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 閻浮大闘諍、他国来難、日本広布は同時 

    御遺命を守護し奉った顕正会いま日本を独走

    大御本尊誹謗の久遠院日騰の大罰をみよ

                顕正新聞 平成27年3月5日 (1336)号

 きょうの総幹部会も素晴らしいですね。御本尊様の功徳の歓喜が満ちあふれ、広宣流布への燃えるような大情熱がたぎっている。大感動いたしました。
 これも、日本国で唯一つ、日蓮大聖人の真の仏弟子の大集団なればこそ、との思いを深くしたものであります。
 

 「前代未聞の大闘諍」の兆を見よ

 
 さて、大聖人様は、広宣流布の前夜には必ず「前代未聞の大闘諍」が地球規模で起こる、と御予言下されておりますが、いま世界中が、いよいよ騒がしくなって来ましたね。
 現在、世界の危険地域といわれるのは、次の三つです。
 
 一つはイスラム国など過激派テロ集団が増殖しつつある中東・アフリカ。
 二にはロシアと欧米が争っているウクライナ。
 三には大膨張を続けている中国であります。
 
 イスラム国の凶暴・残忍なことは、いま世界に知れわたっております。これを潰滅しようとして、米国主導の有志連合六〇ヶ国がいま躍起となっておりますが、どうにもならない。
 国家と国家の戦争ならば核兵器も使えるが、テロ集団相手ではそれもできない。これが「非対称の戦争」です。そこでアメリカも手を焼いているのです。
 
 イラク戦争が発端
 
 この「イスラム国」ですが、この凶悪集団がどうしてできたのかというと、これを生み出したのは実はアメリカなのです。あの「イラク戦争」がその発端です。
 アメリカはイラクに対し、今から一二年前の二〇〇三年三月、いきなり攻め込んだ。これがイラク戦争ですね。開戦理由は、イラクが大量破壊兵器を隠し持っているから――というものでした。
 アメリカは圧倒的な軍事力で、わずか三月でイラク全土を制圧し、独裁者・フセイン大統領を引きずり出して死刑にした。
 だが、全土を探してみたところ、大量破壊兵器はどこにもなかった。アメリカの邪推だったのです。
 凄まじいでしょ。よその国へいきなり攻め入って、大統領を虐殺し、国家をぶち壊してしまったのです。
 だが何の咎めもない。これが国益をめぐる国際間の争いの凄まじさですね。現在、国際間には、利害はあっても善悪はない。それは、未だ世界を律する法がなく、正しい統治権力がないからです。それはさておき――
 フセイン体制が崩壊すると、イラクは混沌たる無政府状態になった。アメリカは暫定政権を作ったが無能であった。
 
 シリアからイラクに跨がる巨大勢力
 
 この無秩序の中で、フセインが率いていたバース党の残党と、シリア内戦で成長したイスラムテロ集団が結びつき、ここにシリアからイラクにまたがる「イスラム国」という巨大勢力が誕生したのです。
 だから、イスラム国を生み出したのはアメリカなのです。イラクを壊わさなかったら、このようなことはなかったのであります。
 
 
 「アラブの春」
 
 さらに二〇一〇年からは「アラブの春」といわれる反政府運動が、北アフリカから中東にかけて、各国で連鎖的に起きましたね。
 このとき、日本のマスコミは挙って「アラブに春が来た」「アラブの民主化が連む」などといって囃(はや)していた。しかし私は、独裁政権のいい悪いは別として、無政府状態になったら国家はどうなるのかと、心配しておりました。
 そして今、この無政府状態の混乱の中で、中東・アフリカの各地で続々とイスラム系の過激派が増殖しつつある。その中心がイスラム国ですが、似たような過激派組織が幾つも発生しつつある。
 その様は、温度と湿度の条件が整えば悪性ウィルスが一気に増殖するのに似ている。
 私は、この凶暴な集団が中東各地で荒れ狂う姿を見るたびに、「国土に悪鬼入り乱れて」との仰せが脳裡に浮びます。
 
 「日本を標的にする」
 
 そしてこの凶暴なイスラム国が、ついに「日本を標的にする」と宣言したのです。
 安倍首相の思い上がった軽率な発言が、これを招いたのであります。
 
 安倍首相の軽薄な功名心
 
 安倍首相は自分が中東問題を解決すると言わんばかりに中東へ乗り込み、大見得切ってカネをばら撒いた。
 先月の総幹部会でも言いましたが、行かなくていい所へ行き、出さなくてもいいカネをばら撒き、言わずもがなのことを言った。身のほどを弁えず、ただ功名心でこれをやったのです。
 彼はエジプトで「イスラム国と戦う中東諸国に二億ドルの支援をする」といい、さらにイスラエルでは、イスラエル国旗の下でまた刺激的な演説をぶった。
 中東のイスラム民衆がイスラエルに懐いている感情を全く無視している。これまで中東では血で血を洗う五次にわたる戦争があったのです。また「イスラム国」が、最終的な敵として狙っているのがイスラエルだということも見ていない。
 この不見識・軽率が、「日本を標的にする」を招いてじまったのです。
 
