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 立正とは詮ずるところ国立戒壇の建立

   宗門・学会御遺命に背き国立戒壇を抛つ

   立正なくして安国なし、ついに大罰の時代ヘ

 
 きょうの総幹部会も凄いですね。御本尊様の功徳と広宣流布の大熱気がたぎっている。まことに素晴らしい集会であります。
 
 広布近しの現証
 
 この総幹部会にしても、本来の開始定刻は午後七時ですよね。しかし、そのだいぶ前から詰めかけて満員になってしまう。そこでやむなく毎月、六時二十五分に開始しているわけです。このように、誰に言われなくとも早く集り広宣流布に燃え立っている。
 このような熱気ある団体は、日本国に顕正会以外にないと、私は思っております。
 先月の総幹部会で私は申しました。
 「地涌の菩薩の魂とは、「有り難い」の歓喜と「広宣流布」の決意である。この心が胸に湧いて来たら、もうその人はただの素凡夫ではない。勿体なくも御本仏日蓮大聖人の眷属、地涌の菩薩の一分である」と。
 いま顕正会においては、老いも若きも、そして入信の新旧も関係ない。入信したぱかりの人も、あるいは先ほどの何人かの登壇にもあったように、四十年も組織から離れていた人たちが、いま続々と地涌の菩薩の魂にめざめて広宣流布に勇み立っているのです。
 この姿こそ、広宣流布近しの現証であると、私は確信しております。
 
 死身弘法こそ最大の御報恩
 
 ことに迎える七月は立正安国論の月であります。立正とは、詮ずるところ国立戒壇建立ということです。国立戒壇を建立すれば日本は仏国となり、真に安泰となる。そして日本および全世界の人々が仏に成れる。これこそ立正安国論の御意であり、大聖人様の大願であられる。
 しかるにいま広布前夜になって、第六天の魔王に誑かされ、学会も宗門も国立戒壇の御遺命を抛ってしまった。正系門家のこの師敵対・濁乱をご覧になれば、大型人様はいかに悲しみ給い、いかに御憤りあそばすか。
 その中で、大聖人様に忠誠を貫いて国立戒壇の御遺命を堅持しているのは、顕正会しかない。そしてこの顕正会の死身弘法は、この七月、いよいよ一五○万を決定的にせんとしている。
 顕正会の弘通が進めば、それにつれて御遺命の正義も日本国に顕われていく。ゆえにこの死身弘法こそ、大聖人様に対し奉る最大の御報恩である。こう私は確信しておりますが、みなさん、どうでしょうか。(大拍手)
 
 立正安国論の御意を拝せよ
 
 きょうは立正安国論について、少々述べたいと思っております。
 立正安国論は、立宗より七年目の文応元年七月十六日、時の国主・北条時頼に宛てられた、始めての国家諫暁の一大重書であります。
 
 クビライの即位
 
 不思議なことに、大聖人の御化導に重大な関わりをもった輩古のクビライが即位したのも、同じ年なんですね。
 ちなみに、クビライは通例フビライと呼ばれておりますが、最近の史学会では、どうやら「クビライ」に統一されたようなので、それを用います。
 クビライはジンギスカンの孫です。ジンギスカン没後、蒙古の王となるまでには一族の問で激しい争いがあったが、その抗争に勝ち抜いて王位に即いた実力者です。
 彼はジンギスカンが築いた大蒙古をさらに発展・拡大させ、その領土は、当時の世界の五分の三にまで及んだ。すなわち東は今のロシア極東地域から、西は中東の地中海沿岸、まさにユーラシア大陸のほとんどを支配したのです。
 これだけの領上を支配した単一国家は、史上、蒙古以外にはない。まさに空前絶後の「モンゴル世界帝国」を築き上げたわけであります。
 このクビライが、日本に侵略の意志を懐き、二度まで大軍を以て押し寄せて来たのですが、その即位が立正安国論と同じ年であったこと、何とも不思議ですね。
 これも、大聖人様の御化導に応ずる諸天の働きです。諸天が大聖人の御化導を助けまいらせるため、隣国にこの態勢をとらしめたのであると、私は思っております。
 
