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  創価学会ついに「戒壇の大御本尊」を否定

     これぞ極限の大謗法、無間地獄の業因

     早く悪師を捨て、成仏願う大道念に立て

             顕正新聞 平成26年1月25日 (1332)号 「学会員を救う特集号」

  「国難元年」と名づけた本年(平成26年)も、最後の総幹部会を迎えました。
 この一年、全顕正会の異体同心により、広宣流布の大前進が叶ったこと、私は心から有難く思っております。
 
  災害相次いだ一年

 この一年を振り返るとき、まことに災害が相次いだ歳でしたね。
 二月の記録的な豪雪に始まって、大洪水・大悪風はのべつ幕なし。広島の大規模土砂崩れでは大勢の死者が出た。
 その中に長野北部地震・御嶽山噴火があり、九州では桜島の爆発が止まらず、阿蘇山も不気味な噴煙を上げ始めた。まさに天変地夭の年でした。
 
  今後、年ごとに増大
 
 日蓮大聖人は立正安国論に災難の起こる原理を「世皆正に背き、人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てて相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる」と示され、さらに他国侵逼を厳然とご予言された。
 そしてこのご予言は寸分も違わず符合した。ゆえに安国論奥書には「未来亦然るべきか」と仰せられている。これを承けて日興上人は申状に「所詮、末法に入って法華本門を建てられざるの間は、国土の災難日に随って増長し、自他の叛逆歳を逐うて蜂起せん」と。
 以上の仰せを拝すれば、今後、年を逐うごとに天変地夭が激しくなると思われる。
 世間でも、京都大学の鎌田浩毅教授は「日本列島は3・11により千年に一度の大地動乱の時代に突入した」と述べ、御嶽山噴火を的中させた琉球大学の木村政昭名誉教授は「富士山の噴火は2014年±5年」との予測を発表している。
 いよいよ天変地夭は年を追って激しくなる。しかしこれらの天変地夭はまだ先難です。この天変地夭の後に、亡国の他国侵逼が起こる。これ日本一同に、日蓮大聖人に背き続けているゆえであります。
 
  国家存亡の危機迫る
 
 そして国難元年の本年、日本に国家存亡の危機が迫りつつあるを、顕正会は大聖人様から見せて頂いた。

   「東風41」と「巨浪2」
 
 それが、八月二日に中国が初めて公表した新型大陸間弾道ミサイル「東風41」と潜水艦発射弾道ミサイル「巨浪2」です。
 「東風41」は米国全土を射程に収める多弾頭型核ミサイルで、たった一基で数千万人を一時に殺害する能力がある。また「巨浪2」は米軍の核攻撃を躱して、報復攻撃することができる。中国はこの東風41と巨浪2を保有したことで、米国に対する先制攻撃と報復能力の二つを併せ持ったのです。
 これでアメリカは、もう中国に手出しが出来なくなった。核戦力のバランスが逆転したのです。ということは、日本を「核の傘」で守ることもできなくなったということです。
 
   「属国的平和」は持続不可能
 
 日本は自力では国を守ることができない。敗戦により戦争放棄・戦力不保持を余儀なくされたからです。そこで日本は、日米安全保障条約を結んでアメリカに守ってもらっている。戦後七〇年の平和は、このアメリカの保護のもとでの「属国的平和」であったのです。
 その属国的平和が、いま崩れんとしている。日本は戦後七〇年、今まさに最大の危機に直面しているのであります。
 中国は前々から、「二〇二〇年代にアジアから米国勢力を駆逐して、大中華帝国を築いてアジアに君臨する」という国家目標を掲げ、ゆるぎなく軍事超大国への道を推し進めている。それがいま、南シナ海・東シナ海への傍若無人な侵略になっているのです。やがて中国は台湾を併呑し、次いで侵略の矛先を必ず日本に向けてくる。
 しかし、アメリカは核の全面戦争ができない。ワシントン・ニューヨーク等の巨大都市を犠牲にしてまで日本を守ることはできない。もし中国と争うことが国益を損うとみれば、安保条約の解消すらあり得る。
 
  千里の外から災いが
 
 かくて日本は孤立して、中国の侵略に晒される。大聖人様は十字御書に「今、日本国の法華経をかたきとして、わざわいを千里の外よりまねきよせぬ」と。
 日蓮大聖人に背き続けている日本、さらに今、国を諌めるべき正系門家まで、大聖人の御遺命に背いている。よって磁石が鉄を吸うように、日本は中国の侵略を招くのであります。
 もし、この侵略に対抗して戦えば、圧倒的な核戦力によって日本全土は忽ちに廃墟と化す。もし屈伏すれば、日本はウィグル、チベットのようになる。忽ちに中国人が一億人も移住して来て、日本は漢民族の国になってしまう。そして中国共産党の支配下に置かれ、中国に奉仕する国になってしまう。これが「亡国」であります。
 国難元年は、まさにこの国家存亡の危機を、大聖人様から見せて頂いた年だったのであります。
 
  国難元年に二つの重大事
 
 そしてこの国難元年に、仏法上において善と悪、二つの重大事があった。
 
  顕正会の出陣
 
 一つは、この国家存亡の危機を大聖人様から見せて頂き、いよいよ全顕正会が広宣流布の決戦場たる二〇二〇年代を見据えて出陣したということ。
 その出陣式が、「東風41」が公表された翌九月七日に開催された、あの五万人男子部大会でした。
 そして、全顕正会員の死身弘法により、顕正会はいまや百七〇万にあと五千と迫った。これで二〇一九年までの二百万達成は確実となった。必ずや大事の御奉公に間にあう。
 この大前進こそ、大聖人様に一筋の忠誠を貫く仏弟子の大集団の出現、国を救う大行進であります。
 
  学会の大謗法
 
 そしてもう一つの重大事は―― 創価学会が、あろうことか、ついに日蓮大聖人の出世の御本懐たる「本門戒壇の大御本尊」を否定するに至ったということ。
 これ極限の大謗法、亡国の因であります。
 
