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 創価学会教学部 機密文書 「教学部レポート」

        (宮地文書)
 
  大御本尊問題の経過について
 
【1】
 いわゆる「本門戒壇の大御本尊」と、総本部に安置される「創価学会常住御本尊」について、最高幹部の一部が、教義的な意義の変更を強硬に推し進めています。
 御本尊は、根本尊敬の対象であるがゆえに、御本尊に関する教義は信仰の根本をなしています。
 現在、一部幹部が進めているような形で教義変更が拙速かつ拙劣に進められれば、日本でも海外でも会員の信仰が動揺し、組織に混乱が広がることは確実です。
 また、宗門からの攻撃にも十分な応戦ができず、学会が教義論争において敗北することは必死と考えられます。学会の存亡に関わる極めて危機的な状況にあります。
 
【2】
 「学会常住御本尊」の意義付けについては、総本部の慶讃委員会のもと、専門の小委員会が、この9月に入って急遽、発足しました。
 出席者は谷川事務総長、金沢組織総局長、秋谷議長、八尋弁護士、森田康夫氏。そこに教学部から遠藤総合教学部長、森中教学部長と宮地が加わりました。
 御本尊という最重要の課題にもかかわらず、総本部完成前の2ヶ月前とスタートが余りにも遅く、発足当初より、準備不足の感が否めませんでした。それでも初めのうちは、議論を深めていくような雰囲気がありました。教学部側でも、忌憚なく意見を述べさせていただきました。
 しかし、回を重ねるうちに、この小委員会の開催趣旨が、既に内々で決定した方針を教学部に承認させ、その方針に即した説明文を作成させるところにあることが露になってきました。
 
【3】
 教学部では、「戒壇の大御本尊」「創価学会常住御本尊」の意義づけについては、以前から研究を進めていました。
 この7月9日には、原田会長あてに「創価学会常住御本尊と広宣流布の使命」というレポートを提出しています。その骨子は以下の通りです。
 
 ① 御本尊の本質は「一念三千自受用身」すなわち「南無妙法蓮華経即日蓮大聖人」という人法一箇の法体の顕示にある。
 ② 「戒壇の大御本尊」も、法主によって書写された御本尊(以下、書写本尊)も、同一の法体が顕示されており、そうした本質次元では共通している。
 ③ 御本尊が御本尊として成立するためには、上記の様に人法一箇の法体が正しく顕示されていることを第一の要件としつつ、「信心の本尊」であるがゆえに、どこまでも正しい信心で拝するという第二の要件が不可欠である。
 ④ 「戒壇の大御本尊」における戒壇・本尊の意義も正しい信心が介在しなければ成立しない。また「一閻浮提総与」という意義も、広宣流布があって初めて成就するものである。
 ⑤ 「創価学会常住御本尊」は、戸田先生が「大折伏大願成就の大御本尊」として当時の日昇法主に申請されたものであり、戸田先生は、この御本尊を拝して75万世帯の願業を成就された。また池田先生もまた、この御本尊を拝して世界広宣流布を進めてこられた。
 その意味で、創価三代の師弟の誓願の結晶ともいうべき御本尊であり、当時の和合僧団の化義に則り、法主の書写という形を取ったが、日蓮大聖人からの直受と拝するべきである。「戒壇の大御本尊」が本体、他の御本尊は分身であるという論理から、あくまで「南無妙法蓮華経即日蓮大聖人」という人法一箇の法体の顕示が本質であるという、日寛上人が本来意図していた本尊義に引き戻すとこに、このレポートの主たる目的がありました。
 
【4】
 しかし、教学部としては、こうした教義の理解を徹底するには、主に以下の理由から、時間をかけて慎重に進めなければならないと考えていました。
 
 ① 学会は、教義的に宗門の伝統を受け継ぎ、いわゆる「大御本尊」を「本門戒壇の大御本尊」「出世の本懐」「一閻浮題総与」といった最重要の御本尊として位置づけしてきた。会員にも、何十年にも渡って、そうした方向で教育を徹底してきた経緯がある。
 ② 学会の採用している御本尊も、すべて法主による「大御本尊」の書写である。「創価学会常住御本尊」、関西の「大法興隆所願成就」は第64世日昇書写。本部の「賞本門寺戒壇正本堂建立」の御本尊は第66世日達書写。全世界のほとんどの会員は、第26世日寛上人書写の御形木本尊を受持している。
 信仰の実態において学会は「大御本尊」あるいは法主書写の御本尊以外は、大聖人の他の真筆本尊をふくめ、大石寺門流以外に伝わるいかなる本尊も本尊として容認してきていない。
 ③ 宗門を批判する際、日顕の大御本尊否定発言や、大御本尊が「正本尊」として安置されている「正本堂」の破壊を論点としてきた。とにかく、学会員が確信をもって日々の信仰実践に励めること、すなわち学会員の安心と幸福が最優先されるべきであり、総本部も御本尊も教学も、全てそのために存在するというのが教学部の真情でした。
 
