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 広布前夜、天魔は御遺命破壊を企む

   見よ!国立戒壇放棄と偽戒壇正本堂を

   忠誠貫く150万顕正会あれば日本は亡びず

 
 空前の大法弘通
 
 先ほど発表のごとく、この六・七月法戦の弘通は、誓願を大きく超える過去最高の一万七千一九一名に及びました。まことに凄い。驚きました。
 まさに広布の最終段階を戦う地涌の菩薩の大集団の、信心の大熱気を見た思いがいたします。
 大聖人様の「身命定めて喪わんか」との立正安国論の大慈大悲に、一分でも応え奉ることができたと思えば、有難さでいっぱいであります。
 男子部も、女子部も、婦人部も、まことに立派であった。よーくがんばってくれました。
 この六・七月の法戦により、本年十一月の一五〇万法城は決定的となりました。
 亡国の坂道を転げ落ちつつある日本国において、大聖人様に忠誠を貫く一五〇万の仏弟子の大集団が出現するならば、日本は断じて亡びない。
 さあ、全顕正会員が十一月の一五〇万を見つめ、「自分も石垣を一つ積ませて頂きたい」との思いに立って、大歓喜の中に一五〇万大法城を築き上げ、大聖人様の御照覧を賜りたい。こう私は思っておりますが、みなさん、どうでしょうか。(大拍手)
 
 顕正会の原点の月
 
 迎える八月は、顕正会の「原点の月」であります。なぜ八月を原点の月というのかと言えば――
 顕正会が、広宣流布・国立戒壇を見つめて発足したのが、昭和三十二年の八月。
 また、国立戒壇の御遺命を守り奉ったゆえに死罪に等しき解散処分を受けたのも、昭和四十九年の八月。
 さらに、大罰の時代を見据え、広宣流布終段階の御奉公を大聖人様に誓い奉ったあの三万人の男子部大会も、一昨年の八月であった。
 このように顕正会の歴史を貫く重大な節は、ことごとく八月にある。ゆえに八月を顕正会の原点の月というのであります。ことに広布最終段階の御奉公を誓い奉ったあの儀式から、一年七ヶ月を経て超巨大地震が発生し、ついに大罰の時代に突入した今、いよいよ身の引き締まるを覚えるものであります。
 
 発足以来54年
 
 顧みれば、顕正会が発足してからこの八月で、すでに五十四年ですね。発足のとき馳せ参じた同志は、わずか三百数十名。その署名簿、私は今も大事に金庫の中に保管しております。
 その名簿の中に、先ほど話が出た水原三喜蔵さんの署名もあります。当時わずかな同志でありますから、私は一人一人をよく知っている。水原さんのこともよ―く知っております。その水原さんが、一筋の信心を貫き通して九十六歳、みごとな良き臨終を遂げたとのこと、何とも尊く有難い思いであります。
 
 一貫不変の大精神
 
 このわずか三百数十名の小さな集団が、今や一五〇万の大集団にならんとしている。
 このように組織が大規模になり、また年数を経れば、通常の組織なら必ず変質する。精神が変わってしまうのです。
 だが、顕正会は一貫不変です。その大精神は少しも変わらない。五十四年前、雄々しくも悲壮な決意で発足した時も四十一年前、命かけて御遺命守護に立ち上がった時もそして広布最終段階の御奉公に、いよいよ捨身で立っている今も――精神は少しも変わらない終始一貫であります。
 では、その一貫不変の大精神とは何か―― 。それは、日蓮大聖人に対し奉る忠誠心以外にはない。
 学会の池田大作や宗門の細井日達・阿部日顕等は、大聖人様を見つめていなかった、軽んじていたのです。だから御本仏一期の御遺命をも平然と抛つことができたのであります。
 私は、大聖人様の御眼だけを恐れてきた。そして常に「もし大聖人ここにましまさば、何を命じ給うか」と、この御遺命を信心の耳で聞き泰り、御奉公を貫いて来た。これが顕正会の行動原理です。ゆえに一貫不変、少しもブレないのであります。 
 