  創価学会ついに「戒壇の大御本尊」を否定
 
 戒壇の大御本尊否定の経過を説明いたします。
 学会はこれまでも、会則を変更しては徐々に戒壇の大御本尊への信を薄めてきた。学会員から戒壇の大御本尊への信を抜き取ろうとしてきたのです。この動きは、宗門と抗争を始めた翌平成四年に、学会版経本の観念文から「本門戒壇の大御本尊」の九文字を削除したことにも表われております。
 では、会則がどのように改変されてきたかを見ます。会則改変で問題になるのは「教義条項」、なかんずく「御本尊」についての改変です。
 
  当初の会則
 
 まず昭和五四年四月に制定された当初の会則では、学会が信受する「御本尊」について、次のように定められていた。
 「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」と。これは正しい。
 
  平成14年の改変
 
 ところが、平成一四年三月にはこう改変される。「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」と。
 前会則にあった「本門戒壇の大御本尊」の九文字がスッポリと抜き取られ、曖昧な文言に差し換えられている。これが、学会員に戒壇の大御本尊を捨てさせようとする、会則レベルでの第一ステップです。
 
  今回の改変
 
 次いで本年(平成二六年)一一月七日、ついに次のごとく、決定的な改変をした。「根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ」と。
 「大御本尊」という文言すら抜き取られた。これでは、どういう御本尊を信ずるのか全くわからないでしょう。いよいよ戒壇の大御本尊を全学会員に捨てさせる魔の本性を、ここに現わしたのです。
 今回のこの「教義条項」改変は、一一月七日の総務会で議決され、同日の全国総県長会議で会長・原田稔がその内容を説明し、翌日の聖教新聞(11月8日付)で公表されたというものです。
 ところが、これほどの重大な発表にもかかわらず、その扱いは、聖教新聞第一面のトップではなく、左脇に目立たぬように、機関決定した旨の報道がなされているだけ。
 しかも会長・原田の説明は第三面掲載となっている。発表しながら目立たぬようにとの狡猾さが窺える。

  会長原田稔の欺瞞を粉砕する
 
 さて原田稔の説明は、これまた欺瞞と謀りに満ちている。 以下、その要点を挙げ、一々に破祈を加える。
 
   「これまでは方便」
 
 彼はまず、平成一四年改変の会則における「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」との文言の真意について、次のように説明した。
 当時、宗門との僧俗和合時代に信仰実践に励んできた会員の皆さまの感情や歴史的な経過を踏まえ、この「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」については、「弘安二年の大御本尊」を指すとの説明を行っていました。
 これまで、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」とは「弘安二年の大御本尊」を指すと説明してきたが、これは長い間、戒壇の大御本尊を信じてきた会員たちの感情を配慮しての方便だったと。ゆえに今回「根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ」に変えたのだ――と言っているのです。
 
   「御本尊は全て同じ」
 
 では、この「根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ」とは何なのか。原田は言う。
 大聖人は、宇宙と生命に内在する根本の法を南無妙法蓮華経であると明らかにされました。(中略)日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、等しく「本門の本尊」であります。
 原田はここで「御本尊はどれも同じ」と言いたいのです。すなわち「戒壇の大御本尊も、歴代上人書写の御本尊も同じだ」と言わんとしているのです。
 その魂胆は、戒壇の大御本尊を捨てて、学会が新たに建設した「広宣流布大誓堂」と称する総本部に安置した、第六四世・日昇上人書写の御本尊を、学会の根本の本尊にしようとしているのです。
 バカを言ってはいけない――。戒壇の大御本尊を離れて、歴代上人書写の御本尊があるわけがないではないか。戒壇の大御本尊こそ根源、歴代書写の御本尊はその分身です。ゆえに「之を書写し奉る」との御認めがある。「之」とはまさしく本門戒壇の大御本尊の御事である。「奉書写之嫡々第○世判形」のお認めこそ、まさに御本尊の活眼であられる。
 そしてこの歴代書写の御本尊を即戒壇の大御本尊と深く信受し奉ればこそ、即身成仏の大功徳も頂けるのである。  
 
   「電源と端子」
 
 さらに原田は言う。
 ある場所に特定の戒壇があり、そこに安置する御本尊が根本の御本尊で、その他の御本尊はそれにつながらなければ力用が発揮されないという、あたかも゛電源と端子゛の関係であるかのような本尊観は、世界広宣流布が事実の上で伸展している現在と将来において、かえって世界広布を阻害するものとなりかねない。
 ますます戒壇の大御本尊を捨て奉る邪悪の底意をここに露にしている。原田は、富士大石寺にまします戒壇の大御本尊を根本とせず、゛すべての御本尊は同じ゛と、ここで重ねて述べているのだ。
 
  根源と分身
 
 繰り返して言う。戒壇の大御本尊は根源、歴代書写の御本尊はその分身。根源を離れて分身はあり得ない。戒壇の大御本尊とつながっていればこそ、分身の御本尊にまた凡夫を仏にして下さる力用がましますのだ。この関係は、原田がいみじくも言った「電源と端子」そのものなのである。
 だが原田は「電源と端子の関係であるかのような本尊観は……かえって世界広布を阻害する」と言う。これこそ顛倒の誑言である。
 
  戒壇の大御本尊こそ世界広布の根源
 
 原田よ、よいか。戒壇の大御本尊こそ世界広布の根源であられる。そして、この大御本尊を全人類に信ぜしめ、唱えせしむることを、世界広布というのである。
 ゆえに日寛上人は撰時抄文段に「問う、文底深秘の大法その体如何。答う、即ち是れ天台未弘の大法・三大秘法の随一、本門戒壇の御本尊の御事なり。故に顕仏未来記に云く『本門の本尊の妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめん』等云云。故に此の本尊は広布の根源なり」と。
 「此の本尊は広布の根源なり」と仰せられているではないか。一閻浮提広宣流布の根源の戒壇の大御本尊を捨てて、何か世界広布か。
 だいいち、学会の「大誓堂」安置の本尊は、第六四世日昇上人が戒壇の大御本尊を書写し奉ったものではないか。いま根源を捨てて分身に拘るとは矛盾のきわみ。この戯言を゛頭かくして尻かくさず゛という。
 また原田は「世界広布、世界広布」としきりに強調するが、日本の広宣流布・国立戒壇建立という重大事はどうなったのか。「正本堂で広宣流布達成」などとウソをついたから、今さら触れられないのであろう。
 