【5】
 ところが、こうした教学部側の思いは、全く受け入れられませんでした。小委員会の結論は、次のような方向で確定していたのです。
 
 ①「戒壇の大御本尊」は、もはや謗法の宗門の本尊であり、功力もなく、学会とは何の関わりもない。その意味を否定しておかねばならない。
 ② 総本部こそ世界広布の根本・中心であり、そこに安置される「創価学会常住御本尊」こそが「戒壇の大御本尊」に変わる新たな「大御本尊」である。
 ③ こうした内容を、先生のご存命のうちに、先生のご意思として発表する。まさに、総本部完成の今こそ断行すべき時である。

 教学部のリポート「創価学会常住御本尊と広宣流布の使命」が 今言える限界のラインで訴えても、それは不徹底であり、全く駄目だと一蹴されました。
 
【6】
 しかし、無理筋の結論を導こうとしても、無理なものは無理なので、小委員会の結論は紛糾を極めました。教学部以外の5人は、論理として完全に破綻していました。
 率直に申せば、素人談義の域を出ず、これが学会の最高首脳の教義理解かと別の意味で衝撃を受けました。
 例えば、秋谷議長は「弘安二年の御本尊については、南無妙法蓮華経の法体を文字曼荼羅に図顕された御本尊であるが、唯一絶対の御本尊と大聖人が定められた証拠はない。日寛上人より『究竟中の究竟』等宗派の確立のために確立されたとも推察される」「弘安二年の御本尊も何の徳用も働かない。・‥他宗の身延派や、中山系、京都系が保持している真筆の御本尊と同じ事になる」と主張していました。

 そう主張したい気持ちは理解できますが、それでは、相伝書、相承書、日興跡条々事などを盾に宗門から攻撃されたら、どう答えるのか、また逆に、「弘安二年の御本尊」を全く認めてこなかった身延派から攻撃されたら、どう答えるのか。
 「大御本尊」に関する戸田先生や池田先生の発言、また教学的な主張との整合性は、どう付けるのか。不用意に教義を変更すれば、学会は四方八方から矛盾を突かれて、大混乱に陥りかねません。宗門は、「大御本尊」について何百年にもわたる論争の蓄積があります。
 特に近年は、正信会との激しい論争を経験しているので、この論題について、学会が戦うのであれば、それ相応の準備が不可欠であることを訴えましたが。そうした経緯についても、ほとんど認識を持っていない様子でした。
 
【7】
 また聖人御難事の「余は二十七年なり」という大聖人の「出世の本懐」の表明についても、谷川総長は 「『出世の本懐』の意味だって変えればいいんだ。独立した教団なんだから、変えてもいいんだし、変えられるんだ。南無妙法蓮華経の御本尊を顕したことにすればいいんじゃないか」と述べていました。もちろん御書の解釈はできるにしても、御本尊の「出世の本懐」について生半可な教義理解で軽々しく決められることではありません。
 さらに「末法下種の三宝」についても、現在は、公式には仏宝が日蓮大聖人、法宝が三大秘法の大御本尊、僧宝が日興上人になっているのを変更するのかという議論になった際、谷川総長は「それも変えればいいんだ。何の問題ない」と述べていました。
 しかし、「それでは、歴代法主が僧宝であるという宗門に対して、僧宝は日興上人であると反論した学会の論拠が崩れてしまう」と申し上げると、「それでもいいんだ。宗門とは別の教団なんだから」という返事でした。
 「過去との整合性など、どうでもいい。自語相違と批判されてもかまわない。完全に独立した教団として出発するんだから。結論は決まっているんだ。教義なんて、それを後付けすればいいんだ」と、谷川総長は何度も繰り返していました。何でも自分たちで決められるという全能感がにじみ出ていて、何を言っても取り付く島がありません。支離滅裂な不毛な会議となりました。
 
【8】
 口では勇ましく「宗門と最終決着をつける」と言っていましたが、それを断行しようという覚悟や責任感や能力があるとは到底思えませんでした。
 また何より悲しかったのは、教学部以外の5人の方々の言葉に、会員の苦悩に対する慈悲が一かけらも感じられなかったことです。八尋弁護士や金沢総局長は「変更しても、ほとんどの会員は付いてこれるでしょう。大体は大丈夫でしょう」と言っていました。
 一人残らず幸福にする、絶対に退転させないというのが、池田先生の御心ではないでしょうか。八尋弁護士については、ある人に「多少の退転はやむを得ない。 9割は付いてこれる」という趣旨の発言をしていたとも聞き及んでおります。1000万会員の1割と言えば100万人。100万人の同志を退転させ、地獄に堕とすというのでしょうか。
 
【9】
 また小委員会では、秋谷議長は、師範会議に、婦人部の秋山さん・八矢さんが入っていることを、しきりに気にしていました。
 異議を申し立てそうなメンバーを変えるように指示を出していました。当初から皆の合議で決定するというつもりはなかったのです。
 