 顕正会はいかなる時に生まれ合わせたか
 
 いいですか。
 顕正会はいかなる時に生まれ合わせたのかというと、広宣流布の前夜、御本仏の大事な御遺命が破壊されんとしたときに、たまたま生まれ合わせたのであります。
 
 第六天の魔王は仏法を破壊する
 
 この宇宙法界には、仏法を守護する諸天が存在すると同時に、仏法を破壊しようとする魔の働きもある。その魔の中心的存在を第六天の魔王という。この第六天の魔王は、仏様の御化導を必ず妨害するのです。
 たとえば釈尊が法華経を説かんとしたとき、第六天の魔王は提婆達多・阿闍世王等の身に入って「九横の大難」といわれる様々な妨害をしている。
 そのことを三沢抄には「提婆達多・阿闍世王の悪事は、ひとへに第六天の魔王のたばかりとこそみへて候へ」と仰せられている。
 だから提婆達多の力は凄まじかったんですね。上野抄には「形は人なれども、力は第六天の力なり」とも仰せられている。
 釈尊の時ですら、第六天の魔王はこのように妨害をした。いかに況んや、末法に下種の御本仏が出現され三大秘法を弘通あそばすときは、もっともっと凄いのです。 第六天の魔王は良観や平左衛門、さらに国主・万民の身に入りて、大聖人様の御命を奪わんとした。ここに恐るべき流罪・死罪の大難が大聖人の御身を襲ったのであります。
 また大聖人様が出世の本懐をお遂げあそばすときには、門下一同を迫害して退転させようとした。出世の本懐成就を妨げんとしたのです。これが熱原の大法難であった。
 しかし熱原の方々を始め全門下が、不惜身命の信心を貫いた。これが門下一同の「唯順説之」です。
 これらの大難の後、大聖人様は戒壇の大御本尊を建立し拾い、この大御本尊を日興上人に付嘱され、未来広宣流布の暁の国立戒壇に安置し奉るべしと、御遣命あそばされたのであります。
 
 正系門家から御遺命を抜き取る
 
 いいですか。この重大な御遺命がいよいよ成就されんとするとき、第六天の魔王がどうして黙っていようか。妨害もせずに傍観をしているわけがないのです。
 では、どうやって妨害するか――。
 第六天の魔王は、必ず正系門家から国立戒壇の御遺命を消滅させることを企むのです。
 この手口を見てごらんなさい。
 第六天の魔王はまず、宗門最大の実力者・池田大作の身に入った。すると池田大作は忽ち「国立戒壇」を放棄する心を起こした。国立戒壇が評論家などの批判を受け、選挙の邪魔になると思ったからです。
 そこで彼は、国立戒壇を抹殺するために偽戒壇・正本堂を建て、これを時の貫首に「御遺命の戒壇である」と言わせようとした。
 本来ならば、正系門家の貫首上人は断固としてこのような大悪事を打ち摧かなければいけない。これが「末法万年の総貫首」であられる日興上人の厳しき御遺誡でもある。
 ところが六十六世・細井日達は、池田大作にへつらってしまった。これも魔が入ったんですね。そこで御遺命を売り渡してしまったのです。
 宗門最大の権力者・池田大作と、誰人も背けぬ最高権威の「法主」が一体となって「国立戒壇は本宗の教義ではない。正本堂こそ御遺命の戒壇である」と謀ったら、宗門の全僧侶・全信徒がなびくのは当然です。
 
