Blue Flower

                       宮田幸一
 
 この論文は2015年9月5日に創価大学で開催された日本宗教学会第74回学術大会で口頭発表された原稿に加筆訂正したものである。
 口頭発表では発表時間の制約もあり、表現を簡約にしすぎて、私の個人的見解が、創価学会の見解であると誤解されかねない表現が散見された。学術大会における発表であるから、私の個人的な研究発表であるという前提で書かれているが、教団の見解についても、教団の公式発表以上に私が推測している部分があり、誤解を招いたとしたら、不徳のいたすところである。
 そのような誤解を招かないように今回ある程度修正したつもりであるが、なお誤解を招く表現が残っていれば、それは全て私の責任である。
 

 学問的研究と教団の教義 ― 創価学会の場合

  日本宗教学会第74回学術大会 発表 2015年9月5日
 

 1 今回の会則改正のポイント

 
 昨年創価学会は、会則の教義条項を改正した。創価学会は長年日蓮正宗の信徒団体として日蓮正宗の教義を信奉してきたが、日蓮正宗から分離した後、どのように独自の教義を形成していくのか不明であった。
 今回の会則改正は表面的には、単に「一閻浮提総与の大御本尊」を受持の対象から外しただけで日蓮本仏論を継承しているという点で、まだ日蓮正宗の影響が残っていると一般には思われているようだ。(資料2、資料3)
 
 しかし、会則改正と共に発表された原田会長の趣旨説明において、信仰の対象は三大秘法すなわち「本門の本尊・題目・戒壇」であり、「本門の本尊」について「日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現したものであり、等しく『本門の本尊』であります」としている。
 従来信仰の対象としていた「一閻浮提総与の大御本尊」あるいは「弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊」については、「本門の本尊」の一つではあるが、「大謗法」の他教団の本尊であるから、「受持の対象」とはしないとしている。(資料4)
 このことは教義的にどういうことを意味しているかというと、日蓮宗各派の寺院に安置されている日蓮真蹟本尊も、また日蓮正宗大石寺に安置されている「戒壇の本尊」も等しく「本門の本尊」として認めるということである。

 したがって「本門の本尊」を信仰の対象としている日蓮宗各派の信仰、ならびに日蓮正宗の信仰にも、応分の功徳があるということを教義的には認めざるをえないことになるのではないかと私は考える。もちろん信仰の仕方により功徳の有り様も多様であるが、「本門の本尊」を信仰しても、全く功徳がないという教義を日蓮の御書から導き出すのはかなり困難ではないかと私は思っている。
 そもそも信仰に功徳があるかどうかという問題は、教義の問題でもあるが、むしろ信仰をしている人々が功徳を感じているかどうかという宗教社会学的な問題でもある。日蓮正宗ならびにそれに教義的に依存していた創価学会は、従来は、功徳は「戒壇の本尊」への信仰にのみ由来するという排他的独善的主張をしてきたが[1]、日蓮正宗700年の歴史、創価学会80年の歴史を振り返り、またさまざまな宗教社会学的調査を踏まえれば、宗教的功徳の特定信仰への独占ということは事実としては否定されるしかないと私は考えている。(これは特殊な宗教的功徳[例えば「真の即身成仏」など]が特定の信仰を通じて得られるという秘儀的な宗教的功徳観を否定するものではない。)
 
 今回の会則改正は、私が思うのには、日蓮の信頼できる御書には「本門の本尊」への言及はあるが、「戒壇の本尊」への言及はなく、また日蓮が図顕した多くの本尊の間に何らかの差別を設ける(一機一縁の本尊)という御書もないという事実に基づいて、「本門の本尊」の平等性を認めたものである。
 しかし、「本門の本尊」としては平等だからという理由で他教団の所有する本尊を拝んでもよいと容認するわけではなく、教団としてはその歴史性にかんがみて、教団が認定する本尊、すなわち創価学会の正規の手続きで会館、家庭に安置されている本尊を受持の対象とするという決定をしているようである。
 創価学会の信仰の一つの特徴は広宣流布を目指して信仰しているということにあるから、単に自分や家族の幸福のみを求めて信仰している人とは、その功徳において大いに違いがあると創価学会は考えているようであるし、この考えには教義的裏付けがあると私も思っている。
 
