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 「前代未聞の大闘諍」とは全世界核戦争

   日蓮大聖人ただ御一人がお救い下さる

   学会、日寛上人の御指南までも否定

                  顕正新聞 平成27年5月5日 (1342)号
 
 先ほど発表のごとく、国難二年の初陣たる二・三・四月法戦、ついに誓願二万を上回わる二万五千三五六名の大折伏が成し遂げられ、ここに百七〇万を大きく大きく突破することが叶いました。
 
 地涌の菩薩の大集団
 
 この二万五千有余の大折伏は、二・三・四月法戦としては過去最高です。
 大聖人様仰せのままに三大秘法を弘め、日本国を独走する冨士大石寺顕正会の底力、まざまざと見た思いであります。
 しかもこの大折伏は、義務感や追い詰めでなされたものではない。ただ恋慕渇仰の信心と、功徳の歓喜と、広布の大情熱でなされているのです。
 このような団体は日本にない。まさに顕正会こそ、広布前夜に大聖人様に召し出だされた、地涌の菩薩の大集団なのであります。
 この初陣の大折伏により、いよいよ二〇一九年までの「二百万」は確実です。
 大聖人様がお待ちあそばす二〇年代の大事の御奉公に間に合うことを思えば、悦び、胸の奥から込み上げてまいります。
 
 「第二青年会館」
 
 さて、ここで会館建設の追加を発表いたします。
 昨年一一月の総幹部会で、平成二八年度の建設計画として垂井会館・筑波会館の二つを発表し、「残る一つは決定し次第、発表する」と申しましたが、その三つ目の会館がこのほど決定したので発表いたします。
 実は本部会館の北側の地続きに、道路にまで突き抜ける広大な土地があります。前々からここに青年会館と同様の会館を建てられたら、と思っておりましたところ、このたび購入できることになったのです。よってここに、青年会館と同規模の建物を建てます。完成は明年、夏の予定であります。
 青年会館に対応するこの建物、名称をどうしようかと、いろいろ考えました。いま顕正会では七十代・八十代の高齢の人たちの活躍がまことにめざましいですね。どの集会でも、七十代・八十代の人たちの登壇が相次いでいると、各部長から聞いております。結構なことです。そのうち、七十代にならなければ登壇できなくなる(大笑)。
 先日の尾道会館御入仏式では、九三歳の女性が「正義にめざめて」で情熱の登壇をしておりました。
 昔、政治の世界では「四十・五十は洟垂(はなた)れ小僧、六十・七十花盛り」と言われておりましたが、いま顕正会ではまさに「七十・八十花盛り」ですね(笑)。そこでこんどの会館の名称、いっそのこと「後期高齢会館」と(爆笑)。しかしそうすると青年が入りにくくなる(爆笑)。
 そこで、「第二青年会館」と決定いたします。素晴らしい会館が来年の夏までには建ちます。
 これで本年の会館建設は、四月の尾道会館に引き続いて九月に姫路会館、十月に佐渡会館が落成する。
 そして明年は、垂井会館・筑波会館・第二青年会館ということになります。
 
 「南東北大会」11月に
 
 次に、本年からいよいよ地方大会を各ブロックで順次、開催していきます。
 顕正会は昨年までの三ヶ年で、婦人部・女子部・男子部の大会を順次開き、ここに二〇年代の広布の決戦場を見据え、出陣いたしました。
 いよいよ本年からは地域・地域の連帯を堅め、日本列島全体に広布の大陣列を整えたいと思っております。
 地方大会の最初は「南東北大会」であります。
 この地は四年前の三月一一日、前代未聞のマグニチュード9.0という巨大地震に襲われ、さらに日本で最初の原発災害をも受けました。
 しかしこの地の顕正会員の信心は、まことに強くけなげです。私はこの地で、何としても第一回の地方大会を開きたいと思っておりました。
 ここに大会の期日と会場が決まったので発表します。期日は本年一一月三日(文化の日)。会場は仙台市の「セキスイハイム・スーパーアリーナ」であります。
 本大会こそ、いよいよ地方大会の幕開けであります。
 