 宗門全僧侶が偽戒壇を讃嘆
 
 ここに宗門の全僧侶は口をそろえて正本堂を讃嘆した。
 一例を挙げれば、細井日達の娘婿で、のちに能化にも昇進した菅野日龍などは、昭和四十二年の正本堂発願式に参列した感激として、次のような一文を宗門機関紙に寄せている。
 「正本堂建立は即ち事の戒壇であり、広宣流布を意味するものであります。この偉業こそ、宗門有史以来の念願であり、大聖人の御遺命であり、日興上人より代々の御法主上人の御祈願せられて来た重大なる念願であります」と。
 まことに大それた虚言でしょう。国立戒壇を、あっというまに偽戒壇・正本堂にすり替えている。これこそ池田大作が「時の貫首」を籠絡しての、たばかりだったのであります。
 かくて正系門家から「国立戒壇」の四文字は禁句となり、正本堂を讃える悪声のみが宗門にこだました。
 第六天の魔王はものの見事に、正系門家から日蓮大聖人の御遺命を抜き取ってしまったのです。
 
 厳たる御遺命 耳朶を打つ
 
 正系門家のこの堕落、この師敵対をごらんあそばせば、大聖人様はいかに御悲憤あそばし給うか。
 国立戒壇が抹殺されれば、大聖人の大願であられる「仏国実現」も虚くなる。流罪・死罪を忍び給うての一代三十年の御化導も、水泡に帰してしまうではないか。
 このような大悪事を見ながら知りながら、黙っていたら、大聖人に対し奉る最大の不忠となる。
 ――このとき、大聖人様の厳たる御命令が私の耳朶を打った。「法を壊る者を見て責めざる者は、仏法の中の怨なり」「むしろ身命を喪うとも教を匿さざれ」と。
 私はすべてを抛つ決意で、諌暁に立った。
 
 学会二度も訂正 管長も訓諭を訂正
 
 連々と続いた強き諌めは、学会と宗門を驚動せしめた。
 幾たびもの対論ののち、正しい道理に追い詰められた学会は、ついに正本堂の誑惑を二度も文書で訂正した。細井日達もまた、正本堂の意義を定めた「訓諭」を訂正し、その文書を私に手渡した。
 だが、彼等の訂正は心からの改悔ではなかった。追い詰められ、逃げ場を失っての、一時しのぎの誓約だった。だから池田は見えないところで誑惑の言動を繰り返していた。
 その不誠実を見て、私はなおも徹底して責めた。
 もうごまかし切れぬと見た彼等は、開き直って、顕正会の抹殺を企てた。
 
 解散処分下る
 
 それが昭和四十九年八月十二日の解散処分だったのであります。
 細井日達からの「解散処分・宣告書」が送達されて来たとき、私は「大事な御遺命が破壊されんとしているのに、顕正会が安穏では、いかにも大聖人様に申しわけない。これで一分でも申しわけが立つ。御遺命を守るに『懈怠の弟子、ゆるき弟子』とのお叱りだけは免れる」との思いが胸に湧いたこと、今でも憶えております。
 池田大作にしてみれば、この解散処分で顕正会は潰滅すると思ったに違いない。顕正会がなくなれば国立戒壇を抹殺することができる。これが第六天の魔王その身に入る池田大作の魂胆だったのです。
 だが、顕正会の御遺命守護の戦いはいよいよ強く大規模になった。この正義の叫びに触れて、御遺命の正義にめざめる学会員も続々と出て来た。
 
 三機関で決議
 
 驚いた池田大作は、解散処分翌年の昭和五十年十月、宗門の宗会議員、法華講連合会の役員会、そして創価学会の副会長室、この三つの機関に顕正会を誹謗する決議書を作らせ、これを全宗門・全学会員に周知徹底させた。
 その決議内容は、顕正会を指して「御法主上人の御指南に背く師敵対の大謗法者」と罵ったものです。ここにも「法主」の権威を利用して顕正会を抹殺せんとの魂胆が見える。
 また宗門の教学部長だった阿部日顕が池田大作に命じられて、二冊目の悪書「本門事の戒壇の本義」を書いて顕正会を誹謗したのも、このころでした。
 