  学会が戒壇の大御本尊を捨てた理由
 
 さらに原田は言う。
 創価学会は、大聖人の御遺命である広宣流布を実現するために、宗門と僧俗和合し、弘安二年の御本尊を信受してきました。しかし、宗門はいつしか堕落し、衣の権威を笠に着て信者を蔑視し、創価学会を破門する暴挙に出ました。さらに法主詐称者の出現によって、永遠に法主が不在となり、宗門のいう法主の血脈なるものも断絶しました。大石寺はすでに大謗法の地と化し、世界広宣流布を目指す創価学会とは全く無関係の存在となったのであります。

 ここに原田は、学会が戒壇の大御本尊を捨てるに至った理由を挙げている。その理由は三つ。
 一には、宗門が堕落し、創価学会を破門する暴挙に出たこと。
 二には、法主詐称者の出現によって、法主の血脈が断絶したこと。
 三には、その結果、大石寺が大謗法の地と化したこと――としている。
 
  原田、御遺命破壊と顕正会の諌暁を隠す
 
 原田はここに重大なことを二つ隠している。それは学会が御遺命を破壊せんとしたことと、顕正会の諌暁である。
 すなわち、まず学会が日蓮大聖人の御遺命たる国立戒壇を否定せんとして偽戒壇・正本堂を建てた。宗門の細井日達・阿部日顕の両貫首(法主・管長)は諂ってこの大悪事に協力した。
 このとき顕正会が身を捨てて諌暁に立ち、この諌暁によって学会・宗門に亀裂・抗争が起き、その結果「破門騒ぎ」が起き「法主詐称者」も出た――ということである。
 この重大なる事実を隠して、「破門の暴挙」などと被害者ぶってはいけない。
 このことを理解するには、日蓮大聖人の御遺命とは何か。またこの大事な御遺命がどのように破壊されんとしたかの経過を知らねばならない。
 
  御遺命とは何か 
 
 まず、日蓮大聖人の御遺命とは何かを説明する。
 この大事を御教示下された御書が、御入滅の年の弘安五年に著わし給うた一期弘法付嘱書と三大秘法抄の二書である。
 一期弘法抄は申すまでもなく二祖日興上人への御付嘱状である。これを拝せば「日蓮一期の弘法、白蓮阿闇梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂うは是なり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり」と。
 また三大秘法抄には「戒壇とは、王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時 勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是れなり。三国並びに一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して蹟み給うべき戒壇なり」と。
 以上の御聖文に示された御遺命の本門戒壇とは まさしく「広宣流布の暁に、国家意志の表明を以て、富士山天生原に建立される国立戒壇」である。そしてこれを事の戒壇と称する。
 
  国立戒壇建立こそ仏国実現の秘術
 
 この国立戒壇に、日蓮大聖人の御法魂たる「本門戒壇の大御本尊」を安置し奉れば、日本国の魂は日蓮大聖人となる。このとき「日蓮は日本の人の魂なり」との仰せが事相となる。御本仏を魂とする国はまさに仏国ではないか。この仏国は三災七難にも侵されない。
 「立正安国」は始めてここに実現するのだ。まさに国立戒壇こそ、日本を仏国にする唯一の秘術なのである。ただし御在世には未だその時いたらず、よって大聖人はこの一大事を二祖日興上人に御遺命あそばされた。
 以来、国立戒壇は宗門の唯一の悲願・宿願となって来たのである。
 
  歴代上人の文証
 
 これを富士大石寺歴代上人の文証に拝する。
 第二六世・日寛上人は「事の戒壇とは、すなわち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり」(報恩抄文段)
 第五九世・日亨上人は「唯一の国立戒壇すなわち大本門寺の本門戒壇の一ヶ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する」(富士日興上人詳伝)
 第六四世・日昇上人は「国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年、今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり」(奉安殿慶讃文)
 第六五世・日淳上人は「蓮祖は国立戒壇を本願とせられ、これを事の戒壇と称せられた」(門徒存知事の文に就いて)「この元朝勤行とても(中略)二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて、国立戒壇を念願されての広宣流布祈願の勤行を伝えたものであります」(大日蓮・昭和34年1月号)
 池田大作に諂って後に国立戒壇を否定した第六六世・細井日達管長すら、登座直後には「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが、日蓮正宗の使命である」(大白蓮華・昭和35年1月号)「事の戒壇とは、富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇は広宣流布の時の国立の戒壇であります」大日蓮・昭和36年5月号)と述べていた。
 いや、御遺命破壊の元凶たる池田大作すら「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華・昭和31年4月号)と叫んでいた。
 だが彼は、やがてこの「国立戒壇」を弊履のごとくに抛つ。政治野心に燃える池田大作にとっては、大聖人の御遺命よりも「選挙」が大事だったのである。
 
  御遺命の大悪おこる
 
 次に、御遺命がどのように破壊されんとしたか、その経過を説明する。
 池田大作は、国立戒壇を否定するために、偽戒壇・正本堂を大石寺に建て、これを「御遺命の戒壇」と偽ろうとした。しかしこのような大それたたばかりは、池田大作一人ではできない。そこで彼は時の貫首を籠絡せんとした。
 本来、本宗の貫首上人には、このような大悪を断じて打ち摧くべき責務がある。ゆえに二祖日興上人は遺誠置文に「衆議たりと雖も仏法に相違有らば、貫首之を擢くべき事」と仰せられている。
 しかし細井日達貫首は学会の威を恐れ、その金力に心を蕩され、池田に求められるままに「国立戒壇は本宗の教義ではない」と言い、さらに「正本堂は御遺命の戒壇である」と認めてしまった。まさに大事の御遺命を売り渡したのであった。「法主」の権威には誰も逆えない。
 かくて正系門家から「国立戒壇」は消滅し、正本堂を讃える諛言・誑言のみがこだましたのである。
 