 「前代未聞の大闘諍・一閻浮提に起こるべし」

 
 さて、話は変わります。
 大聖人様は広宣流布の時の様相を、撰時抄に次のごとくお示し下されております。
 「其の時 天変地夭盛んなるべし。国主等其のいさめを用いずば、隣国に仰せつけて彼々の国々の悪王・悪比丘等をせめらるるならば、前代未聞の大闘諍・一閻浮提に起こるべし。其の時、日月所照の四天下の一切衆生、或いは国を惜しみ、或いは身を惜しむゆえに、一切の仏・菩薩に祈りを懸くともしるしなくば、彼のにくみつる一の小僧を信じて、無量の大僧等、八万の大王等、一切の万民、皆頭を地につけ掌を合せて、一同に南無妙法蓮華経ととなうべし」と。
 この御文は、大聖人御在世の逆縁広布と未来の順縁広布、さらに日本の広布と、世界の広布、この四つの広宣流布を一文でお示し下された、大事な御予言であります。
 
 四つの広宣流布 原理は共通
 
 なぜ、四つの広布を一文で顕わし給うておられるのか――。謹んで案ずるに、原理が共通だからです。
 その原理とは もし国中の人々が日蓮大聖人の仏法に背くならば、諸天はまず「天変地夭」を以てその国を誡める。しかしなお国主等がその諌めを用いなければ、諸天はついに隣国に命じてその国を責めしめる。かくて「前代未聞の大闘諍」が地球規模で起こる。
 そのとき人々は、国が亡び我が命を失う恐怖から、一切の仏・菩薩等に祈る。しかし、その験もなく万策尽きたとき、ついに一切衆生は、それまで憎んでいた日蓮大聖人を信じ、頭を地につけ手を合わせ、一同に「南無妙法蓮華経」と唱え奉るに至る――と。
 すなわち 国中の謗法、諸天の怒り、天変地夭、前代未聞の大闘諍、大罰による帰依――これが四つの広布の共通原理なのであります。
 
 「天変地夭」
 
 そしていま、日本の順縁広布に約してこの御文を拝すれば「其の時、天変地夭盛んなるべし」とは、まさしく3・11の巨大地震と、今後引き続き起こるであろう首都圏直下と南海トラフの巨大地震がこの仰せに当る。
 3・11および首都圏と南海トラフ、この三つの巨大地震はまさに前代未聞です。これが連発するということは、何とも重大です。
 この天変地夭こそ「前代未聞の大闘諍」の前相なるがゆえに、地震もまた前代未聞なのであります。
 

 「前代未聞の大闘諍」

 
 では「前代未聞の大闘諍」とはどういうことか。これ、いよいよ核兵器を用いての大戦争が地球規模で起こる――ということであります。
 核兵器は広島・長崎で使われて以来、今日に至るまで七〇年間、一度も使われていない。世界が平和になったから使われなかったのではない。その破壊力があまりにも強大で悲惨、もし核保有国同士がこれを使ったら、人類の滅亡につながる。ここに「恐怖の均衡」なるものが生まれ、第二次世界大戦以後今日まで、核兵器が使われなかったのであります。
 また核保有国はこれまで長い間、米・英・仏・露・中の五ヶ国に限られていた。よって核の管理も比較的容易であったのです。
 
 核拡散止まらず
 
 だが今や、核の拡散は止まらなくなって来た。見てごらんなさい。米・英・仏・露・中の五ヶ国に次いで、今やインド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮の四ヶ国が核を保有するに至った。
 
 世界の火薬庫 中東の連鎖
 
 さらに恐るべきことは、「世界の火薬庫」といわれる中東において、いま各国が先を争って核を持とうとしているのです。
 すでに中東最大の国・サウジアラビアはパキスタンから核兵器を買う準備をしている。それというのも、隣国・イランが核を開発しようとしているからです。
 もしイランが核を持ったら、拡散の連鎖は止まらなくなる。そこでいま、イランの核開発を何とか阻止しようとして、米国を中心とする六ヶ国が交渉・協議を続けているのです。しかしどうなることか。
 
