Blue Flower

 

 日本国は同体異心であれば諸事叶わず

   顕正会は日蓮大聖人を魂とする異体同心

   六千万・国立戒壇の大事は必ず成る

 
 さきほど発表のごとく、九・十・十一月法戦は誓願を大きく上回わる、実に二万一千二一四名の大折伏が、ついに成し遂げられました。
 誓願一万八千を、なんと三千二百有余も突破したのです。凄いですね。
 
 六千万地涌出現の大瑞相
 
 私はこの法戦を、ことに深く見つめておりました。それは、六千万地涌出現を大聖人様に誓い奉っての、初の法戦、初陣だったからであります。
 そしてこの大折伏がみごと成し遂げられたのです。
 これこそ、大聖人様のお励まし、そして六千万地涌出現は必ず成るの瑞相である、こう私は確信しておりますが、みなさん、どうでしょうか。(大拍手)
 みなさんには、涙の出るような、信心の赤誠を尽くしてくれました。心から有難く思っております。さぞかし多くの逆縁もあったに違いない。しかし折伏には少しの無駄もないのです。下種は必ず芽を出す。
 広宣流布はもう近いのです。たとえいまは反発し悪口をいっても、近き広宣流布・国立戒壇建立のその日までには、どんな逆縁の者もみんな目ざめる。そして「あのときは悪口を言って申しわけなかった」となる。必ず感謝をいたします。
 いよいよ大確信に立って、明年から大規模な弘通を、明るく堂々と進めていきたいと思っております。
 
 十二月の活動
 
 さて、迎える十二月は本年の総仕上げ、そして明年への序走の月であります。
 その活動大綱は先ほど横田副理事長が述べたとおりですが、少し要点を付け加えます。
 
 教学について
 
 教学について、大聖人様は諸法実相抄に「行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候」と端的にお教え下されている。
 
 信心に始まり信心に終わる
 
 ことに「行学は信心よりをこるべく候」の仰せ、大事ですね。お題目を唱えることも学ぶことも、信心から発するのである――と仰せられる。
 そうですね。信心があれば、日蓮大聖人の御事を、仏法の道理を、少しでも知りたいと思う。これが求道心です。そして学べば学ぶほど信心は深まり、勤行と折伏に励むようになる。そしてついには成仏を遂げさせて頂けるのです。
 だから顕正会の教学は、信心に始まって信心に終わる。有難いに始まって有難いに終わる。これが成仏に結びつく教学なのであります。
 名利のための教学は仏弟子の教学ではない。かえって身を亡す。
 御在世に三位房という弟子がおりました。比叡山で学んだこともあり、大聖人門下においては「智恵ある者」といわれ、法門も達者だった。しかし信心が薄く名利のための教学であったから、熱原の大法難のとき、大聖人・日興上人に背き、大罰を受け横死を遂げている。
 また幕末の宗門には久遠院日騰という大学匠がいた。博覧強記ならぶなき学者であったが、これも名利と慢心から日霑上人に怨嫉し、安政江戸大地震のとき、柱に圧し潰され、横死を遂げてしまった。
 大聖人様は上野抄に「日蓮が弟子等の中に、なかなか法門しりたりげに候人々は悪しく候いげに候」と仰せでありますが、三位房等はまさしくこれに当る。知ったかぶりのなまじの教学で、肝心の信心がなかったのです。
 身延の坊主などもそうですね。立正大学の教授クラスになるといかにも教学ありげに見えるが、彼らには全く信心がない。職業として御書を研究しているのです。しかも間違った教学を学んでいるから、成仏などは思いもよらない。これらは職業坊主なのであります。
 
 成仏に結びつく教学を
 
 ここに顕正会員は、信心で正しい教学を学び、その歓喜で信心口唱と折伏に立つ。だから功徳が頂けるのです。信心に始まって信心に終わる。有難いに始まって有難いに終わる。この成仏に結びつく教学こそ、大聖人の弟子の教学なのであります。
 登用試験も五級も四級もこのことを根底にして、どうか信心で繰り返し読み、大事の御法門を心肝に染めてほしいと思っております。
 