 内閣人事を見ても
 
 彼の不見識は内閣の人事を見てもわかりますね。きのう西川農林水産大臣が辞めたが、昨年一〇月には小渕優子・松島みどりの二大臣が辞任している。これで三人目。わずか四ヶ月のあいだに三人の閣僚がカネ問題で辞めた。ことに西川のカネまみれの汚さは天下周知ですよ。
 自ら任命する閣僚の資質すら見抜けぬ不見識の者に、中東の複雑な情勢がわかるわけがない。わかりもしないで大見得を切ってカネをばら撒く。だからとんでもないことになるのです。
 
 身のほど知らず
 
 だいたい日本が、そんな大面(おおづら)かまえてエラそうな顔ができるのか。日本はアメリカに守ってもらっている国ですよ。
 また大借金で国家破産が刻々と近づいている国ですよ。それなのに彼は「地球儀を俯瞰する」とか「積極的平和外交」とか言って、中東問題に嘴(くちばし)を容れ、大金をばら撒いている。これを「身のほど知らず」というのです。
 この軽薄な功名心が、イスラム国に「日本標的」の口実を与えてしまったのであります。今後、どのようなことが起こるかわからない。
 
 ウクライナ問題
 
 次にウクライナのこと。
 第二回停戦合意が発効したのが今月の一五日だったですね。しかし親ロシア派は停戦合意を無視して重要戦略地域に攻勢をかけている。ウクライナ政府軍より親ロシア派のほうが士気が高いといわれる。
 
 米・ロの代理戦争
 
 所詮この戦闘は、アメリカとロシアの代理戦争なのです。
 ウクライナの前大統領・ヤヌコビッチは親ロシア派であった。この政権を崩壊させ、欧米寄りのポロシェンコ現政権を作ったのは、これもアメリカです。いまポロシェンコ政権は親ロシア派に攻められて、アメリカに軍事支援を要請している。
 一方、ロシアには、ソ連が崩壊したときの失地回復という大義名分があるし、何よりロシアにとって死活的に重要な軍事基地が、クリミア半島にある。よってクリミア半島を含むウクライナ、ことに東部地域は、ロシアの安全保障上からも死守するでしょう。
 
 大戦乱の引き金に
 
 停戦合意はこれで二回目ですが、今後、停戦合意が何回も繰り返されては破られ、ついに内戦が本格的になれば、ロシアの正規軍は必ず国境を越える。それが大戦乱の引き全になる可能性を孕んでいるのです。

 中国の大拡張
 
 そして第三が中国の大膨張―― 。これが世界で最も深刻な問題ですね。いま全世界をゆるがしつつある。
 中国の国家目標は「二〇二〇年代にアジアから米国勢力を駆逐し、大中華帝国を築いてアジアに君臨する」というものです。そのために、世界で類を見ない軍事力の拡大を続けているが、二〇二〇年代には経済規模も軍事予算も、アメリカを抜いて世界第一になると予測されております。
 そして今やアメリカを圧倒する「東風41」と「巨浪2」まで保有するに至った。もうアメリカは日本を「核の傘」で守ることはできない。
 
 日本存亡の危機
 
 このことは、アメリカの保護によって存立している日本にとって、まさに国家存亡の危機であります。
 このような侵略性の強い軍事超大国が日本の隣に出現したのも、まさに「仏法より事起こる」ゆえと、私は思っております。
 やがて中国は利害が一致するロシアと手を結んで、アメリカをアジアから追い出そうとする。ここに「一閻浮提の大開静」すなわち世界の大戦乱が起こるのであります。
 