 キッシンジャーの爆弾証言
 
 その成り行きについて、米国上院の軍事委員会において本年一月二九日、キッシンジャー元国務長官が証言をしております。
 キッシンジャーといえば、アメリカの外交戦略ことに核問題については大御所的存在です。その豊富な経験は、世界で比肩する者もない。その彼が米国の上院軍事委員会において、次のように証言したのです。 「イランの核について、たとえ大枠で合意し成文化が実現したとしても、それが何の意味を持つのか。イランによる核開発を完全に封じ込めない限り、オバマ大統領は世界中への核拡散を是認したことになる」と。
 まさに爆弾証言ですね。つまり、もしイランが核を持ったら、中東の各国は先を争って核を保有するようになり、核は世界中に拡散するであろう――と言っているのです。
 
 中東で5~6ヶ国が
 
 彼は核保有に動くであろう中東各国の名こそ挙げなかったが、この証言を承けてウォール・ストリート・ジャーナルは、その国名を「サウジアラビア、トルコ、エジプト、さらに湾岸首長国のうちの一ヶ国または二ヶ国」と指摘しております。
 イスラエルはすでに核を持ち、いつでも先制攻撃をする態勢にある。中東各国の利害はまことに複雑に絡み合い、互いの疑心暗鬼が渦まいている。その中で、もし各国が核兵器を持ったら、必ず「火薬庫」に火が点いて、世界中が巻き込まれるのであります。
 
 プーチン発言
 
 危機は、中東だけではない。
 ロシアのプーチン大統領は三月一五日、ロシア全土で放映されたテレビ番組に出演して「昨年三月のクリミア半島併合の際、私は核兵器使用を準備するように指示した」旨の発言をした。
 これ以前の一〇日間、彼は消息を絶った。さまざまな憶測が世界中に飛び交ったが、この発言の準備・検討をしていたものと思われる。彼は軽率な発言をする人物ではない。
 プーチンは、ウクライナ危機を起こしたのはアメリカだと見ている。そこで、もしこれ以上ロシアに手を出すならば、こちらにも覚悟があるという威嚇が、この発言なのであります。
 このウクライナ問題も世界を巻き込む危険がある。
 
 中国の「東風41」
 
 また中国は建国以来、アメリカに敵意を懐いて核開発を進め、ついに「東風41」を保有するに至った。
 その性能は、昨年の男子部大会において申しましたが、米国全土を射程に収め、多弾頭型であるから同時に複数の大都市を狙うことができ、たった一基で、数千万人を一時に殺害することができるという、何とも凄まじいものです。
 中国は、二〇年代にはアメリカをアジアから追い出そうとしている。この中国の野望に、アメリカは深刻な疑心暗鬼を懐いている。中国もまたアメリカに疑心暗鬼を懐いている。
 
 ついに世界規模の核大戦争が
 
 この疑心暗鬼が、互いの恐怖を招くのです。「もし先制攻撃しなければ、こちらがやられる」と。
 この恐怖と恐怖、瞋恚と瞋恚が地球上を覆うとき、ついに核兵器を用いての地球規模の大戦争が起こる。これが大聖人仰せの「前代未聞の大闘諍」なのであります。
 

 日蓮大聖人ただ御一人がお救い下さる

 
 この大闘諍は人類の滅亡につながる。しかし誰もどうすることもできない。世界に自然と巻いてきたこの大渦、これは誰にも止められない。政治の力も経済の力も役に立たない。いかなる仏・菩薩・神の力も及ばない。
 では、この人類絶滅の惨禍をお救い下さるのは、いかなる御方か――。
 その仏様こそ、日本に御出現あそばした久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏・日蓮大聖人であられる。
 ゆえにその絶大威徳を御自ら「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」と仰せあそばされている。
 
 新尼抄の御予言
 
 さらに新尼抄には「一閻浮提の人々各々甲冑をきて弓杖を手ににぎらむ時、諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給わざらん時、諸人皆死して無間地獄に堕つること雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん。乃至、後生の大火炎を脱るべし」と。
 こういうことです。
 全世界の人々が、互いに瞋恚を起こして武器を持ち、大戦乱が起こるとき いかなる仏・菩薩・神々の力も及ばないとき 人々がみな死んで無間地獄に堕つること雨の降るごとくになるとき もしこの御本尊を堅く受持するならば、もろもろの国王はその国を助けることができ、万民は難をのがれ後生の大苦までも救われるであろう――と。
 有難いことですね。この仰せを拝するゆえに、私はいかなる世界大闘諍か起ころうとも恐れない。
 