  顕正会の諫暁
 
 もし大事の御遺命が破壊されたら、日蓮大聖人の仏国実現という究極の大願は虚くなり、流罪・死罪を忍び給うての一代御化導もが泡に帰する。このような大悪を見ながら知りながら、もし黙止すれば、大聖人に対し奉り最大の不忠になる――。
 このとき、大聖人様の厳たる御命令が私の耳朶を打った。「法を壊る者を見て責めざる者は、仏法の中の怨なり」(滝泉寺中状)
 また日興上人は「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事」(遺誡置文)と。
 もし「法主」の権威を憚り、学会の威圧を恐れて黙止したら、「大聖人様に申しわけない。大聖人様のお叱りを受ける」―ただこの思いだけで、私は御遺命守護に捨身で立ち上がった。
 
   「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」
 
 昭和四五年三月、私は護法の一念を込めて「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」の一書を認め、宗務院役僧と学会首脳に送付した。
 その趣旨は、正本堂は事の戒壇でないこと、御遺命の戒壇とは国立戒壇であることを立証し、池田が大聖人を蔑ずる大慢心を破し、その上で宗務当局に対し、猊座の尊厳を守るため速かに池田の誑惑を摧くべし、と訴えたものである。
 学会は「法主」の権威を以てこの諌めを抑え込もうとした。しかし「法主」の権威も道理には勝てない。私を総本山に呼び説得せんとした細井日達管長は、ついには理に詰まり、胸中の本心を吐露せざるを得ぬ結果となった。
 
  確認書に署名せしむ
 
 「法主」に圧力をかけているのは学会である。よって私は秋谷栄之助副会長(当時)等の学会首脳と論判を重ねた。
 そしてついに、文書(確認書)を以て正本堂の誑惑を訂正せしめ、その確詔書を細井日達管長のもとに収めたのであった。
 
  池田大作の不誠実
 
 だが池田大作はこの誓約を踏みにじり、陰で誑惑を繰り返していた。この不誠実を知った私は、「正本堂に就き池田会長に糺し訴う」の一書を送り、責めた。池田はこんどは宗務役僧らを楯として身を守らんとした。
 このようなことを繰り返す中、池田は昭和四七年四月二八日、正本堂の意義を定める「訓諭」を細井管長に発布せしめた。訓諭とは、一宗を教導するために管長が公布する最高の指南とされている。この訓諭を以て「正本堂を御遺命の戒壇」と定めたのであった。
 私は、この訓諭を発布せしめた池田に対し、公場対決を迫る書状を送附した。四日後、和泉覚理事長名で「猊下のお許しが得られないので、公開討論には応じられない」旨の返書が送られてきた。
 
  細井管長訓諭を訂正
 
 だがそれでは事は済まない。私の不退の決意を知った池田は、この上は「日達上人に出て頂くほかはありません」と、私に対する説得を細井管長に懇願した。
 昭和四七年七月六日、細井管長は東京吾妻橋の妙縁寺に下向し、私と対面された。だが、私を説得するための対面は、かえって細井管長が自身の非を認める場になってしまった。私は訓論の訂正を求めた。細井管長は意を決してこれを了承し、後日、総本山においてその訂正文を私に手渡し、「これを大日蓮(宗門機関誌)八月号に載せる」と約束された。
 この細井管長の行為は、学会にとっては重大な裏切りと映る。学会がこれを許すはずがない。北条浩副会長(当時)が直ちに本山に駆け付け、訂正文の公表を押し止めた。
 
  学会、訂正文を公表
 
 この上は学会を抑える以外にない。私は細井管長に「学会代表と会って決着をつけたいので、出てくるよう、猊下からお申しつけ頂きたい」と申し出た。
 学会も「もう逃げられない」と観念したのであろう、秋谷栄之助副会長、原島嵩教学部長、山崎正友弁護士の三人が代表として論判に応じた。場所は東京向島の常泉寺。両者ともに背水の陣であった。
 火の出るような激論は数日にわたった。そしてついに彼等は屈伏し、私の求めに応じて聖教新聞紙上に訂正文を公表することを誓った。
 昭和四七年一〇月三日、学会は約束どおり、聖教新聞第一面に和泉覚理事長名を以て、正本堂の誑惑の訂正文を掲載した。これが正本堂落成式の九日前であった。
 
  池田の卑怯・無慚
 
 だが池田は、あくまでも卑怯・無慚・無愧であった。後でわかったことだが、彼は正本堂の落慶式において、参詣の全学会員に対し「本日、七百年前の日蓮大聖人の御遺命が達成されました。ありがとう」とのメッセージを、腹心の福島源次郎副会長を通して伝えさせていたのであった。
 それだけではない。落慶式に先立って行われた完工式に、密かに誼を通じていたローマ法王庁から神父数名を招き、式典の最前列に座らせていたのであった。
 まさに池田大作は、国立戒壇に安置し奉るべき本門戒壇の大御本尊を、国立戒壇を否定するための偽戒壇、そのうえキリスト教神父で穢した正本堂に居え奉ったのであった。大御本尊を辱め冒涜し奉ること、これより甚しきはない。与同した宗門も同罪である。
 顕正会の諌暁はいよいよ激しさを増した。そして昭和四九年八月一二日、ついに顕正会(当時、妙信講)に解散処分が下された。悪事の露見を恐れた池田大作が、細井日達になさしめたものである。
 