 広布御供養について
 
 次に広布御供養について――。いつも申しておりますが、どうか全幹部は、誇りを以てこれを推進してほしい。
 顕正会は邪教のごとく金銭を貪ったことは一度もない。また学会・宗門のごとく際限もなく供養をむしり取るようなことはしたことがない。
 願うはただ広宣流布の一事だけ。しかし広宣流布にはどうしても経費がかかる。その必要経費を、上限を決めて年一回、「広布御供養」として、それぞれが力に応じて喜んで大聖人様に供養し奉る。これが顕正会の広布御供養であります。
 顕正会は無駄使いをしない。すべて広宣流布のためだけに使っている。ゆえにこの御供養は大聖人様の御心に通じて、その功徳は必ず我が身に還ってくるのであります。このように清らかな「広布御供養」の制度は、日本国中を尋ねても顕正会しかない。
 もし邪教の輩がこれを知ったら、驚くに違いない。宗教の正邪は本来は教義によって判定するものですが、最もわかり易いのが金銭に対する姿勢であります。これを見れば、正邪は一目瞭然となる。
 だから私は「早く宗教法人に課税せよ」というのです。そうすれば調査によって邪教の実態が明らかになり、邪教退治の一助にもなると思っております。
 この濁悪の世において、顕正会だけが、大聖人様の御遺命を奉じて険しき広宣流布の戦いを進めているのです。「灯火に油を添える」の思いを以て、全員でこの広布御供養に、喜んで参加しようではありませんか。
 
 地方会館の建設
 
 次に地方会館の建設について述べます。
 本年は新宇都宮会館、南房会館、福井会館が予定どおり建設され、さらに追加として、先般、御入仏式を行なった黒石会館新本館が急濾、建設されました。
 明年はすでに発表のごとく、福島に会津会館、京都府に京都会館、そして九州に熊本会館、この三会館を立てます。
 
 顕正新聞社別館も
 
 それと追加の建設が一つある。本部のすぐ近くに、大通りに而して「顕正会駐車場」として使っている土地があります。その地続きの土地をこのたび人手することができたので、ここに三階建ての「顕正新聞社別館」を建設いたします。
 その一階は顕正新聞の発送をはじめ様々な新聞社の業務に充て、二階・三階は芙蓉茶寮がこれを使用し、ここに真空調理による冷凍食品を大量に保存し、大地震等の災害時の救援に備えようと思っております。
 
 明後年は三会館
 
 次に、明後年の建設計画を発表いたします。次の三会館であります。
 まず静岡県の中心法城として、静岡市に静岡会館を立てます。南海トラフ地震の政府の被害想定によれば、静岡県は最も津波が高いということなので、可能な限り高地を選定したいと思っております。
 二つ目は、岡山県に岡山会館を立てる。この県内ではすでに幾つかの組織が真剣に戦っております。この会館により、中国地方の弘通が一段と加速することを確信しております。
 三つ目は、九州・福岡市に福岡会館を立てる。福岡県には一万を超える顕正会員がおりますが、地元の組織がまだ弱体だったのでこれまで建設を見送って来たが、いよいよ新しい潮流が起きて来たので、決断をいたしました。
 会館については以上であります。
 
 政治は大衆迎合、憂国の至情なし
 
 さて、嘘と詭弁と恫喝で大飯原発の再稼働を強行した野田政権も、ついに崩壊しましたね。そして総選挙に突入しました。
 名乗り出た政党は一四とか一五とかいう。名前すら憶えられない。そしてくっ付いたり離れたり、離合集散・合従連衡はまことに目まぐるしい。議員も党籍を平然と替えている。すべては選挙めあてです。
 だから掲げる政策も大衆受けを狙ったものばかり。口先だけの軽薄な政策ばかりです。その例を二・三挙げます。
 
 安倍自民総裁の発言
 
 安倍自民党総裁は景気をよくするためとして、日銀に「大胆な金融政策」を求める発言を、一一月一五日から一七日にかけて繰り返しております。その趣旨は
(1)2~3%のインフレ目標を導入し、その達成のため日銀に無制限の金融緩和をさせる。
(2)公共事業の費用を調達するために建設国債を発行し、日銀にその全額を買い取らせる。
(3)(日銀の独立性を担保している)日銀法の改正も視野に入れる――というものです。
 選挙ねらいとはいえ、とんでもない乱暴なことを言い出したものですね。
 