 「身命定めて喪わんか」
 
 さて立正安国論こそ、日蓮大聖人が日本国の一切衆生を現当二世に救わんと、文字通り、身命を賭して顕わされた御書であります。
 立宗以来大聖人様は、念仏・真言・禅・律等の邪法を破祈され、唯一の成仏の大法たる南無妙法蓮華経を一切衆生にお勧め下された。
 だが、邪宗の坊主らの扇動によって、日蓮大聖人を憎む声は国中に満ち、迫害は日々に強まった。
 その中に、正嘉元年八月二十三日、前代未聞の巨大地震が起きたのです。大聖人様はこの大地震をごらんになり、「これ仏法より事起こる」と知り給い、もし、このまま正しい仏法に背き続けるならば、日本国の一切衆生、必ず今生には他国の責めを受け、後生には無間地獄に堕つると厳然と預言され、仏国実現を強く国主に促がし給うた。
 これが立正安国論の御趣旨であります。
 当時、国主をはじめ万民が念仏等の邪法を堅く信じていた。その中での強き御諫暁であれば、身命に及ぶことはご覚悟の上であられた。
 ゆえに教機時国抄には「身命定めて喪わんか」と仰せられているのであります。
 しかし『このような崇高なる御心も、信心なき者には全くわからない。たとえば金沢大学教授で身延系の坊主の戸頃某などは、言いも言ったり、「立正安国論は幕府に対する就職運動だ」と言い放った。心卑しき者は、卑しき目でしか見ることができない。
 こんな卑しい者だからこそ、学会からカネをもらえば、正本堂をほめ、顕正会を誹謗する文も書くことができたのです。まあ、こんなことはどうでもいい。
 
 「日蓮によりて日本国の有無はあるベし」
 
 さて、立正安国論の御意とはいかなるものか。それは、開目抄の御心を拝するとき、始めてわかる。まさしく立正安国論は開目抄の御心に通じているのであります。
 いいですか。下種本仏成道御書には開目抄の御心を次のごとく仰せられているでしょう。
 「此の文の心は、日蓮によりて日本国の有無はあるべし。習えば宅に柱なければたもたず。乃至、平左衛門既に日本の柱を倒しぬ。只今、世乱れてそれともなくゆめの如くに妄語出来して此の御一門同士討ちして、後には他国よりせめらるべし。例せば立正安国論に委しきが如し」と。
 すなわち――開目抄の心とは、日蓮によりて日本国の有無はあるべしということである。それは、家に柱がなければ保たないように、日本の柱である日蓮大聖人を立てなければ日本は亡ぶということである。平左衛門はすでに日本の柱を倒してしまった、頸を刎ねたのである。ゆえにいま北条一門の中に自界叛逆が起きて、のちには必ず他国より責められるであろう。このことは立正安国論に詳しく示してある――と。
 いいですか。開目抄の心とは「目蓮によりて日本国の有無はあるべし」ということ。そしてこのことは立正安国論に詳しく示してあると仰せられている。
 だから立正安国論の御意は、開目抄を拝して始めてわかるのです。まさに「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」――この重大事こそ、安国論の御意そのものなのであります。
 ゆえに私は平成十六年の諫暁書の題名を「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」として『立正安国論の御意を日本の人々に広く伝えたのであります。
 
 大現証を見よ
 
 日蓮大聖人は末法下種の「人の本尊」であられる。この御本仏に帰依すれば人も国も栄える。しかし背くならば人も国も持たない。
 その罰の大現証を見てごらんなさい。仏法は空論ではない――。大聖人の御頸を刎ね泰らんとした竜の口の五ヶ月のちに、まず北条一門の中に自界叛逆の罰が現われた。そして竜の□の三年後、さらにその七年後と二度も大蒙古の責めを受けて日本は亡びんとしたではないか。
 何と重大な現証か。すべて立正安国論の御預言そのままであります。
 