 閻浮大闘諍、他国侵逼、日本広布は同時

 
 大聖人様は撰時抄に、蒙古の侵略を指さして「闘諍堅固の仏語地に堕ちず、あたかもこれ大海の潮の時をたがへざるがごとし」と仰せあそばす。この御金言、いま順縁広布の前夜、改めて如実に拝し奉るものであります。
 大聖人御在世の逆縁広布のときには、全世界を席巻した大蒙古が日本に押し寄せてきた。そして順縁広布の時にも、同じことが起きるのです。
 ゆえに立正安国論の奥書には「未来亦然るべきか」と仰せられる。
 また大聖人様は、一閻浮提の大闘諍は世界広布の先序であるともお示し下されている。
 すなわち減劫御書に「一閻浮提うちみだすならば、閻浮提内広令流布(こうりょうるふ)はよも疑い候わじ」と。―― 
 一閻浮提がうち乱れて戦乱になるならば、法華経の「閻浮提の内に広く流布せしめん」との予言は断じて疑いない――と仰せられる。
 
 一閻浮提大闘諍と他国侵逼は同時
 
 そして大事なことは、この「一閻浮提の大闘諍」が起こるとき、同時に、日本への他国侵逼も起こる、ということです。
 されば四十九院申状には「是れ偏に末法闘諍の始め、他国来難の刻み、一閻浮提の中の大合戦起こらんの時、国主此の法を用いて兵乱に勝つべきの秘術なり」と。
 いいですか。「一閻浮提の中の大合戦」と、日本への「他国来難」を同時にお示し下されているでしょ。

 日本の広宣流布
 
 そしてこのとき、日本の広宣流布が事実となる。このことは上野抄の「梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」との仰せに明白です。
 もう一度いいます。
 一閻浮提の大闘諍が起こるとき、同時に日本への他国侵逼の大難が起こり、そのとき日本国一時に信ずる「広宣流布」が事実になる、ということであります。
 
 広布前夜 宗門・学会は堕落
 
 だが――。
 広宣流布に戦うべき正系門家をいま見るに、僧侶は堕落して御遺命を売り渡し、学会はついに極限の大謗法まで犯すに至った。
 正系門家がこの体たらくで、どうして広宣流布が成るのか、虚しくなるのではとも見える。
 断じてそんなことはないのです。広宣流布は大聖人様のお力で成るのであるから、絶対であります。
 

 顕正会 日本国を独走

 
 見てごらんなさい。
 正系門家の中で、必死に御遺命を守り奉り解散処分まで受けた顕正会が、今や二百万にならんとし、日本国を独走しているではないか。
 顕正会の叫ぶところは、日蓮大聖人の大恩徳と御遺命の国立戒壇建立のみ。この戦い、大聖人様がなさしめ給うところであれば、御本仏の御守護により、必ず成就するのです。
 
 弾圧乗り越え日本を独走
 
 解散処分のとき、顕正会はわずか一万二千であった。誰もがこれで潰れると思った。
 しかもその後、「第二のオウム」などの悪質な中傷を学会は組織を挙げて行った。さらに学会は公権力を動かして、折伏を行ずる顕正会員を幾たびも逮捕させては、これをテレビで流し続けた。
 その中で、顕正会はただ大聖人様を恋慕渇仰して死身弘法を貫き、今、ついに日本国を独走する仏弟子の大集団となったのであります。
 「日本国を独走」と言うと大仰に聞こえるかも知れないが、そうではない。
 世間でも、もう顕正会の力に気づき始めている。
 小学館で発行している「SAPIO」という月刊誌がある。政治・経済を中心に据えた総合誌ですが、その一月号で「総選挙と巨大教団」という特集を組んだ。その中で「日本の10大新興宗教団体」を挙げているが、一位は幸福の科学、二位は創価学会、三位は立正佼成会、そして第四位に、なんと顕正会が入っていた(大笑)。
 しかし、幸福の科学、立正佼成会は邪教である。また創価学会はすでに極限の大謗法に堕してしまった。そのうえこれら三団体は、すでに停滞し、活動力を失っている。
 
 正しさ熱烈さ 肩を並べる団体なし
 
 顕正会だけが御本仏日蓮大聖人の、成仏が叶い国家を安泰にする三大秘法を、いま爆発的に弘通しているのです。
 その正しさ、熱烈さにおいて、日本に肩を並べる団体はない。まさに唯一の団体である。ゆえに私は「日本国を独走している」というのであります。
 顕正会は一切の邪教と違ってカネを貪らない、世間の名利を求めない、政治野心を持たない、権力にへつらわない。
 ただ日蓮大聖人の仰せのままに、身命も惜しまず三大秘法を弘める団体である。このような清らかな団体が、どこにありましょうか。
 亡国を前にした日本に、このような仏弟子の大集団が出現したことこそ、まさに大聖人様のお召し出だしであります。
 ゆえに日本の広宣流布は近い、必ず成るのであります。
 