 「戒壇の本尊」を受持の対象から外すということに関連して創価学会教学部の解説では、従来は『聖人御難事』の「出世の本懐」の記述により「弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊」の図顕が日蓮の出世の本懐であるという日蓮正宗の解釈を採用していたが、『聖人御難事』の記述を読めば、『聖人御難事』には日蓮自身への法難が述べられ、最後に熱原の農民信徒への法難が述べられているということに注目している。
 従来の法難は日蓮を中心にした法難であったのに対して、今回の法難は、日蓮本人への弾圧ではなく、多分日蓮と直接会ったこともないと思われる熱原の農民信徒への弾圧であり、その意味では法難の質が違っている。そして熱原の農民信徒が「不惜身命の信仰を示したことによって証明された民衆仏法の確立」=日蓮滅後の広宣流布の担い手の出現により、日蓮は未来の広宣流布を確信し、そのことにより日蓮における三大秘法の完成が成就したということに「出世の本懐」の意義を教学部解説では見出したのではないかと思われる。
 これは日蓮の御書をできるだけ後世の解釈を介在させないで読解するという教学部の姿勢を示していると私は思っている。また「弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊」を「一大秘法の本門の本尊」「三大秘法惣在の本尊」とした日寛教学に対しても、そのような解釈は御書にないとして否定した議論のロジックにもその姿勢がうかがわれる。(資料5)
 以上のような創価学会の今回の教義条項改正は、単に日本の内棲型の新宗教教団の母教団からの自立というプライベートな意味しか持たないように見える。しかし、その教義条項改正のロジックという観点から見ると別の意味が見えてくる。
 

 2 教義条項改正への歴史的背景

 
 創価学会は、牧口常三郎の価値論に理論的基礎を置く実験証明座談会運動、戸田城聖の仏教の教義の生命論的解釈と国立戒壇論による政治的宗教運動の開始、池田大作による公明党の結成による政治的宗教運動の大規模な展開、人間主義的な教義解釈による世界各国への布教活動の展開というように、伝統的な日蓮正宗の教義や運動では考えられなかった教義解釈と運動展開をしてきた。西山茂が内棲型教団関係の典型的な事例とした理由もここにある。しかしながら、創価学会は日蓮仏法に関する教義解釈と宗教的儀礼に関しては日蓮正宗の伝統を継承してきた。
 しかし、日蓮正宗の日蓮仏法解釈は、鎌倉時代の日蓮、室町時代の日有、江戸時代の日寛の教義解釈を基礎としたものであり、明治以降の仏教の学問的研究の成果に対してまともに対応したものではなかった。(これは日蓮正宗に限ったことではなく、日本の既成仏教団体全てが、宗祖に忠実であるならば、教義的には大乗仏教教典が直接釈尊によって説かれたという理解を前提にして成立していることには変わりがない。その理解が崩れたときに、宗派として存在することに教義的な意味は見失われ、歴史的意味しかないように私には思われる。)
 梅原猛の「創価学会の哲学的宗教的批判」では、日蓮が法華経至上主義の根拠とした五時説に関して、「明治以後の原典批判にすぐれた業績をあげた仏教学の成果を持つ現代という時代の宗教である創価学会が、五時八教を採用しているようにみえるのはどうした訳であろう」と述べて、創価学会が伝統的教義の一つである五時説に固執していることを批判した。
 梅原はまた、日蓮の時代認識である末法理論の基礎となる仏滅年代に関しても、「『折伏教典』では仏滅は今から約三千年前と云い、東京大学法華経研究会編『日蓮正宗創価学会』ではシャカの入滅の事実に関して日蓮説と新しい仏教学者の説の両方をあげ、どちらが良いとも断定していないのである」と述べて、創価学会が仏教学の成果に対して曖昧な態度を採っていることを批判している。(資料6)
 