 後生の大苦を救い給う大慈悲
 
 そして、この眼前の大罰も、実は一切衆生の後生の大苦をお救い下さる大慈悲なのです。この大罰によりてもし改悔を起こすならば、後生の無間地獄の大苦を免れることができるからです。
 ゆえに佐渡御書には 「現世に云をく言の違わざらんを以て、後生の疑をなすべからず」と。この御文を拝して日寛上人は「此において暫時筆を閣き、紅涙白紙を点ず」と仰せられている。
 また王舎城事には 「法華経の敵となりし人をば梵天・帝釈・日月・四天、罰し給いて、皆人に見懲りさせ給へと申しつけて候。乃至、あへて憎みては申さず、大慈大悲の力、無問地獄の大苦を今生に消さしめんとなり」と。
 日蓮大聖人を謗ることが、どれほど大きな罪業となるか。このことを人々に見・懲りさせるため、諸天に申し付けて蒙占の責めを起こさしめたのである。これは日本国の人々を憎んでのことではない。これこそ無間地獄の大苦を今生に消さしめんとの大慈大悲のゆえである――と仰せられる。
 凡夫というのは現世のことしか見ないから、死後を恐れない。しかし三世了達の仏様の御眼から見れば、最も恐るべきことは、死後の未来永劫にわたる無間地獄の大苦ですよ。この大苦を、今生の改悔によって消せしめんとの大慈悲から、諸天に申しつけて他国侵逼の大罰を眼前に示し給うたのです。
 しかも、「国亡ぶ」の現世の大罰すら、ついには諸天に申し付けて、冥々のうちにこの日本国をお守り下されている。この限りなき大慈大悲、ただ伏して拝し奉るのみであります。
 
 立正とは国立戒壇の建立
 
 しかるに日本の人々は、御頸刎ね奉らんとしただけではない。今日に至るまでまだ背き続けている。そのうえ一国を諌めるべき正系門家まで国立戒壇を捨て、大聖人様の大願たる「立正安国」の御意に背いてしまったのです。
 いいですか。先ほども申しましたが――立正とは、詮ずるところ国立戒壇の建立であります。ゆえに日寛上人は「立正」の深意について文段に「立とは戒壇を立つるなり。御相承に云く『国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ』」と。
 まさしく立正とは国立戒壇を建てること。その一大事を御遺命されたのが、日興上人への御付嘱状なのであります。
 
 「国立戒壇」を抹殺
 
 だが、天魔その身に入りし池田大作は、政治野心から学会員の信心を選挙に利用した。選挙には、世間に抵抗多き「国立戒壇」は邪魔になる。そこで彼は国立戒壇を抹殺するため、偽戒壇・正本堂を建て、これを「御遺命の戒壇」と偽ったのです。
 もしこのような大悪を見たら、信心ある貫首上人ならば、命かけてもこれを阻止なさるに違いない。だが、時の貫首の細井日達と阿部日顕の二人は、この大悪事に協力をし、かえって国立戒壇の正義を守り奉った顕正会を解散処分にしてしまった。 まさに大事な御遺命を学会に売り渡してしまりたのであります。
 
 広布前夜の大罰の時代に突入
 
 正系門家が「国立戒壇」を抛てば立正はない。立正がなければ安国もない。ここに今、諸天の誠めにより、広布前夜の大罰が起きて来たのであります。
 大罰の号鐘は、日本観測史上最大といわれたあの東日本超巨大地震であった。
 この巨大地震は津波の惨事だけではなく、日本で始めての放射能汚染という災害まで引き起こした。
 
 原発は直ちに廃止せよ
 
 原発事故というのは、ひとたび発生すれば制御不能ですよ。そして放射能汚染による被害は、時間的にも空間的にもどこまで広がるかわからない。それは日本民族の生命を細胞レベルで蝕む恐ろしさがある。このことがわかった以上、もう原発は直ちに廃止しなければいけない。
 