 四十九院申状
 
 また四十九院申状には、こう仰せられている。「第三の秘法今に残す所なり。是れ偏に末法闘諍の始め、他国来難の刻み、一閻浮提の中の大合戦起こらんの時、国主此の法を用いて兵乱に勝つべきの秘術なり」と。
 「第三の秘法」とは、法華経の迹門・本門を第一・第二とし、文底深秘の大法こそ「第三の秘法」です。 その体は、まさしく本門戒壇の大御本尊であられる。
 御文の意は― もし一閻浮提の大闘諍が起き、他国が日本を亡ぼさんとするとき、その兵乱に勝つべき秘術は、国主がこの戒壇の大御本尊を強く受持し奉る以外にはない――ということであります。
 
 戒壇の大御本尊こそ大慈大悲の結晶
 
 いいですか。この新尼抄と四十九院申状を拝すれば、よ―くわかりますね。
 まさに戒壇の大御本尊様こそ、「前代未聞の大闘諍」から人を救い国をお救い下さるために、大聖人様が留め置かれた、大慈大悲の結晶なのであります。
 

 学会 日寛上人の御指南をも否定

 
 だが「魔は仏法をにくむ」という。
 戒壇の大御本尊の御威光いよいよ輝かんとする広布前夜に、第六天の魔王が、どうして手を拱(こまね)いて傍観することがありましょうか。
 天魔は直ちに池田大作の身に入った。ここにいま池田大作は必死になって、八百万学会員から戒壇の大御本尊への信を抜き取ろうとしているのであります。
 
 大聖人が顕正会になさしめ給う戦い
 
 このとき顕正会は、池田大作一党の大謗法を打ち摧(くだ)き、八百万学会員を救わんとしている。
 この戦い、顕正会と学会との争いではない。大聖人様が顕正会をして為さしめ給う大慈悲の戦いであります。だから全学会員は必ずわかる。
 いま正義にめざめた人たちは、たちまちに折伏の命になっているでしょ。先ほど登壇の「正義にめざめて」の、あの感動的な発表でもそうでしたね。これまで「池田大作を大聖人様だと思っていた」と。だが正義にめざめるや、忽ちに「第六天の魔王・池田大作!」となる。そして直ちに折伏に立ち、まだ迷っている学会員を救わんとしている。
 この大潮流は、池田大作一党がどう止めようとしても、もう止めることはできないのです。
 
 「三大秘法開合の相」否定
 
 いま学会では、日寛上人の御指南まで否定するようになったですね。
 たとえば、学会教学部が発表した「会則の教義条項改正に間する解説」(大白蓮華4月号)では改めて、戒壇の大御本尊が出世の本懐でないことを強調した上で、日寛上人が御教示下された「三大秘法開合の相」まで否定している。
  「三大秘法開合の相」とは―― 一大秘法の本門の本尊を開けば三大秘宝になり、その三大秘法をさらに開けば、本門の本尊に人と法、本門の題目に信と行、本門の戒壇に義と事があるから六大秘法になる。また六大秘法を合すれば三大秘法になり、三大秘法を合すればただ本門の本尊の一大秘法になる ――とのまことに重大な御法門であります。
 だが学会教学部では、これを次のように否定する。
 
 「御書にはない」
 
 「(学会は)これまで日寛上人の教学に基づいて、『一大秘法』や『六大秘法』ということを使用してきたが、『一大秘法』が『本門の本尊』であるという日寛上人の解釈は、御書にはない。御書に『一大秘法』と教示されているのは、『曽谷入道殿許(もと)御書』のみである。そこでは『妙法蓮華経の五字』を一大秘法として明かされている。以上のように、日寛上人が用いられている、三大秘法を合した『一大秘法』、また、三大秘法を開いた『六大秘法』という表現は、御書そのものには説かれていない」
 