 創価学会が現代の学説と整合しない教義問題に本格的に着手したのは、言論問題以後の『私の釈尊観』以後の仏教史シリーズの刊行においてであった。それまでは創価学会青年部幹部にとって日蓮の御書や日寛『六巻抄』が理論武装の教材であったが、新たに池田は青年部の人材育成に、従来日蓮正宗では全く扱われなかった仏教学の成果を積極的に取り込んでいった。その成果を発表したのが池田の1977年の「『仏教史観』を語る」という講演で、そこでは維摩詰経、法華経法師品を使用して、在家者出家者共に「法師」としての資格は同じであり、同格だと主張した。
 これは仏教学の成果を利用して教義の解釈権を閉塞的な教義解釈に固執する日蓮正宗から創価学会へと移すことも意図していたと思われる。(資料7)
 この主張には運動論的な背景もあり、池田の努力により世界各国への布教活動が進展していたが、「ハワイ・レポート」で述べられているように、海外では教義的にも運動的にも日蓮正宗は不要であるという意識が生じていたようだ。(資料8)
 しかし52年路線といわれるこの新しい方針は、日蓮正宗に危機感を生じさせ、創価学会との絶縁も視野に入っていたため、創価学会としては日蓮正宗との絶縁が、会員に及ぼす甚大な影響力を考慮に入れると、事態の収拾に動かざるを得ず、池田会長の勇退という形で、詫びを入れるしかなかったと思われる。
 しかし日蓮正宗が明治以前の教義と運動に固執している以上、問題点は残ったままであり、創価学会としては日蓮正宗の正しさを認めたというよりも、会員の動揺を防ぐための戦術的撤退という側面が強かったようだ。
 
 第2次宗創問題をうまく乗り切り、組織に大きな動揺なしに分離に成功した後は、主に儀礼面で、本尊制定、友人葬などの自立化への改革を遂行し、会則からも日蓮正宗との関係を除去したが、教義面では、戒壇本尊との関係を維持するなど、大きな改革は見送られてきた。(資料1,2)
 教義面の改革は日本国内よりもSGIで先行し、ハワイ・レポートにそって、日蓮本仏論は表立っては主張されず、釈尊、法華経、日蓮という系譜で説明されたようだ。その理由の一つは、カルト批判を避けるために、他の仏教団体と友好関係を維持する必要があったため、SGIを日蓮教ではなく、仏教であると強調したかったという運動上の理由があったが、同時に学問的に問題がある教義を主張すると厳しい批判を受ける可能性があることを配慮しなければならないという事情もあったようだ。(資料9)
 日本国内での教義改革は遅々として進まなかったが、同時に創価学会は学問的に問題がある教義、たとえば五時説についてはできるだけ扱わないという配慮もしてきたようだ。しかし、池田の健康問題が重要になると、池田存命中に教義改革を行うのか、死後に行うのかという選択をせざるを得ない状況で、結果的に存命中に行った方が、会内の動揺は少ないであろうと執行部が判断して、今回の教義条項変更は行われたと私は考えている。その際できるだけ従来の教義を大きく変えたという印象を与えないように配慮することも考慮され、日蓮本仏論を維持することとなったと思われる。
 

