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 顕正新聞の元旦号に掲載される「年頭の辞」は、浅井昭衛会長の発言の変遷が時系列に把握できる、絶好の定点観測ポイントです。
 
 事態の推移を把握するため、過去に遡って「年頭の辞」を掲載します。現役会員諸氏にとって、浅井会長の過去の言動を知るよい資料となり、顕正会の失速状況が他ならぬ「無二の師匠」の言葉で了解できるでしょう。
 また以下のように、周期的に「あと○○年」や「御馬前の法戦」というフレーズが現れ、そして「国会請願」や「一千万」のような禁句・死語もあることが、お判りいただけるでしょう。
 
  ・平成04年:「数年後には必ず百万が成る
  ・平成05年:「日本をゆり動かす百万への出陣
  ・平成07年:「あと二十年
  ・平成08年:「六年後の十万人の国会請願
  ・平成15年:「百万達成こそ"日本の夜明け"
  ・平成20年:「広布最終段階
 
 浅井会長のこの「年頭の辞」の変遷を、整合性を以って理性的に理解することは、なかなか難しいかもしれません。「あと○○年」という言明は、その時々の勢いを示す形容詞に過ぎず、数字そのものに意味は無いという解釈もできそうです。
 しかし、そんなはずはないでしょう。その時々、浅井昭衛氏は過去の数字との整合も考え、心魂を傾け熟慮を加え最重要の方針として、「あと○○年」と表明しているはずです。そしてその結果が、今日の現実でした。
 
 平成12年に「広宣流布は最終段階に突入」しましたが、翌年に「最終段階を迎えたごとく」とやや後退しました。しかし、平成20年でも言及されるように、現在が「広布最終段階」であることは一貫しています。
 平成16年の百万達成が「大聖人御馬前の法戦場に到達」であり、顕正会はついに「御照覧直下の戦い」「最後の戦い」の段階に入りました。ところが平成18年には、到達したはずの「大聖人のお待ちあそばす大法戦場」が「急ぎ駆け付けよう」と空しく変化し、蜃気楼のように遠ざかってしまいました。平成21年・平成22年でも、同様のことが言われます。
 これは些細な揚げ足取りではなく、本質的・構造的な問題に起因しています。浅井昭衛氏がもし、化城喩品(法華経)の「方便力」を念頭に置いているなら、明確な確信犯と云えるでしょうし、もし「化城」だとしてもさすがに数回が限度でしょう。この「方便」の問題については、別途論じることにしましょう。
 
 さて、浅井会長の「年頭の辞」の構文・構造は、概ね共通するパターンを有しています。
 
 1) 創価学会の法義違背を糾し、池田大作氏の野望を阻止した、自身の過去の栄光。元会員の間では、「武勇伝」と呼ばれます。
 2) 犯罪多発や地震・異常気象の脅威、経済危機や国際情勢等の時事問題に結びつけ、「日本は必ず亡びる」「残された時間は、あと○○年」と、恐怖感・切迫感の植え込み。
 3) 広宣流布・国立戒壇建立で、すべての脅威・難題が手品のように解消・解決する、という短絡と幻想。
 
 年の初めにあたって浅井会長は昨年を総括し、新年の指針を格調高く「年頭の辞」に示します。しかして、その内容を時系列に一覧すると、どのように「あと○○年」が後退して行くか、一目瞭然です。
 「あと○○年で司法試験に合格する」とか「あと○○年で上場会社の社長になる」等と大言壮語を繰り返し、その「○○年」をどこまでも先延ばししている人が身近にいたらどうでしょう。
 身内・家族がそうだったら当人の将来が心配でしょうし、同級生や同僚だったら可哀想だし、あまり関わりたくないかもしれません。政治家や大臣だったら、野党やマスコミの批判は免れないでしょう。ではそれが「宗教家」だったら、同じようなことが許されるのでしょうか。
 顕正会員諸氏には、「あと○○年」や「朝露のごときはかない人生をこの大仏事に」という言葉に隠された、本当の意味をよく考えていただきたいと思います。
 
 平成10年の年頭の辞では「一千万をめざし」と述べ、平成12年には「一千万は必ず成る」としていたが、巨大地震到来で誇大妄想にさらに拍車がかかりました。
 妄想とは非合理的な思い込みであり、根拠が薄弱であるにもかかわらず、確信が異常に強固であることや、経験・検証・説得によって訂正不能であり、内容が非現実的であることが特徴とされています。
 現在の百五十万ですら幻想であり、実態が伴わない化城であることを、浅井会長はよく知っているでしょう。
 すべて重々承知の上で、三百万や一千万や六千万という実現不可能な妄想に耽溺し、浅井会長は会員を騙し続けています。
 
 平成26年の年頭の辞では、「今後、中国の侵略は尖閣奪取に始まり、いよいよ日本本土を襲うであろう」と述べています。
 かつての「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が長く続かなかったように、中国経済も今や陰りを見せています。しかし、「偏執見」(一つの考えにとらわれて視野が狭くなり偏ること)の浅井会長には、それが見えません。
 
 平成27年の「年頭の辞」、着目させていただきましょう。
 
                          櫻川 忠
 

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