 日銀総裁の反論
 
 これに対し、白川方明日銀総裁は二〇日、小気味のいい反論を展開し、これを一蹴した。
 まずインフレ目標については、「バブル期の一九八〇年代後半でさえ、物価上昇率は平均1.3%ていどであった。3%は現実的ではない。財政再建や経済にも影響が出る」 国債の引き受けについては、「通貨の発効に歯止めがきかなくなる。先進国ではどこもやってない」
 日銀法改正については、「中央銀行の独立性は歴史の苦い教訓を踏まえて考えられた制度であり、各国がこのことを尊重している」と。
 この見解、中央銀行の総裁として、その使命と責任を踏まえた立派なものです。
 ことに、日銀が建設国債を直接引き受けることについては、「やってはいけないことの最上位」と厳しくこれを斥けております。
 
 猛烈なインフレ招く
 
 当り前ですね。もし日銀が直接国債を買い取るとなると、政府は日銀にお札を刷らせるだけ刷らせて、買い取らせる。だから借金のし放題になる。おカネは際限もなく市中に出回わって、急激な物価上昇を招いてしまうのです。
 過去にこんな例がある。
 日本では戦争末期、軍事費を調達するために日銀が国債を直接引き受けた。その結果、終戦後の物価は90倍に跳ね上がった。
 ドイツでは、第二次世界大戦後にこれをやり、物価が一年間に70億倍も上がった。マーケットでは朝、昼、晩と、値札を付け変えなければならなかった。
 一九九〇年代のロシアも財政難から直接引き受けをやり、20倍という猛烈なインフレを引き起こし、国民を苦しめた。
 白川日銀総裁の厳しい拒絶反応に驚いて、安倍晋三総裁は翌二一日、「日銀に直接買い取らせるのではなく、市場を通して買わせる」と修正したが、「全額を買わせる」と言っているのだから、結局は同じことになる。
 
 経団連会長すら批判
 
 だからこの修正発言があっても、良好な関係にある経団連の米倉会長ですら納得せず、二六日の記者会見で「大胆な金融緩和というより、むしろ無鉄砲」「世界各国が禁じ手としている政策で無謀に過ぎる」「日本国債に対する国際的な信用問題に発展しかねない」と強く批判した。
 そのとおりですね。こんなことをしたら国債も円も暴落し、忽ち国家破産になってしまうではないか。
 安倍晋三さんは、なんでこんな無謀なことを言い始めたか。恐らくブレーンの一人といわれている元大蔵官僚の経済学者・高橋洋一あたりの説を丸呑みして言っているのでしょうが、選挙めあての無責任きわまるものと言わねばなりません。
 
 脱原発もごまかし
 
 次に、もっと大事な原発についでも選挙ねらいのごまかしが見える。国民の過半数が「原発反対」になっていることから、本音を隠してごまかしている公約が多いのです。
 たとえば自民党と公明党は本心は原発推進ですよ。しかし公約では本音を隠して曖昧なことをいっている。
 民主は「二〇三〇年代に原発ゼロ」と言ったり引っ込めたりして、いま公約とした。しかし執行部も議員も真っ二つに割れている。
 日本維新の会は石原が推進派、橋下は大飯原発の再稼働にみるごとくご都合主義ですよ。真剣には考えてない。
 他の小政党もおおむね「脱原発」を掲げてはいるが、にわか作りが多く、その本気度がわからない。
 
 真剣に考えてない
 
 しかし総じて見るに、即時廃絶を本気で考えている政党はない。なぜなら、代替エネルギーとしてガス・コンバインドサイクル発電を主張している政党が一つもないからです。
 たとえ「脱原発」を掲げている政党でも、その実現はみな一〇年、二〇年、三〇年先としているでしょ。「何とかそれまでに太陽光や風力など自然エネルギーの開発を」などと言っておりますが、これは夢です。ファンタジーですよ。それまで地震は待ってくれないではないか。
 