  宗門・学会の抗争始まる
 
 だが不思議にも、この頃より、宗門と学会の間に亀裂が生じてきた。池田大作は細井管長が私と会うたびに変心したことに、疑心暗鬼を懐いていたのだ。
 彼は、学会なくして宗門が成り立たぬことを思い知らせようと、経済封鎖に出た。それは、学会員の「月例登山」を中止させることだった。総本山の維持は学会員の登山供養によって成り立っている。だから宗門は無条件降伏すると思ったのであろう。
 だが御遺命破壊には唯唯として協力した細井管長も、この経済封鎖には憤った。さっそく本山に僧侶を集めて怒りをぶちまけている。「もうこのままじゃ話にもならない。(中略)もし学会が来なくて、こっちの生活が立たないというならば、御本尊は御宝蔵へおしまいして、特別な人が来たならば、御開帳を願う人があったら、御開帳してよいという、覚悟を私は決めた」(宗門の現況と指導会)と。
 かくて醜い抗争が始まった。細井管長のもとには二百余名の反学会活動家僧侶が集まり、「学会と手を切るべし」と気勢を上げた。これが後に正信会となる。この抗争が、学会のいう「第一次宗門問題」であった。
 
  細井管長の急死
 
 この抗争に心を労する中、細井日達管長は臨終思うようにならず、貫首として最大の責務たる「御相承」の大事もなし得ず、急死を遂げた。「一切は現証には如かず」(教行証御書)と。これこそ御遺命に背いた罰であった。
 
  阿部日顕登座
 
 次いで阿部日顕が「私が御相承を受けていた」と自己申告して、猊座に就いた。池田と心合わせの登座劇であった。
 阿部日顕は宗務院の教学部長時代から池田に諂い、「国立戒壇論の誤りについて」と「本門事の戒壇の本義」という二書を著わしている。この二書は、正本堂のたばかりを正当化するために、三大秘法抄の文意を徹底して曲会した、まさに歴史的な謗法の書であった。また阿部は、細井日達と池田大作が争っていた際には、池田に内通して本山の動静等を密かに報告していたという奸物である。
 この阿部の登座により、学会と宗門の亀裂は完全に修復された。池田はいよいよ年来の野望であった「本門寺改称」を実現しようとした。
 
  本門寺改称の大陰謀
 
 「本門寺改称」とは、大石寺の名称を「本門寺」と改称しようとする企みである。
 本来「本門寺」とは、広布の暁の国立戒壇を指すこと、一期弘法付嘱書に明らかである。だが池田は偽りの広布達成を宣言した上で、大石寺を「本門寺」と改称しようとしたのだ。
 その目的は、この改称が実現すれば、大石寺の正本堂がそのまま「本門寺本堂」になり、御付嘱状の「本門寺の戒壇」、また百六箇抄の「富士山本門寺本堂」と偽わることができる。ここに正本堂の誑惑は完結する。――これが池田の凄まじき執念、最後の陰謀であった。
 池田は顕正会を解散処分にした三月後、゛もう邪魔者はいない゛とばかり、この「本門寺改称」の企てを、昭和四九年一一月二七日の創価学会総会において、細井日達に発表させている。「日本国の三分の一が入信したときこそ広宣流布したといえる。その時には、我が大石寺を、大聖人御遺命の富士山本門寺と改称することもあり得ると信ずる」(日蓮・昭和50年1月号)と。これを承けて阿部日顕(当時教学部長)も「吾々は、法主上人の鳳詔を更に深く心に体し、本門寺実現の大目標をめざし、邁進致そうではありませんか」(大日蓮・昭和50年1月号)と同調している。
 池田は前々からこの「本門寺改称」の時期を、大石寺開創七百年の佳節に当る昭和六五年(平成二年)と狙い定めていた。この年の秋十月には開創七百年慶讃法要が行われる。このとき阿部日顕に「本門寺改称」を宣言させるのが、彼の魂胆であった。
 昭和五元年三月、本山で「大石寺開創七百年記念準備会議」が聞かれた。この会議こそ「本門寺改称」という大陰謀のスタートであった。席上、池田は「新寺院二百箇寺」の建立寄進を阿部日顕に申し出ている。――いよいよ悪の二人三脚が始まったのである。
 
  準備着々
 
 平成元年、池田は大石寺の大客殿前に大広場を造成して、一年後に迫る「本門寺改称」の式典に備えた。この造成工事のため、広布の暁に勅使が通る門として、七百年来大客殿の正面前にあった「不開門」が取り払われた。また日興上人お手植の亭亭たる老杉も切り倒された。かくて中国の天安門広場とも見まごう大広場が完成した。
 池田はこの大広場で、招いた外国の元首等を「梵天・帝釈」に見立て、正本堂の落慶式にも勝る大儀式を想定していた。そのスケジュールは、平成二年九月に「大石寺開創七百年記念文化祭」を開催し、席上自ら「広布達成」を宣言し、翌十月の慶祝法要で「本門寺」の寺号公称を阿部日顕に公表せしむるというものであった。
 この一連の儀式こそ、池田大作の一世一代の大芝居、最後のたばかりであった。
 
  阿部日顕への強烈な諌状
 
 もしこの陰謀が強行されれば、御本仏の御遺命は完全に破壊される――。
 平成二年四月、私は心血を注いで「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」と題する一書を認め、阿部日顕に送付した。
 その趣旨は、阿部日顕が著わした「国立戒壇論の誤りについて」等の邪義を一々に挙げ、その誑惑の根を断ち切ったものである。
 そして末文には「しかるに今、国立戒壇に安置し奉るべしとて大聖人が留め置かれた戒壇の大御本尊は、国立戒壇を否定するための誑惑の殿堂、邪法の神父を招いて穢した不浄の正本堂に居えられ奉っている。大聖人を辱め奉ること、これより甚しきはない。御法魂いかで安穏に住し給うべき。宗開両祖の御悲憤を思いまいらせれば、その恐れ多さ、ただ背筋の凍るをおぼえるのみ。
 この重大なる不敬を謝し、御遺命違背の大罪を償う道はただ一つ。速かに戒壇の大御本尊を清浄の御宝蔵に遷座し奉り、誑惑の正本堂を撤去すること。これ以外には断じてなし。而してこれを為すべき責務と為し得る権限は、ひとり阿部管長の一身にある。
 もし顕正会の言を軽んじて一分の改悔なく、さらに『本門寺改称』などの悪事を重ねるならば、現当の大罰いかで免れようか。顕立正意抄に云く『我が弟子等の中にも信心薄淡き者は、臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし。其の時我を恨むべからず』」と記した。
 この諌暁書は阿部管長の肺腑を抉り心に怖畏を生ぜしめた。
 