 見え透いた謀り
 
 いかにも見え透いた謀りである。以下、破析する。
 曽谷人道殿許御書に「一大秘法」として御教示下された「妙法蓮華経の五字」とは、まさしく本門の本尊そのものではないか。
 観心本尊抄を拝せよ。「此の本門の肝心、南無妙法蓮華経の五字に於ては、仏猶文殊・薬王等にも之を付嘱し給わず、何に況んや其の已下をや。但地涌千界を召して八品を説いて之を付嘱し給う。其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士上行等の四菩薩……」と。
 「其の本尊の為体」とは、上の「本門の肝心、南無妙法蓮華経の五字」を指して「其の本尊」と仰せられている。「妙法蓮華経の五字」即「本門の本尊」ではないか。
 また新尼抄を拝せよ。「今此の御本尊は、教主釈尊五百塵点劫より心中に納めさせ給いて、世に出現せさせ給いても四十余年、其の後又法華経の中にも迹門馳せすぎて、宝塔品より事起こりて寿量品に説き顕わし、神力品・嘱累品に事極まりて候いしが、乃至、上行菩薩等を涌出品に召し出ださせ給いて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字を譲らせ給いて……」と。
 これまた、「此の御本尊」とは、下の「法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字」を指しておられる。
 まさしく「妙法蓮華経の五字」即「本門の本尊」即「一大秘法」たること、天日のごとく明らかではないか。「一大秘法とは本門の本尊ではない」などと、謀ってはいけない。
 何より、学会発行の仏教哲学大辞典を見よ。「一大秘法」の項には「本門の本尊、三大秘法総在の大御本尊をいう。・・・・すなわち一大秘法とは日蓮大聖人が弘安二年十月十二目に建立された本門戒壇の大御本尊のことである」と正義を述べているではないか。この自語相違、恥ずかしいとは思わぬか。
 このような破廉恥、そして一知半解の教学を弄ぶ池田大作一党ごときに、不世出の大学匠・日寛上人の甚深の御法門がわかってたまるか――。
 なぜ学会がこれを否定するのかといえば、日寛上人は依義判文抄において「三大秘法を合する則は但一大秘法の本門の本尊と成るなり。故に本門戒壇の本尊を亦三大秘法総在の本尊と名づくるなり」と。
 この仰せが邪魔になる。すなわち「本門戒壇の大御本尊」が邪魔になるのである。だから私は池田大作一党を「戒壇の大御本尊の敵」というのである。
 

 日寛上人の崇高な御臨終

 
 このような輩には、法門を論ずるよりも「現証を見よ」と私は言いたい。
 
 最終講義でご遺言
 
 いいですか。
 日寛上人は、御遷化の年の一月から二月にかけて、江戸の常在寺と妙縁寺において三たびにわたって観心本尊抄の講義をあそばしたが、その最終講義において、たわむれのごとく、次のごとく仰せられた。
 「彼の羅什三蔵の『舌焼けず』の故事にちなんで、いま日寛も一つ言い遺すことがある。予は日ごろよりソバを好む。よって臨終のとき、このソバを食し、一声笑ったのち、唱題のうちに臨終するであろう。
言うところ、もし違ったならば信ずるに足らざるも、違わざる時は、日寛の申す法門は日蓮大聖人の御意に寸分も違わずと、堅くこれを信ぜよ」と。
 まさに御自身の臨終を証拠として、御書文段・六巻抄等の所説が一分も仏意に違わざるを、証明し給うたのです。凡夫にこんなことが言えましょうか。
 果せるかな、その御臨終は仰せのままの崇高さであられた。
 
 「生死は仏意に」
 
 観心本尊抄の最終講義は、御年六二歳の享保一一年の二月です。
 その翌三月、日寛上人は大石寺にお帰りになった。ご帰山より、上人のお身体は日に日に衰弱された。
 そばに侍(はべ)る日詳(にっしょう)上人等が心配され、しきりに薬をお勤め申し上げた。しかし日寛上人は薬餌(やくじ)は用いられなかった。それは「もう為すべきことをすべて了えた」「生死は仏意に任せ奉る」とのご心境であられたと私は拝する。
 