【10】
 御本尊の問題は、いつか完全に決着をつけねばなりませんが、それをやるには1ミリの狂いもないような論理構成を考えねばなりません。本部の方針が1ミリでも狂えば、現場では10メートル、100メートルの狂いとなって大混乱を引き起こしてしまいます。
 「教学部は黙って従え」と言わんばかり会議が何度も続き、進退窮まって、教学部として9月19日の夜、原田会長に直に指導を受けることにしました。夜9時半過ぎに遠藤・森中・宮地の3人で会長のところに伺いました。
 この数日前にも会長にご指導頂く機会があり、その折にも「教学部の皆さんの思いは、よく理解しました」とのことでしたので、率直に、紛糾する会議の実情をご報告しました。会長の話は、以下のように、全く予想に反するものでした。
 
 ① 小委員会の方針は、全て先生のご指導を受けて進めている事である。きょうも、その点について先生のご指導を受けてきた。
 ② 宗門問題で、大御本尊を巡る問題がまだ残っている。今こそ大御本尊とも決別する。大御本尊は、学会とは関係ない存在だ。
 ③ 学会常住御本尊が、新しい大御本尊という意義づけをするんだ。それを総本部完成の新たな体制の出発する今、やるしかないんだ。
 ④ 全て先生のご意志だ。教学部は戦う覚悟がない。腹を決めなさい。大変厳しい叱責であり、教学部としては、先生のご意志ということですので、「分かりました。やらせていただきます」とお答えしまた。
 
【11】
 会長からのご指導を頂いた後、念のため、先生のご指導の細かなニュアンスを大山・第一庶務室長に確認しました。
 大山室長は、とても驚いた様子で、「先生は全くそのようなことを言われていない。学会が損をしたり、学会員が苦しんだりしないようにということで、先生は一貫されている。今までやってきたことが間違っているとならないようにというのが、教学に関する変わらぬご指導だ。慌てて事を進めるなどということは、一切言われていない。原田会長も先生の前では『いろいろな意見がありますので、慎重の上に慎重に進めます』と言っていた。こんなやり方をしては、学会の信心も教学も崩れてしまうではないか」とのことでした。

 会長が先生にご説明したのは、
 ① 宗門は700年、護持の名に隠れ、広宣流布を進めてこなかった、
 ② だから、大御本尊を持っていても、功力は出ない、
 ③ 大御本尊が一切の電源で、書写本尊が端子というような関係ではない、
 ④ 学会常住の御本尊を根本に広宣流布を進めていく
という範囲だったようです。
 「先生のご意向のもと、大御本尊との決別を今この時に宣言する」という、先生のご指導は、全くの作り話だったのです。

 その翌日、会長が先生にご指導を受けた際に同席されていた長谷川本部長にも確認しましたが、大山室長と全く同じ見解でした。
 
【12】
 20日朝8時半から小委員会が行われ、そこでも議論が紛糾。教学部で、他5人を事実上、論破する結末となりました。
 しかし、谷川総長は、こちらで用意した大御本尊を巡る教義的説明が気に入らなかったようで、会長が発表する趣旨説明文から、そうした箇所は全て削除することになりました。
 20日午後3時から、執行部、SGIの首脳、教学部などが出席する会議が開かれ、出席者から、教義の根本を拙速に変えることについて、強い懸念が表明されて、実質的に、会長の方針が否決される形となりました。
 
【13】
 にもかかわらず、既定の方針は、撤回されず、独断専行の状態が続いています。
 教学部は、その後は、一切、意見を求められないようになりました。小委員会も開かれていません。学会教学の最重要課題であるにもかかわらず、教学部を完全に排除するという異常事態が続いています。会員の疑問には、誰が答えるのでしょう。宗門との論争が起きたら、誰が戦うのでしょう。
 
【14】
 9月25日には、SGI主要国の中心者を招集した会議が開かれましたが、そこでも原田会長は、既に否定された方針を繰り返しています。各国の理事長たちに感想を伺いましたが、多くは、余りに拙速な発表に困惑していました。論理性を重んじる欧米の首脳は、教義の根幹で論理的整合性が付かなくなることを心配し、各国に戻っても説明しようがないと苦悩されていました。
 大御本尊の問題は、日本の創価学会の下に各国SGIを位置づけるSGIの新たな機構・規定とセットで発表されました。この点については、日本の侵略を受けたアジアの国々の首脳が、強い違和感をあらわにしていました。

 このまま独断専行が続くと、池田先生が作られてきた学会の信心、SGIの組織が大混乱に陥ります。未来永遠に大きな禍根が残ります。大御本尊に関する見解の発表は、事実上、宗門に対する宣戦布告となります。大慶祝の時に、なぜ混乱と論争の火だねを蒔くのでしょう。勝つためには、それ相応の準備が不可欠ですが、なぜ何も準備しないまま、負け戦に突入していくのでしょう。
 池田先生が全世界の会員同志のために贈ってくださる総本部の完成を前に、このような事態が起こり、本当に先生に申し訳ない気持ちで一杯です。とともに「仏法に相違して己義を構えば之を用う可がらざる事」という覚悟を決めております。
 

    出典:http://ameblo.jp/bosatu2015/entry-11995074509.html

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