  20万顕正会の護法の決意
 
 さらに七月には、顕正会員二万人を結集した大総会を横浜アリーナで開き、私は全員に訴えた。
 「もし池田大作が本門寺改称を強行するならば、そのとき、全顕正会員はこぞって大石寺に総登山すべきである。二十万顕正会員が戒壇の大御本尊の御前に馳せ参じ、大石寺の境内を埋めつくし、信心の力を以て、本門寺改称を断固粉砕しようではないか」
 二十万顕正会員の必死護法の決意は、池田の心胆を寒からしめた。彼は予定していた来賓招待を一斉にキャンセルし、記念文化祭の規模縮小を、秋谷会長を通して宗門に連絡してきた。「来る九月二日の大石寺開創七百年慶祝記念文化祭については、顕正会がデモをかけてくるとの噂があるので、規模を縮小したい」と。
 この通告どおり、記念文化祭は広布達成の宣言もなく、小規模で無意味なものに萎んでしまった。
 
  またも抗争おきる
 
 そして不思議なことが起こった――。
 あれほど一体のごとくに見えた池田大作と阿部日顕の間に、またしても、細井日達のときと同様の疑心暗鬼が生じてきたのである。
 池田は阿部日顕が顕正会の諌暁により変心することを恐れ圧力を加えた。その手口も、細井日達の時と同じく「月例登山」を激減させることだった。加えて二百箇寺の建立計画をも意図的に遅らせた。だが、この圧迫がかえって阿部日顕を憤激させる結果となった。
 このような中で、平成二年十月十二日、いよいよ大石寺開創七百年慶讃法要が行なわれた。予定のごとくんば、この席で「本門寺改称」が阿部日顕より公表されるはずであった。
 が、阿部日顕は読み上げた慶讃文の中で、わざと池田に当てつけるように「大本門寺の寺号公称は、広宣流布の未来にある」(取意)と述べた。この゛裏切り゛を眼前にして、池田大作は怒り心頭に発した。
 
  修羅と悪竜の合戦
 
 これより「修羅と悪竜の合戦」(報恩抄)そのままの、醜悪にして凄絶なる大抗争が始まった。
 池田は阿部日顕を猊座より引きずり降ろそうと、「二セ法主」「法滅の法主」「天魔日顕」「極悪日顕」などと悪罵を繰り返し、さらに阿部日顕の醜聞を次々と暴きたてた。
 対する阿部日顕はその年の十二月、池田の法華講総講頭職を剥奪、ついで創価学会を破門、さらに池田大作を信徒除名処分にした。
 
  阿部の大瞋恚 正本堂を打ち壊す
 
 「修羅と悪竜の合戦」は際限もなく、外聞も憚らず展開された。
 阿部日顕は自身の醜聞をめぐる名誉棄損で学会を相手どり裁判を起こしたが、思いもかけず法廷に引きずり出された。学会弁護団はこの時とばかり、嬲るように阿部日顕を辱めた。「瞬間湯沸し器」といわれたほどの激情家が、三たびの法廷で嬲られたのである。阿部の憤怒は極限に達した。
 この憤怒は、池田が「仏教三千余年、史上空前の偉業」と自讃していた正本堂に向けられた。そして平成十年、正本堂は轟音とともに打ち砕かれ、その姿を永遠に消したのであった。
 以上、長々と、御遺命がどのように破壊されんとしたかの経過を説明した。これが原田が隠していた重大な事実なのである。
 原田のいう「宗門は堕落し、信者を蔑視し、創価学会を破門する暴挙に出た」などは真赤なウソ。まさしく学会が御遺命破壊に宗門を引きずり込み、これに協力した宗門も共に罰を受け、醜い抗争に陥った――というのが実相である。
 さらに深く仏意を拝し奉れば 大聖人はこの御遺命破壊の大悪を許し給わず、ゆえに顕正会をして諌暁せしめ、諸天をして学会・宗門を抗争せしめ、ついに偽戒壇・正本堂を打ち砕き給うたのである。
 
  下種仏法の血脈は金剛不壊
 
 また原田は「永遠に法主不在となり、血脈なるものも断絶した」という。
 確かに細井日達は「御相承」をなし得ずに急死を遂げた。よって阿部日顕が「法主詐称者」といわれても仕方がない。
 しかしこの異常事態こそ、大聖人様が御遺命に背く二人に、御相承の「授」「受」を許し給わなかったということである。御遺命に背いた細井日達には「授」の資格なく、阿部日顕には「受」の資格がない。よって大聖人様はこれを許し給わなかったのであります。
 ただし、このことによって血脈が断絶するなどということは、断じてない。もし御遺命を堅持あそばす貫首上人がご出現になれば、忽ちに血脈は蘇る。下種仏法の血脈は金剛不壊である。いかなることがあろうと断絶しないよう、御本仏の甚深の御計いがまします。この深義は、池田大作一党などにはわかるはずもない。
 また「大石寺はすでに謗法の地と化した」とは、何たるたわごとか。戒壇の大御本尊まします清浄の地において、偽戒壇を建て、キリスト教神父を招いて穢した所行をこそ大謗法というべきではないか。
 阿部日顕憎しのあまりとはいえ、見当違いも甚しい。
 
  学会ついに戒壇の大御本尊捨つ
 
 以上のようなたわごとを並べた上で、原田はいよいよ重大な結論を言う。
 したがって、会則の教義条項にいう「御本尊」とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安二年の御本尊は受持の対象にはいたしません。
 学会はついに「弘安二年の御本尊は受持の対象にはしない」と言い切ったのである。まさに日蓮大聖人の出世の御本懐たる本門戒壇の大御本尊を捨て奉ったのです。これに勝る大謗法はない。極限の大謗法であります。
 