 特集号で学会員を救おう

 
 さて、「学会員を救う特集号」ですが、今しんしんと学会員に浸透しつつある。すでに発行部数は百三〇万部に達しております。
 「戒壇の大御本尊の敵」となった池田大作一党の大謗法を責めなければ、大聖人様から「仏法中怨(ちゅうおん)」のお叱りを受ける。
  また騙されて地獄に堕ちる学会員を思えば、不憫です、痛々しい。何としても救わなければなりません。
 
 池田の大御本尊不信 正本堂落成以前から
 
 特集号にも書きましたが、池田大作が戒壇の大御本尊への不信を現わしたのは、なんと昭和四七年(一九七二年)の正本堂落成式の数年前ですね。この時からすでに、彼の身には第六天の魔王が入っていたのです。
 だからバチカン信徒評議会・評議委員である安斉伸に対して、「板曼荼羅に偏狭(へんきょう)にこだわらない」などと言えたのです。またこれを聞いて、安斉は「非常に感動し、以来、学会への協力を決意した」と述べている。
 戒壇の大御本尊への信を捨てれば、魔は喜ぶ。そして力を貸してくれる。ゆえに妙楽大師は「魔、是の人に於て猶親の想を生ずる」と釈しているのです。
 
 「偏狭にこだわらぬ」とは何ごとか
 
 そもそも「戒壇の大御本尊に偏狭にこだわらない」とはいったい何事か。
 大聖人様は報恩抄に「法華経をよむ人の、此の経をば信ずるやうなれども諸経にても得道なるべしとをもうは、此の経をよまぬ人なり」
 ――法華経を信じているように見えても、法華経以外の諸経でも成仏が叶うと思っている者は、法華経を信じているのではない――と。
 では、どのように信ずるのを、法華経を信ずるというのかといえば 撰時抄には「法華経より外に仏に成る道なしと強盛に信じて」と仰せられている。
 すなわちいま末法においては戒壇の大御本尊よりほかに成仏の道はなしと純粋に強く信じ奉る者こそ、大聖人の弟子であり、成仏が叶うのであります。
 池田大作にはこの信心がない。だから「偏狭にこだわらぬ」などと言った。そして、この奥にあるのは、戒壇の大御本尊を八百万学会員に捨てさせようとする、ドス黒い魂胆であります。
 
 巧妙に徐々に捨てさせる!
 
 彼はこれを、まことに巧妙に、徐々に徐々に進めて来た――。
 いいですか。
 池田大作はまず、正系門家から国立戒壇の御遺命を抜き取らんとして偽戒壇・正本堂を建て、これを時の貫首に「御遺命の戒壇」と認めさせた。
 だが顕正会の諌暁によって宗門との抗争に陥るや、彼はいよいよ魔の本性を露にして平成四年には学会経本の観念文から「本門戒壇の大御本尊」の九文字を削除し、翌五年には二〇数年前の安斉伸との対談内容を始めて聖教新聞紙上で公表し、次いで平成一四年に第一回の会則変更をし、その十二年後の昨年(平成26年)一一月七日、ついに「弘安二年の御本尊は受持の対象にはしない」と言い切ったのであります。
 
 40数年かけて信を抜き去る
 
 なんと用意周到なことか。安斉伸に「板漫荼羅に偏狭にこだわらぬ」と告げてから、実に四〇数年をかけて、徐々に戒壇の大御本尊への信を抜き去ったのであります。
 蛙を茄でるとき、いきなり熱湯の中に入れると蛙は驚いて飛び出してしまう。しかし水の中に入れて徐々に水温を上げていくと、静かに茄で上がるという。
 曽て学会では、第二代・戸田会長はもちろん戒壇の大御本尊を讃嘆していた。また学会員もみな深く戒壇の大御本尊を信じていた。そのような中で、もし池田大作が大御本尊を否定すれば、重大な騒ぎが出来する。
 そこで大作は、徐々に徐々に大御本尊を忘れさせていった。そして「戒壇の大御本尊」の御名も知らぬ学会二世・三世や新入信者の割合が増えてきた今日、ついに戒壇の大御本尊否定という、極限の大謗法に踏み切ったのです。これこそ第六天の魔王の巧妙な手口であります。
 だが、どのように誑かすとも、今回の特集号を真面目に読むならば、必ず全学会員がめざめると私は確信しております。
 すでに至るところで動執生疑が起き、断疑生信し、続々と入会しております。
 