 公権力・マスコミを動員
 
 しかし、いかなる悪罵中傷も、御遺命を奉ずる顕正会の死身弘法を止めることはできない。国立戒壇の御遺命にめざめて顕正会に入会する学会員は後を絶たなかった。
 ここで池田大作はどうしたか。もう解散処分の後であるから「法主」の権威は使えない。そこでこんどは、公権力を動かしたのです。
 折伏を行ずる顕正会員に対し、学会員に虚偽の告訴をさせた。そして次々と顕正会員を公安警察に逮捕させ、新聞・テレビで大々的に報道させた。すなわち、「顕正会は拉致・監禁をするオウムのような怖い団体」ということを、広く社会に宣伝して顕正会を潰滅させようとしたのです。
 池田大作は、先には「法主」を使って顕正会を解散処分にし、次には公権力とマスコミを動かして顕正会の潰滅を策したのです。
 この力はまさに「形は人なれども、力は第六天の力なり」との仰せのままですね。 正系門家の中で、国立戒壇の御遺命を守るのは顕正会だけである。顕正会さえ抹殺すれば国立戒壇を消滅させることができる。ゆえに第六天の魔王その身に入る池田大作は、何としても顕正会を抹殺したかったのです。
 
 不思議の御守護
 
 だが、大聖人様に忠誠を貫く者は、必ず御守護を頂く。
 大聖人様は、正系門家の中で一人御遺命を守り奉る顕正会を「不憫」とおぼされ、御守護下された。
 かくて、一万二千で解散処分を受けた顕正会がついに今、一五〇万の仏弟子の大集団になった。国立戒壇の御遺命を奉じて日本国に立つ唯一の、地涌の菩薩の大集団となったのです。そして偽戒壇・正本堂は、大聖人の御威徳により崩壊してしまった。
 こんな不思議なことはない。すべてはこれ、大聖人様の御守護であります。
 
 大罰の時代に突入
 
 しかし正本堂が崩壊しても、宗門も学会も「国立戒壇」だけは今なお否定し続けている。第六天の魔王の呪縛にとらえられ、未だに御遺命に背き続けているのです。 ここに今、日本はついに広布前夜の「大罰の時代」に突入したのであります。
 その号鐘が、3・11の超巨大地震だった。巨大地震は一回では終わらない。3・11の超巨大地震で、日本列島の地殻構造は変化を来たしたのです。
 今後、首都圏直下が、東海・東南海・南海連動の巨大地震が、さらに活断層による内陸型巨大地震も列島各地を襲うに違いない。これが広布前夜の大地動乱であり、亡国の先兆なのであります。
 そして国家破産等の災厄が続いたのち、ついに恐るべき他国侵逼が起こり、日本国は亡びんとする。
 
 亡国のとき広宣流布
 
 しかしこのとき、大聖人様は広宣流布をあそばし、必ず日本をお救い下さる。
 この重大な御化導、誰人がお手伝い申し上げるのか。
 国立戒壇の御遺命を抛ち、今なお戒壇の大御本尊様に不敬・冒涜を続ける学会・宗門に、この資格など、あるべくもない。
 ここに、御遺命を守り奉った顕正会が、いま大聖人様に召し出だされているのです。上野抄には「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」と。この仰せのごとく、広宣流布は、諸天に申し付け給う大聖人様の絶大威徳によって成就するのです。
 今、つたなき凡夫が、この重大な御化導のお手伝いをさせて頂けるとは、何という宿縁、何と有難いことか。この御奉公に喜び馳せ参ずる者は、必ず一生成仏の仏果を頂ける。
 さあ十一月には、いよいよ濁悪の日本国に、大聖人様に忠誠を貫く地涌の菩薩の大集団が出現する。一五〇万の大法城が厳然と屹立する。
 全顕正会員、歓喜の中に一つずつ石垣を積んでこの大法城を築き、晴れて大聖人様の御照覧を賜ろうではありませんか。以上。(大拍手)
 
 

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