 御臨終三月前に御相承
 
 そして御遷化の三月前の五月に、日詳上人に大事の「御相承」をあそばされた。
 このとき「もう思い残すことは何もない」との御心境を一首の歌に詠まれ、日詳上人に示されている。「思い置く たねこそなけれ なでしこの みをものこらず 君にまかせて」と。
 日詳上人は直ちに返歌された。「君がまく 種のみのりを まつがえの 栄えん時を 待ちいづる哉」と。
 何とも麗しい御相承の授受ですね。
 御遷化の一両日前には、お暇乞いのため、袈裟衣を着けられ寝所より駕龍に乗って、まず御堂へ詣で、ついで御宝蔵、さらに日蓮大聖人・日興上人・日目上人の墓所をめぐられ、読経・唱題あそばしお暇乞いをされている。
 
 仰せのままの御臨終
 
 そしていよいよ御遷化前日の八月一八日、傍にはべる弟子たちに「我、今夜のうちに死すべし。少しも驚くことなかれ。騒がしくては大事をあやまる、息絶えてのち諸方に知らすべし。傍に侍るは二人か三人でよい。唱題のほかは他語すべからず。臨終のときは舌の根こわばるゆえにお題目はゆっくりと、ことに経の字は長く延ばして唱えよ」とご指示された。
 そののち、自ら筆をとって、辞世の一偈・句をお認めになられた。「本有の水風 凡聖常に同じ 境智互に薫じ 朗然として終に臨む」
 まことに甚深の一偈であられる。そしてさらに「末の世に 咲くは色香は及ばねど 種はむかしに 替らざりけり」と。
 書き了られると、傍に侍す弟子に「ソバを打て」と命ぜられた。ソバは直ちに調進された。日寛上人は、そのソバを七箸まで召し上がられたのち、莞爾(かんじ)としてお笑いになり「あな面白や、寂光の都は」と仰せられた。
 そののち、口をすすいで清められ、御本尊に向かって合掌され一心に唱題をあそばす中に、身体少しも動ぜず、安詳として御遺化あそばされた。
 このような崇高の御臨終、凡夫の誰人にまねなりともできましょうか。
 
 絶対と信じ奉る
 
 まさに日寛上人は、この臨終の証拠を以て、ご自身が生涯かけて説き顕わしたご法門が、大聖人様の御意に寸分も違わざることを証明して下さったのであります。だから私は、日寛上人の御教示を絶対と信ずる。
 この御指南あればこそ、御遺命守護の御奉公もできたのです。さもなくて、どうして己義を構える貫首、また強大な学会を相手に戦えたでしょうか。
 まさに日寛上人は広宣流布の為に、大事の御法門書をお残し下されたのです。私はこの大恩徳、常に忘れたことがない。
 
 池田大作の現証
 
 一方、池田大作はいま「生ける屍」のごとくになっているではないか。死ぬに死ねない。正念を失ったままその醜態をさらすことすでに数年。人は知らずとも、その大苦はいかばかりか。この姿は何を物語っているのか。
 大聖人様は「一切は現証には如かず」(教行証御書)と。後生の堕獄こそ恐れなくてはいけない。
 
 「舞いをもまいぬべし立ちて踊りぬべし」
 
 いいですか。
 大聖人御入滅後七百三十余年、未だ曽てなき極限の大謗法が起きた。ゆえにいま「前代未聞の大闘諍」が起こらんとしているのです。しかし仏弟子ならば、少しも嘆いてはいけない、恐れてはいけない。
 大聖人様は第一回の蒙古襲来直後の大悪大善御書に、こう仰せられている。「大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる。すでに大謗法国にあり、大正法必ずひろまるべし。各々なにをか嘆かせ給うべき。迦葉尊者にあらずとも、舞いをもまいぬべし。舎利弗にあらねども、立ちて踊りぬべし。上行菩薩の大地より出で給いしには、踊りてこそ出で給いしか」と。
 極限の大謗法おこれば大正法は必ず弘まり、前代未聞の大闘諍おこればいよいよ事の広宣流布は近い。上野抄の「ただをかせ給え、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」とはこのことであります。
 大聖人様のこの重大なる御化導をお手伝い申し上げるのは、顕正会以外にはあるべくもない。
 もう広宣流布は近い。その時に生まれ合わせた我らこそ、迦葉・舎利弗のごとく舞をも舞い、立ちて踊るべきであります。
 さあ、四年後の二百万を見つめ、大歓喜と情熱を以て驀進し、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。(大拍手)
 
 
 

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