 「電力不足になる」は電力会社のウソ
 
 「原発を廃止すると電力不足になる」などと言われているが、これはウソですよ。電力会社や原発推進派が為にする宣伝であります。
 早大の小出裕章助教によれば 「実は原発の設備利用率を上げるため、従来の火力発電所の稼働率は現在四八%まで下げられている。この火力発電所を復旧させて稼働率を七○%まで上げれば、原発をぜんぷ止めても充分問に合う」とのことです。
 その上で、太陽熱・地熱・風力・水力・海水流等を利用した自然エネルギーを開発すればいいのです。広宣流布になれば、日本の優秀な技術で一気にできると、私は思っております。
 
 「電気料金が高くなる」
 
 また「原発をやめると、電気料金が高くなる」というのもウソです。
 原発というのは、とてつもない量の放射性廃棄物を処理しなければならない。この費用は政府の二◯◯四年の調査会報告によれば約十九兆円であるが、立命館大学の大島堅一教授の試算によれば、実際は七十四兆になるという。その内容はは東洋経済(6月11日号)に詳しい。現在のコスト計算はこの莫大な処理費用を入れてない。これを計算したら、水力はもちろん火力発電よりもずっと高くなるのです。
 ましてひとたび事故を起こしたら、その賠償金は福島第一原発を見てもわかるが、天文学的数字になる。これまで計算に入れたら、どれほど電気料金は高いものになるか。
 総じて原発推進派は、「原発を廃止すると電力不足で日本経済がおかしくなり、国民生活が成り立たなくなる」などと主張しているが、国民の命を危うくして、何が国民生活かと私は言いたい。
 
 必ず諸天の働きで
 
 旱く全国の原発を廃止しなければ、いつ次の巨大地震が発生するかわからないではないか。そのとき、日本民族の命が危なくなる。何よりも、広宣流布に戦う地涌の菩薩の命が傷ついてはいけない。ゆえに大罰の中にも、先般の浜岡原発に見るごとく、必ず諸天の働きにより、原発はすべて速かに廃止されるものと私は確信しております。
 
 政治の衰退は亡国の前兆
 
 さて、話は変わりますが、いま日本の政治の混乱は目を覆うばかりですね。統治能力かなくなってしまりた。これを王法衰退というのです。亡国の前兆であります。
 
 この混乱を見よ
 
 見てごらんなさい。長いあいだ政権の座にあった自民党は腐敗堕落して政権の座から滑り落ちた。
 替わって政権を担った民主党には国家観がない、また国際情勢への冷徹な認識がない。だからいたずらに幼稚で危なっかしい反米・親中を振り回して、鳩山内閣は行き詰まって潰れた。
 そして菅内閣が登場したわけですが,菅総理は器が小さくて人望もない。そこで民主党内が纏まらない。いつも内紛ばかり起こしている。
 この分裂をあてにして、自民・公明は内閣不信任案を提出したが、際どいところで否決された。
 しかしその後も自民・公明はもちろん、民主党内部からも「菅下ろし」の動きが止まらない。一方、菅は総理の座にしがみついて離れない。
 そこで今、「菅はいつ辞めるのか」ということだけで、永田町も霞ヶ関も止まってしまった。これが本当の「菅機能障害」です(大爆笑)。
 たしかに菅総理には、人間的にも政策的にも多くの欠点がある。三文評論家でも批判はたやすい。たった一つの功績といえば、浜岡原発停止だけですよ。
 自民・公明も管総理の多くの欠点を論う。しかし「震災復旧が遅い」などと批判しながら、国会審議にも応じないのはどういうわけか。
 また「福島原発事故の対応がけしからん」など言うが、危険な原発を五十基も作ってきたのはどの政党か。さらに日本をこんな大借金国家にしたのはどの政権かこれ歴代自民党政権でありこれを助けてきた公明党ではないか。
 自民公明は、ただ政権に返り咲きたいの思いだけで、「菅下ろし」をやっているのであります。
 さらに醜悪なのは、民主党執行部の面々ですね。反小沢では管と一体だったのに、今は「ポスト菅」を狙って自民・公明と内通して、菅の寝首をかこうとしている。
 