 なぜ「コンバインドサイクル」を言わぬ
 
 なぜ「優れたガス・コンパインドサイクルに切り換えよ」と言わないのか。私にはどうしても、そのことがわからない。
 昨年来、日本国内の原発五四基がすべて停止しても、電力不足は起きなかった。停電しなかった。それは各電力会社が、既存の火力発電設備、なかんずく天然ガスによるコンバインドサイクル発電をフル稼働させたことによるのです。
 コンバインドサイクル発電は、その性能、日進月歩ですね。国産の最新鋭のものは熱効率が61%と世界最高水準に達している。これは石炭による従来の火力発電や原発と比較しても、同じ電力を約半分の燃料で生み出すという優れものです。
 このコンバインドサイクルを、なんとこれまで原子炉メーカーであった三菱重工業・日立製作所・東芝などが製造して、すでに世界に盛んに輸出しているのです。
 日本でも東京電力等各社はこのガスコンが優れていることを知っているから、目立たぬように発注し新設している。
 「ガス・コンバインドサイクル」の名は、新聞でもテレビでも全く見ないですね。これは電力会社が広告費の威力で、マスコミに圧力をかけているからです。
 
 原発は全く不要
 
 このコンバインドサイクルを使用すれば、原発などは全く不要になることは三歳の子にもわかる。しかもコンバインドサイクルは建設費が安い。現在は原発の15分の1以下です。建設の工期も原発が計画から完成まで20年から30年かかるのに対し、ガスコンは2年から3年で済む。そのうえ原発のような危険性がないから、大都会の真ん中にも設置できる。出力調整も容易。そしてCO2(二酸化炭素)の排出も極めて少ない。
 では、燃料となる天然ガスの供給はどうかといえば、国際エネルギー機関(IEA)の二〇一一年発表の報告書でも、可採年数を二五〇年としている。これは今後さらに増加すると見られている。価格もシェールガス革命によって今後、大幅に下落することが予想されている。
 すでに世界では「二十一世紀の電力を支えるのは天然ガスである」との見方が主流になっているのです。日本だけは、原発利益共同体がこのことを隠そうとしている。
 
 原発は湯わかし器
 
 いいですか。原発などは単なる「湯わかし器」に過ぎないのです。お湯を沸かして水蒸気を作り、その水蒸気でタービンを回して発電する、これが原発ですよ。ガスや石炭などでお湯を沸かせば、火力発電になるというわけです。
 原発は事故を起こせば、人間のDNAを破壊し、国土を居住不能にする。そのうえ使用済み核燃料の最終処分もできない。まさにトイレなきマンションなのです。
 お湯を沸かすのに、こんな危険な原発を使う必要がどこにある。一刻も早くガス・コンバインドサイクルに切り換えなければいけない。
 だがどの政党も、原発利益共同体と癒着しているからなのか、あるいは勉強不足なのか、このことは言わないですね―。
 
 政治家には心がない
 
 私は思う。これは、政治家たちが原発の危険そして被災者の悲惨を、我がこととして感ずる心がないからだと。彼らは毎晩、料亭で飲み食いはしても、国民の痛みはわからないのです。
 まだ十六万人の人たちが、避難生活を余儀なくされているではないか。これらの人々の痛みがわかるのか。政治家どもは綺麗ごとはいうが、所詮は他人事なのです。選挙のこと、ポストのことしか関心がないのです。したがって勉強不足です。もし我が子が病気になったら、どんな素人でも医学書をあさって真剣にその病気を調べるでしょう。だからいつのまにか医師と同レベルの知識すら持つ。
 政治家ならば、原発の恐ろしさを知らなければいけない。急性被曝なら、直ちに命を落とす。内部被曝なら、五年後・一〇年後・二〇年後に、あるいは白血病、あるいはガンが多発する。その悲惨を思うならば、我が子の病のごとく勉強しなければいけない。そうすれば、素人でも瞬く間に専門家と同じレベルの知識を得ることができるのです。
 