 「受持」でごまかす
 
 そこで、何としてもこれを食い止めようと、いま学会では、顕正新聞を読んで上の幹部に尋ねる学会員に対して、こんなことを言ってごまかしている。
 「『受持の対象にはしない』ということは、弘安二年の御本尊を否定しているのではない、受持しないだけだ」と(大笑)。
 わけがわからんでしょう(大笑)。もう「受持」の文意をたばかる以外にはないのです。
 だが日寛上人は観心本尊抄文段において、受持即観心を御指南下さる中で、「受持」を次のごとく定義をされている。「受持とは正しく信心口唱に当る」と。簡単明瞭でしょ。すなわち 信じて、南無妙法蓮華経と唱え奉ることを「受持」というのです。
 だから「戒壇の大御本尊を受持しない」ということは、戒壇の御本尊を信じない、唱えないということ。まさしく戒壇の大御本尊の否定に当るのであります。あらゆるたばかりを粉砕して、学会員を救っていきたい。
 せっかく入信しながら、もし戒壇の大御本尊様を捨てれば、忽ち現世には功徳を失い、臨終には悪相を現じ、後生には地獄に堕つる。これが何とも不憫です。何としても道念を起こさしめ、救っていきたい。
 

 久遠院日騰の大罰をみよ

 
 戒壇の大御本尊に背くことが、どれほど恐ろしいことか。一例を挙げます。
 幕末の英師といわれた日霑上人の御時、久遠院日騰という人がいた。たいへんな学匠で、その学識は内外に通じ古今にわたるといわれていた。この人は日霑上人のもとで大石寺学頭まで務めていた。
 
 江戸大地震で横死
 
 しかし、名利を求めて得られぬところから、魔心・愚心が出来したんですね。いつしか信心が不純になって、あろうことか、戒壇の大御本尊に対し奉る不信・不敬の言辞を、宗外の一国学者に密かに洩らしていた。まさに魔が便りを得たのです。
 この久遠院日騰、大罰を受けた。なんと安政二年一〇月二日、江戸大地震のとき、下敷きになって横死を遂げたのです。
 地震で命を失ったことを直ちに罰というのではない。恐らく臨終の相がたいへんな悪相だったのでしょう。
 
 日霑上人の御誠め
 
 ここに日霑上人は、御自身の所懐を一紙に記された。これを第五八世日柱上人が所持され、その写しを私は保存しております。
 こう仰せられている。「博学彊記絶倫(はくがくきょうきぜつりん)の人、天之を縦(ゆる)さずして殃死(おうし)を示す。是れ宿業か、現報か。後生を胆に銘じ其の獨(ひとり)を慎む」と。
 こういうことです。――久遠院日騰は博学強記まことに衆に優れた人であったが、諸天はその信心の不純を許さずして横死の罰を示した。これ過去の宿業か、あるいは現世の悪業の報いか。後生を肝に銘じその独りを慎むべきである――と。
 「獨を慎む」とは「君子は独りを慎む」という言葉がある。君子は人が見ていない所でも、決して悪いことはしないということです。
 これを見て、思い出しますね。昭和五三年二月七日、阿部日顕は帝国ホテルの一室で、腹心の河辺慈篤に、この男なら他に洩らすまいと心を許して、なんと戒壇の大御本尊に対し奉る不敬きわまる悪言を吐いた。これも名利が得られぬところから発した魔心・愚心です。
 ところが悪いことはできないもので、河辺慈篤がメモにこれを書き留め、そのメモが、二一年後に流出したのです。私はこれを見たとき、「あー諸天がこのメモを出したのだ」と思った。彼も独(ひと)りを慎まなかったのです。
 ここに日霑上人は、独りを慎まなければいけない、信心に油断があってはいけないと、強くお誡め下されているのです。日霑上人はさらにその余白に、次の二行を付け加えておられる。「無解有信は則ち菩提を證し、有解無信は則ち悪果を現ず」と。たとえ智恵はなく解はなくとも、信心さえあれば成仏が叶う。しかし解はあっても、戒壇の大御本尊への信なき者は悪果を現ずるのである――と。
 いいですか。
 何もわからなくても、ただ大聖人様を、戒壇の大御本尊様を、恋慕渇仰して南無妙法蓮華経と唱え奉れば、そのまま成仏が叶う。これが日寛上人の仰せの「受持即観心」ということです。
 
 顕正会はただ恋慕渇仰で
 
 顕正会はこの純粋な信心で行きたい。
 全学会員にこの恋慕渇仰の信心を教え、共に国立戒壇建立に戦う同志として、手を携えて進みたい。熱原の法華講衆の恋慕渇仰の信心が日本国にみなぎったとき、御遺命の国立戒壇は実現するのです。
 さあ国難二年の初陣、内には学会員を救い外には三毒の大衆を救い、大地ゆるがす広布の大前進を以て、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。(大拍手)
 

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