  無間地獄を恐れよ
 
 この罪を法華経には「其の人命終して阿鼻獄に入らん」と定めている。
 さらに大聖人様は顕立正意抄に「我弟子等の中にも信心薄淡き者は、臨終の時、阿鼻獄の相を現ずべし」と、厳しく誠め給うておられる。
  「阿鼻獄」とは無間地獄のことです。堪えがたい苦痛が間断なく襲うから「無間」というのです。八大地獄において、他の七地獄については経文にくわしく説かれているが、この無間地獄だけはつぶさには説かれていない。そのわけを大聖人様は顕謗法抄に「若し仏、此の地獄の苦を具に説かせ給わば、人聴いて血を吐いて死すべき故に、くわしく仏説き給わず」と。
 また法蓮抄には、中国の書家の鳥竜が邪法に執着して法華経を誹謗し、この謗法のゆえに臨終に悪相を現じて無間地獄に堕ちたのち、息子にはこの轍を踏ませまいと、夢枕に立って息子にその大苦を告げたという故事をお示し下されている。「我は是れ汝が父の烏竜なり。仏法を謗ぜし故に舌八つにさけ、五根より血を出だし、頭七分に破れて無間地獄に堕ちぬ。彼の臨終の大苦をこそ堪忍すべしともおぼへざりしに、無間の苦は尚百千億倍なり。人間にして鈍刀をもて爪をはなち、鋸をもて頸をきられ、炭火の上を歩ばせ、棘にこめられなんどせし人の苦を、此の苦にたとへば数ならず」と。
 現世におけるいかなる残酷な拷問も、無間地獄の大苦に比べれば物の数ではないと仰せられている。しかも無間地獄の寿命は一中劫とされている。一中劫とは約三億二千万年である。このような長年月にわたる大苦悩は想像を絶しよう。ただし一中劫の堕獄は、父母を殺す等の五逆罪を因とした場合に限られる。もし戒壇の大御本尊を誹謗して無間地獄に堕した者は「展転して無数劫に至らん」と説かれている。
 
  八百万学会員を救いたい
 
 私は、この会則変更により、多くの学会員が戒壇の大御本尊を捨てて、現世には罰を受け、臨終には悪相を現ずることを、何よりも不憫に思っております。
 同じく信心の力を起こしながら、悪師に随うゆえに臨終に悪相を現ずること、痛々しく思っております。
 何としても八百万学会員を救いたい。
 
  池田大作の身に第六天の魔王入る
 
 いいですか。
 創価学会が戒壇の大御本尊を捨てるにいたったのは、池田大作一人から出ているのです。これ池田大作の身に「第六天の魔王」が入ったからです。
 この大宇宙には仏法を守護する諸天が存在するように、仏法を破壊しようとする魔の働きもある。その中心的存在を第六天の魔王という。この第六天の魔王は、仏様の御化導を妨害するのです。
 大聖人様は最蓮房御返事に「予、日本の体を見るに、第六天の魔王智者の身に入りて、正師を邪師となし、善師を悪師となす。経に『悪鬼其の身に入る』とは是れなり。日蓮智者に非ずと雖も、第六天の魔王我が身に入らんとするに、兼ての用心深ければ身によせつけず」と。
 念仏宗の法然が「捨・閉・閣・抛」(捨てよ・閉じよ・閣け・抛て)といって法華経を捨てさせたのも、真言の弘法が「第三の劣」と貶して法華経を捨てさせたのも、天台宗の慈覚・智証が「理同事勝」とたばかって法華経を捨てさせたのも、みな、これら智者たちの身に第六天の魔王が入ったからであります。
 大聖人様は開目抄の末文に、こう仰せられている。「法然いたわしともおもはで、末法には法華経の門を堅く閉ぢて人を入れじとせき、狂児をたぼらかして宝をすてさするやうに、法華経を抛てさせける心こそ無慚に見へ候へ」と。
 いま第六天の魔王は、信心うすく大慢心の池田大作の身に入って、八百万学会員に戒壇の大御本尊様を捨てさせようとしているのであります。
 
  正本堂完工式にキリスト神父招く
 
 天魔その身に入った池田大作が、これまでやって来たことを見てごらんなさい。
 彼はまず、大聖人様の一期の御遺命たる国立戒壇を抹殺するために、偽戒壇・正本堂を建てた。
 そして、その正本堂の落成式にローマ法王庁の神父を招かんとして、バチカン信徒評議会・評議員で上智大学名誉教授である安斉仲に働きかけ、対談をしている。なぜローマ法王庁から神父を招こうとしたのかといえば、「正本堂は世界平和を祈る大殿堂」とバチカンの権威を利用して世界に宣伝し、それを自身の「ノーベル平和賞」に役立たせようとしたからです。
 池田大作は対談した折の安斉伸の発言を、二〇数年後の平成五年の学会集会で、次のように伝えている。 「名誉会長と初めてお会いした時のことは、いまだに忘れることはできません。(中略)その折、私は『究極に求められるものは何でしょうか』と質問しました。恐らく゛板曼荼羅の御本尊゛と答えられると思っておりましたが、しかし、名誉会長は『久遠元初の法です』と答えられたのです」「このことから、名誉会長が、永遠の根源を求めておられ、板曼荼羅に、偏狭にこだわっておられないことに、非常に感動し、創価学会の普遍性と、発展の因を見た思いでした。以来、学会への協力を決意し、今日にいたっております」(聖教新聞・平成5年5月5日)
 安斉仲のいう「板曼荼羅」とは戒壇の大御本尊を指している。大御本尊を怨嫉する者は、よくこういう言い方をするのです。池田は安斉にへつらって「私が求めているのは久遠元初の法であり、板漫荼羅ではない」と答えたのです。
 かくて「ローマ法王庁特命全権大使」なる高級神父が派遣され、完工式に祝辞まで寄せたのであります。