 地震は待ってくれない
 
 いいですか。福島第一原発は最悪の事態一歩手前で止まった。水素爆発はしたが、水蒸気爆発という致命的な事故は起きなかった。これただ大聖人様の冥々の御守護であります。もし水蒸気爆発が起きていたら、日本は潰滅していたのです。
 しかるに政治家は、国民感情に配慮して口先だけは脱原発を唱えるが、その実現目標を「一○年先、二〇年先、三〇年先」などといっている。地震は待ってくれないではないか。さきほどの安倍晋三の日銀による国債買い取り発言といい、各党の原発政策といい、政治家はみな真剣に考えてないのです。
 
 徳政でも空しい況んや悪政おや
 
 たとえ政治家に民を思う誠心があったとしても、正しい仏法を立てなければ、立正安国論に仰せの「国主・国宰の徳政を行う。然りと雖も唯肝胆を摧くのみにして弥飢疫に逼り」となってしまう。いわんや今の政治家には誠心などない。
 また、たとえ政策の最善を尽くしても、国の福運が尽き諸天の守護がなければ、四条抄に仰せの「夫れ遅きはまりぬれば兵法もいらず、果報つきぬれば所従もしたがはず」となってしまう。いわんや愚劣な政策においておやであります。
 「火宅にあそぶ子供」のような政治家たちには、いま刻々と日本に迫りつつある亡国の大難が見えないのです。
 
 亡国の四大災難をみつめよ 
 
 その大難とは何か。
 一には巨大地震。すなわち首都圈直下と南海トラフ地震。
 二には原発災害。これは地震によって引き起こされる。
 三には国家破産。
 四には他国侵逼。
 以上の四つであります。
 巨大地震に始まり他国侵逼に終わるこの恐るべき大災難に襲われたら、日本はただ滅亡を待つのみとなる。
 
 六千万地涌出現の大事
 
 すべては仏法より事起こるのです。日本国は大慈大悲の御本仏日蓮大聖人に背き続けてきた。加えて一国を諌めるべき正系門家まで大事の御遺命を拠ってしまった。
 ここに諸天はこの国を罰し、「早くめざめよ」と諌めるのであります。
 この日本を救う道は、もう日蓮大聖人の仏法を立てる以外にはない。国立戒壇を建立する以外にはない。
 ここに六千万地涌出現の重大性がある。六千万が一結して国立戒壇を熱願するとき、大事は必ず叶うのであります。
 
 異体同心は顕正会のみ
 
 大聖人様は弘安二年八月の「異体同心事」に、こう仰せられている。
 「日本国の人々は多人なれども、同体異心なれば諸事成ぜん事かたし。日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定法華経ひろまりなんと覚へ候」と。
 ――日本国の人々は人数こそ多いけれども、心がみなバラバラであるから何事も成就しない。大聖人の一門は異体同心であるから、人々は少なくとも、必ず大事を成じて広宣流布・国立戒壇は必ず或る――との仰せであります。
 今の日本も、国中が同体異心でバラバラだから何もできない。しかし、この日本国に、ただ一つ異体同心の大集団がある。日蓮大聖人を魂とする一五六万の仏弟子の大集団がある。それが、我が顕正会であります。
 されば必ず六千万は成り、国立戒壇の大事も成就するのであります。
 
 二〇二〇年代こそ広宣流布の決戦場
 
 さて中国は、対日強硬派といわれる習近平がいよいよ権力闘争に勝って、政権を掌握しました。
 いま中国が企てている大目標は、中国共産党創立百周年に当る二〇二一年までに台湾統一を成し遂げることであります。武力統一か経済的懐柔による統一かは別として、今の台湾の実状を見るかぎり、統一の公算は極めて大きい。
 もしこの台湾統一が成し遂げられれば、シーレーン(海上輸送路)は封鎖され、日本は風前の灯火となる。まさしく二〇二〇年代こそ、広宣流布の決戦場であります。私はこの一事を見つめております。大聖人様は顕正会の前進をお待ちあそばす。
 さあ、一人ひとりが力ある人材に成長し、いよいよ明年から、スケールを変えた前進をなし、以て、大聖人様に何としても応え奉ろうではありませんか。以上。(大拍手)
 
 
 

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