 どの政党もバラバラ
 
 今の政界では誰が敵、誰が味方かわからない。どの政党もみんなバラバラで内紛ばかりですよ。
 大聖人様は「異体同心事」に「日本一の人々は多人なれども、同体異心なれば諸事成ぜん事かたし。日蓮が一類は異体同心なれば人々すくなく候へども、大事を成じて一定法華経ひろまりなんと覚え候」と仰せられている。まさに今の日本の政界は異体異心だから、何にもできないのです。
 
 政治家の行動原理
 
 そして政治家の誰も国のことなど考えてない。被災者の苦悩に胸を痛めている者はいない。今の政治家の行動原理というのは、自分がどの立ち位置にいればポストと利権にありつけるかということだけ。この政治の劣化・王法の衰退こそ、亡国の前兆なのであります。
 中国による侵略は刻々と迫っている。六月八日には、またも十一隻からなる中国海軍艦隊が、堂々と沖縄と宮古島の間を通って、西太平洋に進出し、沖の鳥島からグァム島にいたる海域で軍事演習をした。中国艦隊が同海域で軍事演習を実施したのは、これで四回目ですよ。また宮城県沖では中国の調査船が海底調査をしている。
 このように日本の混乱をよそに、刻々と中国による侵略は迫って来ているのです。
 この日本を救うのは、もう広宣流布以外にはない。立正安国以外にはないのです。
 
 広宣流布とは信仰革命
 
 私は浜松の御入仏式において「広宣流布とは、歴史上未だ曽てなき、日本国の信仰革命である」と申しました。
 立正安国論には 「汝早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰えんや」と仰せられている。この「信仰の寸心を改めて」の仰せこそ「信仰革命」なのであります。
 
 放射能災害は異質の危険
 
 この放射能災害には、他の災害とは異なる「異質の危険」がある。長期・広範囲にわたり細胞を傷つけ、民族の生命を危うくする。ことに次の世代を担う子供たちの命を冒してしまう。だから、この事故だけは二度と起こしてはいけないのです。
 
 若狭湾の原発群
 
 五月二十三日の参議院行政監視委員会に、石橋克彦博士は参考人として招かれ意見を述べております。
 しかしこの委員会の模様を報道した大手テレビ・新聞は一つもない。日本のマスコミはおかしいですね。
 それはさておき、この委員会で石橋博士は「日本列島において危険の筆頭は浜岡原発であった。それ以外では、若狭湾の原発群が危陰である」と述べております。
 若狭湾沿岸には、全国で最も多い十五基の原発が並び「原発銀座」などと言われているが、そのすべてが活断層の集中地帯に林立しているのです。
 もしこの原発群が地震やテロにより大事故を起こしたら、大阪・京都・名古屋はもちろん、東京までも汚染されてしまうといわれる。
 
 玄海原発も危ない
 
 さらに、金属材料学の権威である井野博満・東大名誉教授は、九州佐賀の「玄海原発」一号機の危険性を強く警告しております。
 この一号機は日本で最も古い原子炉の一つで、長年の中性子照射脆化という現象で、金属が脆くなっている。そこで地震や事故などで、緊急炉心冷却装置が自動的に作動して原子炉圧力容器が急冷されると、かえって出力容器が壊れて大爆発を起こす危険があるとのことです。
 その被害は、福島第一原発の比ではなく、九州全域から大阪にまで及ぶといわれております
 
