに「悪しく敬わば国亡ぶべし」の仰せのままであります。
 このように、悪しく敬えば国が亡ぶ。いかに況んや竜の口で御頸を刎ね奉り、二度まで流罪をした大罪においておや――と。
 
  「法に過ぐれば罰・・・」
 
 次いで仰せられる。「此の国の亡びん事疑いなかるべけれども、且く禁をなして、国をたすけ給えと日蓮がひかうればこそ、今までは安穏にありつれども、法に過ぐれば罰あたりぬるなり」と。
 ―この国の亡びることはもう疑いないところであるが、この国を罰せんとする諸天に対し、その動きを止め「国を助け給え」と大聖人が抑えていればこそ、今までは安穏であったが、「法に過ぐれば罰あたりぬるなり」と、すなわち違法が限度を越えるならば、ついには大罰を受けるのである――と。
 御在世において、幕府はついに三度の諌暁を聞き入れなかった。その謗法はすでに限度を越えた。ここに大聖人は身延に人山あそばし、諸天は動き、大蒙古が二度にわたって襲来するという大罰が起きたのです。
 
  ついに今、大罰
 
 そして今、大聖人御入滅後七百三十有余年、日本は未だに背いている。加えて正系門家があろうことか、大事の御遺命にまで背いてしまった。これは、大正十一年の「立正大師」における「悪しく敵う」とは比べるもなき師敵対である。どうして諸天怒りをなさぬことがあろうか。大罰の現われぬことがあろうか。
 ここについに今、日本は国家存亡の危機を迎えたのであります。このまま行けば国は必ず亡ぶ。
 

  濁悪の日本国に200万の仏弟子出現

 
 だが、この末法濁悪の日本国の中に、大聖人様に一筋の忠誠を貫く二百万の仏弟子の大集団が、今まさに躍り出でんとしている。
 この顕正会の使命は、大聖人様の大慈大悲と絶大威徳を全日本人に知らしむるにある。
 
  特集号を全日本人に
 
 そこに、このたびの「男子部大会・特集号」があるのです。
 私はこれを全日本人に読ませたい。これを武器として大折伏を進めたい。このことを強く念願しております。慢心している者、驕っている者は反発するかもしれない。しかしその反発がいつまで続こうか。
 乙御前御消息には「当世の人々の蒙古国をみざりし時のおごりは、御覧ありしやうに、かぎりもなかりしぞかし。去年の十月よりは一人もおごる者なし」と。
 大聖人様がいかに諌暁あそばすとも、蒙古の侵略が事実となるまでは、人々はみな驕っていた。だが、蒙古軍を眼前にしたとき、蛙が蛇を恐れ、鼠が猫を恐れるように、みな脅え切ってしまった。
 この仰せのごとく、慢心の者ほど、驕り高ぶっている者ほど、いよいよ我が身に危険が迫るとき、脅え、臆病になり、ついに救いを求めるのであります。
 
  真面目に読めば必ずわかる!
 
 私は思う。もし慢心・偏見がなければ、あの特集号第一ページの五万男子の姿を見て、まず驚くでしょう。今の頽廃(たいはい)・放埒(ほうらつ)な日本に、これほど真摯で凛々しい男子の大集団がどこにあるか。何でこれほどまでに真剣なのかと驚くに違いない。そして、この奥に日蓮大聖人の偉大な御存在があることを知るであろう。
 もし新聞を真面目に読むならば、足元に迫る国家存亡の危機を誰人が否定できようか、反論できようか。かくて、この日本をお救い下さるのは日蓮大聖人唯御一人であると手を合わせ、「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」の大師子吼が命に刻まれたとき、その人は新しい地涌の菩薩になるのであります。
 大確信を以て、全日本人の「元品の無明」を打ち破っていきたい。この特集号で動執生疑を起こさしめ、断疑生信せしめたい。
 
  20年代の大諌暁の序分
 
 この特集号の配布こそ、二〇年代の大諌暁の序分であります。国家存亡の危機をいま教えればこそ、二〇年代にそれが事実になったとき、人々は始めて目ざめるのです。
 思えば、顕正会の発足は御遺命破壊の七年前であった。そしてついに偽戒壇・正本堂は崩壊した。いま二百万の地涌の菩薩は、二〇年代突入の前年に勢揃いする。必ず大事の御奉公に間に合う。
 さあ二百万への初陣の九・十・十一月法戦、全組織が大歓喜の中に誓願を突破し、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。(大拍手)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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