  久遠元初の法は大聖人・大御本尊を離れては存在せず
 
 いいですか。池田は「久遠元初の法」などと知りたげに言うが、「久遠元初の法」とは漠然たる真理のようなものではない。
 久遠元初の法とは「本地難思の境智の妙法」です。この妙法は、久遠元初の自受用身たる日蓮大聖人を離れては存在しない。なぜなら大聖人の御当体がそのまま本地難思の境智の妙法だからです。ゆえに日寛上人は「この本地難思の境智の妙法に、即ち御主あり。いわゆる蓮祖聖人これなり」(本尊抄文段)と。滝泉寺中状に大聖人様が「法主聖人」とご自称あそばされているのは、この意です。
 この人法体一・事の一念三千こそ生命の極理であり、これを証得されたのは日蓮大聖人ただ御一人であられる。そして大聖人様は大慈悲を起こされ、一切衆生の成仏のため、このお覚りの全体を戒壇の大御本尊に顕わされ、全人類に授与して下さったのであります。だから、久遠元初の法は、日蓮大聖人・戒壇の大御本尊を離れては存在しない。
 しかるに池田は「究極に求めるものは久遠元初の法であり、板漫荼羅ではない」と言う。これが天魔その身に入った者の言葉なのです。これを見れば、池田大作が、正本堂を造らんとした昭和四〇年代からすでに戒壇の大御本尊を蔑り、信じていなかったこと、明らかです。
 だからこそ、正本堂に居え奉った大御本尊の御前の大前机に、自身の醜悪な裸体レリーフを貼り付けるという驕慢な行為もできたのです。
 
  大御本尊を冒涜
 
 いいですか。
 戒壇の大御本尊は、広宣流布の暁の国立戒壇に安置し奉るべしとて、大聖人様が留め置かれた御本仏の御法魂であられる。しかるに池田大作は、国立戒壇を否定するために建てた偽戒壇にこれを居え奉った。大御本尊に対し奉り、これほどの不敬・冒涜はない。
 だが、時の貫首・細井日達と阿部日顕は、学会からの莫大な供養金に心を蕩かされ、この悪事に全面協力した。
 これを見て、顕正会の捨身の諌暁はいよいよ激しさを増した。かくて学会と宗門の間に自界叛逆の罰が現われ、抗争の末、池田大作は破門された。
 
  ついに極限の謗法
 
 ここにいよいよ魔の本性を露にした池田大作が、ついに今「弘安二年の御本尊は受持の対象にしない」として、八百万学会員を地獄に堕とす魔言を吐くにいたったのであります。
 
  戒壇の大御本尊こそ日蓮大聖人出世の本懐
 
 重ねて申します。
 弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊こそ、日蓮大聖人の出世の御本懐であられ、大聖人はこれを日興上人に付嘱され、国立戒壇に安置し奉るべしと、御遺命あそばされた。
 日興上人はまた日目上人にこれを付嘱され、その御遺状に「日興が身に宛て給わる所の弘安二年の大御本尊、日目に之を授与す。本門寺に懸け奉るべし」と記し給うた。
 また日寛上人はこの御本尊の重大さについて、観心本尊抄文段に「就中、弘安二年の本門戒壇の御本尊は究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり」と。
 さらに撰時抄文段には「問う、文底深秘の大法その体如何。答う、即ち是れ天台未弘の大法・三大秘法の随一、本門戒壇の御本尊の御事なり」と。
 「文底深秘の大法」とは抽象的なものではない。その実体は、まさしく本門戒壇の御本尊の御事であると、御教示下されている。まさに本門戒壇の大御本尊こそ、法華経本門寿量品の文底に秘沈された大法の実体、下種御本仏・日蓮大聖人の出世の御本懐、全人類成仏の根源であられる。
 かかる重大な大御本尊を「捨てよ」という池田大作こそ、天魔でなくて何か。この魔手より、八百万学会員を教わねばなりません。
 
  宗門も同罪
 
 では、一方の宗門はどうなのか。
 時の貫首には学会の悪事を摧くべき義務がある。ゆえに二祖日興上人は遺誡置文に「衆議たりと雖も、仏法に相違あらば貫首之を摧くべき事」と。
 だが細井・阿部の二代にわたる貫首は学会にへつらって、国立戒壇の放棄・正本堂の誑惑等の悪事に協力し、これを讃嘆した。この罪は、教義の裁定権を有する貫首の立場であれば、池田大作より重いといわねばならない。
 しかるに宗門はいささかの改悔もなく、いま恐れ多くも戒壇の大御本尊を営利の具とし、御開扉料稼ぎに狂奔している。日寛上人は「名利の僧等の仏法を以て渡世の橋と為すが如し」と。この無慚、必ずや大聖人様の御罰を蒙ること疑いない。
 
  阿部日顕の堕落
 
 さらに阿部日顕にいたっては、「河辺メモ」に見るごとく、戒壇の大御本尊に対し奉り許されざる不敬の言辞を弄し、そのうえ戒壇の大御本尊に敵対している身延の高僧、田中日淳・佐藤順映等を大石寺に招いている。信心なき輩は己れの名利は守るが、大御本尊の御威徳は守らないのだ。どこまで堕落しているのか、大聖人様の御眼を恐れぬかと、私は言いたい。
 彼らもまた池田大作と同様「但名のみ之を仮りて心中に染まらざる信心薄き者」(顕立正意抄)なのであります。このような輩に広宣流布ができるはずがない。
 
  一筋の忠誠貢く
 
 いま一筋の忠誠を貫き通しているのは、日本国には顕正会以外にはない。
 顕正会は御遺命のゆえに理不尽の解散処分を受けるとも、戒壇の大御本尊様への恋慕渇仰の信心はいよいよ深く、全国の顕正会員は遥拝勤行に励みつつ、ひたすら広宣流布を進めている。
 これこそ御在世の信心であり、大聖人様の御心に叶う信行であります。ゆえに顕正会員は功徳が頂ける、一生成仏も叶うのであります。
 
  広宣流布は近い
 
 大聖人様は「大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる」と仰せあそばす。
 いま学会の「戒壇の大御本尊否定」という極限の大謗法・大悪を眼前にして、「広宣流布いよいよ近し」と私は確信をしております。
 すべては顕正会の前進にかかっている。いよいよ迎える国難二年、大地ゆるがす広布の大前進を以て、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。(大拍手)
 
 
 
 
 
 

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