 政治革命は権力の移動
 
 世間の政治革命というのは、権力の移動にすぎない。
 たとえば源氏が平家を打ち倒して武家政権を作った。あるいは薩摩と長州が徳川幕府を倒して明治維新となった。あるいはロシアでは一九一七年に、レー二ンがロマノフ王朝を倒して共産革命を成し遂げた。
 これらの革命はみな政治権力の移動に過ぎない。政権が移行しても、国家権力そのものがもし四悪道だったら、人民は少しも幸せにならないのです。
 たとえばレーニンの共産革命。この政権は修羅界だから、かえって人民は奴隷のごとくになってしまい、前よりも悪くなってしまった。中国の共産革命も同類であります。
 
 国家権力を仏界化する
 
 ここに信仰革命というのは、国家権力そのものを仏界化し、慈悲の働きにするのです。
 もし日本一同が、日蓮大聖人を信じて南妙法蓮華経と唱え奉り、そして王臣一同に三大秘法を受持して国立戒壇が建立されるならば、日本国の魂は本門戒壇の大御本尊となり、このとき日本は仏国となる。この仏国は金剛不壊です。誰からも侵されず、また他国をも利益する。
 そしてやがて中国、インド、全世界の人々がこの大法受持すれば、この地球上は三大秘法を行ずる事の寂光土となり、人々はみな仏に成れる。戦争も飢餓もない世界が現出するのです。
 日蓮大聖人の大願は、まさにここにあられる。
 
 世界広布の鍵は日本の広宣流布
 
 そしてこの世界広布の鍵は、日本の広宣流布にある。日本が広宣流布して国立戒壇が建立されれば、直ちに全世界に波動が起こる。
 情報化された現代では地球は一つです。日本に信仰革命が起これば、あっというまに世界に波動が起きる。
 まず中国です。中国の共産党独裁政権はあっというまに崩壊する。そして十三億の民は渇して水を慕うように、日蓮大聖人を恋慕してその御名を「南無妙法蓮華経」と唱え奉るようになる。そうですよ。中国の歴史を見れば、千四百年前に天台大師・妙楽大師が出現し、法華経を広めているではないか。
 その天台大師は「後五百歳遠く妙道に沾う」といい、妙楽大師は「末法の初め冥利無きにあらず」といっているのです。この二人の賢人は、末法の始めの五百年に久遠元初の御本仏が出現されることを知っていた。そしてこの御本仏を恋い慕っての言葉が、これらの記文となっているのです。このような賢人が出現した国であれば,時来たれば中国の人々も一時にめざめ、南無妙蓮華経と唱え奉るようになること疑いない。
 またインドは申すまでもなく釈迦仏出現の国ですよ。釈尊は下種の御本仏日蓮大聖人の御出現を預言している。これまた時来たれば十五億の民ことごとく南無妙法蓮華経と唱え奉るようになる。
 中国・インドの人々が三大秘法を受持すれば、すでに世界総人口の約半数にも及ぶ。そしてさらに全世界へと広宣流布するのです。
 まさしく報恩抄の「日本乃至漢土・月氏・一閻浮提に、人ごとに有智・無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし」の御預言が事実となるのであります。
 
 六万恒河沙の地涌の流類
 
 この世界広布の鍵となる日本は、今、大罰の時代に突入した。これこそ「広宣流布し」の大瑞であります。このとき大聖人様は、六万恒河沙といわれる無数の地涌の菩薩を召し出だして、広宣流布に戦わしめられる。「春を留めんと思へども夏となる」(妙密上人御返事)と。もう広宣流布は誰にも止めることができない。歴史の必然なのであります。
 いま大聖人様に召し出だされた地涌の流類の大集団こそ、国立戒壇の御遺命を堅持し戦っている顕正会であります。
 亡国の渕に立つ日本国の中に、日蓮大聖人に忠誠を貫く一五〇万の地涌の大集団が出現する意義が、いかに重大か。
 さあ、立正安国論の月七月、全員が勇み立ち、何としても一五〇万を決定的にして、大型人様に応え奉ろうではありませんか。以上。(大拍手)
 

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