 3 教義条項変更のロジック

 
 教義条項変更にあたっては、大義名分が必要となるが、単に日蓮正宗からの教義的自立という後ろ向きの理由では意味がなく、ロジックとしては世界広宣流布を実現するために、教義条項を変更するということが掲げられたようだ。
 従来は日本での一国広宣流布を実現するために日蓮正宗と二人三脚で運動を展開してきたため、教義的には日蓮正宗の伝統的解釈を踏襲してきたが、今後は世界広宣流布に相応しい教義を提示する必要があると考えたようだ。
 そのためには、世界三大宗教の中では仏教が最もマイナーな宗教であり、SGIは日本を別とすれば、その仏教の中でも極めて小さな教団であるという認識を持つ必要がある。仏教が支配的な宗教である日本における創価学会の運動上の成功体験は、異文化の中では、そのまま実行するのは危険であったと思われる。
 日蓮は仏教が支配的な文化、社会の中で、その仏教の中でどの宗派が最も正しい宗派なのかという問題設定をして、天台宗の五時説を基に、法華経を選択して、四箇の格言に見られる他宗批判を展開した。しかし、現在では五時説は仏教経典の成立に関する誤った解釈によって成立した思想であるという学問的見解が主流となり、日蓮の他宗批判をそのまま実行する教義的理由には説得力がなくなったと思われる。ましてやマイナーな世界宗教である仏教内部で説得力のない他宗批判をして世界広宣流布の展望を描くことはできない。
 つまり世界広宣流布ということを構想するならば、日蓮の教義の中で、取捨選択が行われる必要性があり、それはまた運動論にも適用されるべきであると思われる。教義的にも日本の創価学会とSGIとでは資料9において見られるように日蓮本仏論の扱いなどに相違があるが、そのダブルスタンダードの解消も視野に入れなければならず、その場合基本的にはハワイ・レポートの方針で進むと私には思われる。
 
 また今回の教義条項変更に使用されたロジックの一つに、日蓮正宗あるいはその根幹となる日寛の教義解釈は日蓮自身の御書に根拠をもたないという学問的研究を使用するということがあるようだ。
 かつて創価学会は日蓮正宗と同様に創価学会版御書全集に収録されている御書は全部日蓮真撰であるという立場で議論を展開していたが、現在では学問的研究を受け入れて、真蹟、曽存、直弟子写本のある御書とそれ以外の御書との区別をある程度しており、信仰の上ではそれ以外の御書も使用するが、日蓮思想の究明という問題になれば、それなりの文献学的研究に配慮するという立場を採りつつあるようだ。
 このロジックにより日寛の一大秘法=戒壇本尊という議論や出世の本懐=戒壇本尊の図顕という議論が日蓮自身の思想であることを否定した。
 しかし、学問的成果を使用するということは中途半端にできることではなく、日蓮正宗のもう一つの重要な教義である日蓮自身が日蓮本仏論を持っていたということに関しても文献学的に論証することは不可能であると思われる。
 今回、教義条項の変更にあたって日蓮本仏論を残したが、私は、学者でもある一会員として、日蓮正宗のような学問的批判に耐えることのできない日蓮本仏論ではなく、学問的研究と矛盾しない形で、しかもSGIの信仰形態と整合的な、新しい日蓮本仏論を構築する必要があると思っているし、そのための試論も現在準備中である。
 

  資料

 (特に出典を明記していない資料はネット検索で容易に見ることができる)
 
 資料1 昭和54年4月24日制定「第3条(教義)この会は、日蓮正宗の教義に基づき、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」
 
 資料2 平成14年(2002年)改正「(教義)第2条 この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする」
 
 資料3 2014年11月改正「(教義)第2条 この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする」
 
 資料4 原田会長趣旨説明 「末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現したものであり、等しく『本門の本尊』であります。」
 「会則の教義事項に言う『御本尊』とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。」
 
 資料5 2015年1月教学部解説 「『本門の本尊』 としては、『弘安2年(1279年)の御本尊』 も含まれるが、それのみが 『本門の本尊』 だとするものではない。まして、『弘安2年の御本尊』 に繋がらなければ、他の本尊は一切力用を発揮しないなどとする宗門の独善的な本尊観は、大聖人の仏法に違背するものであることは明白である。」
 「『出世の本懐』 の本義は、大聖人の御生涯において、末法万年の一切衆生の救済のために三大秘法を確立されたこと、それとともに、立宗以来27年目に、熱原の法難において、農民信徒たちが大難に負けない不惜身命の信仰を示したことによって証明された民衆仏法の確立である。」
 「これまで日寛上人の教学に基づいて、『一大秘法』 や 『六大秘法』 ということを使用してきたが、『一大秘法』 が 『本門の本尊』 であるという日寛上人の解釈は、御書にはない。 御書に『一大秘法』と教示されているのは、『曽谷入道殿許御書』のみである。そこでは、『妙法蓮華経の五字』(御書1032頁)を一大秘法として明かされている。」
 
 資料6 梅原猛「創価学会の哲学的宗教的批判」(『思想の科学』1964年12月号)「明治以後の原典批判にすぐれた業績をあげた仏教学の成果を持つ現代という時代の宗教である創価学会が、五時八教を採用しているようにみえるのはどうした訳であろう」(p. 92)
 「『折伏教典』では仏滅は今から約三千年前と云い、東京大学法華経研究会編『日蓮正宗創価学会』ではシャカの入滅の事実に関して日蓮説と新しい仏教学者の説の両方をあげ、どちらが良いとも断定していないのである」(p. 94)
 「創価学会は日蓮にあまりに執着する事により、現代では適用出来ない日蓮の教義すら絶対の真理として執着するのである」(同)
なお梅原論文の「哲学的批判」の部分は日蓮正宗系のHP「法蔵」の「創価学会破折」の「牧口常三郎の実像」に掲載され、コメントがつけられている。今回の発表に関係する「宗教的批判」の部分は無視されているが、日蓮の主張はすべて正しいという日蓮原理主義に立脚していると思われる「法蔵」には梅原の批判は対応不可能なので掲載されていないと私は考えている。
 
 資料7 1977年(昭和52年)1月 池田大作「仏教史観を語る」 「法華経法師品には、法華経を受持、読、誦、解説、書写する、つまり五種の妙行を実践する者を法師と名づけ、在家、出家ともに、法華経受持の人は最高の供養を受ける資格があると強調しております」
 「『御義口伝』に『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は法師の中の大法師なり』(同七三六㌻)とあるごとく、別しては日蓮大聖人、総じては御本尊をたもち、題目を唱える私たち創価学会もまた大法師の名に含めてくださり、今日における真実の出家という意義になってくるのであります。日達上人猊下も『有髪、無髪を問わず、戒壇の大御本尊様を南無妙法蓮華経と拝し奉るすべての人が、和合僧の一団となって、我々僧侶とともに、その和合僧の一員であるということになるのでございます』と、はっきり申されている。すなわち出家も在家も全く同格であるとの言であります。」
 「寺院とは、このように、本来、仏道修行者がそこに集い、仏法を研鑚し、そこから布教へと向かうための道場、拠点であることは論をまちません。その本義からするならば、今日、創価学会の本部・会館、また研修所は、広宣流布を推進する仏道実践者が、その弘教、精進の中心拠点として集い寄り、大聖人の仏法を探究するところであり、そこから活力を得て、各地域社会に躍り出し、社会と民衆を蘇生させていく道場であります。すなわち、学会の会館・研修所もまた『近代における寺院』というべきであります。
もちろん日蓮正宗の寺院は、御受戒、葬儀、法事という重要な儀式を中心とした場であり、これに加えて、広布の法城たる会館があることによって、初めて進歩と躍動の“開かれた宗教”の勃興があることを銘記していただきたいのであります。
 先日、ある大使と歓談したさい、その大使は、宗教がいわゆる既成の寺院に閉じこもったものではなく、平和・文化のためにも、もっと幅広い次元にまで浸透していくべきであり、その意味で創価学会の路線は正しいと思う、と評価をしておりました。
 今までの既成宗教は、いわば民衆をそこに従属させる形で安泰を保ってきました。しかし、それのみでは保守であり、現在においては、重大な行き詰まりを露呈してしまっております。故に、二重方式で、我が会館を守り、そこを広布の拠点としていく行き方は、かつてない近代的な方程式であり、さまざまな風波を乗り越え、一切を外護していくための新しい行路であり、基盤なのであります」
 
 資料8 1978年(53)年11月「ハワイ・レポート」(広報室鹿野、萩本作成)
 この資料は1977,79年に柳川啓一を研究代表者として行われた文部省科学研究費海外学術調査(研究課題「ハワイ日系人に関する宗教調査」)のうち、初年度の調査に関して、広報室の鹿野、萩本が、代表者の柳川啓一東大教授へのインタビューをまとめ、執筆者の感想を交えて書いた報告書と推定される。
 この調査研究に従事したのは、柳川啓一、森岡清美、井上順孝、中牧弘允、西山茂、星野英紀、渡辺雅子、藤井健志、中野毅などの現在の日本宗教学会を代表する研究者たちであり、非常に大がかりな研究調査であった。
 その研究成果は『ハワイ日系宗教の展開と現況――ハワイ日系人宗教調査中間報告――』(柳川啓一・森岡清美編 1979年)、『ハワイ日系人社会と日本宗教――ハワイ日系人宗教調査報告書』(柳川啓一・森岡清美編 1981年)で発表されている。ちなみに第1回調査における「日蓮正宗アカデミー(創価学会)」の項目は中野毅が執筆し、第2回の調査においてはハワイ大学教授のR.T.Bobilin, A.Bloomが執筆している。
 「ハワイの日系宗教調査を行って、強く思ったことは、創価学会のNSA(日蓮正宗アカデミー)的な運動は、世界宗教になりうるということだ。・・・海外には、ファンダメンタルな日蓮正宗の教義をもっていっても理解されず、布教はまったく不可能といってよい。海外の布教方式は、レイリーダー(在家指導者)のNSA方式しかないと断言出来る」
 「海外における仏教理解は、日本のような宗派や教団意識はもてず、どのような教団でも、いわゆる仏教と理解される。したがって、創価学会とか日蓮正宗とかという宗派的な考え方より、普遍的な仏教という考え方が、布教にあたっては大事になってくる。教義的にも、ギリギリのところには、日蓮大聖人を立てなければならないが、日蓮大聖人の位置づけも、インドの釈迦再誕・日蓮であるとか、仏教国の日本で、偉い指導者が出て、カントリー仏教になったなどの位置づけをしていく必要がある。(釈迦仏教との連動性の保持)。すなわち、教義の普遍化ということだ。また組織的には、日本に本部をおいて、全世界に命令をするという行き方は、無理であり、世界宗教としての組織形態にはそぐわない。」
 「創価学会も、大石寺登山を義務づけ、強調すると普遍性を失う。そのため、各国の創価学会としてのシンボルをもてばよい」
 「もっとも成功している理由の基底には、NSAが、日蓮正宗という宗派的な教団として認識されているのではなく、いわゆる仏教と受け取られていることだ。」「これらのNSAの現状から、海外NSAは、日本の創価学会とはまったく異なったレイ・ブディズム(在家仏教)で、ここに、檀家の考え方をもった日蓮正宗が、主導権をもとうとすることは、定着したNSAを破壊することになり、しいては異文化社会への布教の失敗と、世界宗教への道を閉ざすことになる。また、実際のNSAの活動を見ても、膨大な組織が、僧侶なしで活動しているし、儀礼も僧侶なしで行っている。 すなわち、NSAには、僧侶の存在の必然性がまったくないといえるのではないか」
 「今後の海外布教方式はレイリーダー方式(在家指導者)のNSA方式しかないと断言出来るし、そこには、日蓮正宗の存在や介在は考えられない」
 なお調査当時には日蓮正宗僧侶は全米でロスアンゼルスに1名いるのみで、僧侶不在の宗教運動が展開されていた。また調査報告書では多くの日系宗教が調査対象となっているが、必ずしも日本の母教団との関係がうまくいっているとは限らない教団がそれなりにあることが報告されている。なお調査団の一員であった中牧弘允の『海を渡った日本宗教―移民社会の内と外―』が絶版のためネット公開されている。ハワイ調査を含む日系宗教の海外布教の諸問題が分析されているので、参考にされたい。
 
 資料9 「SGI各国のHPの教義紹介の差異について」(『宮田幸一のHP』)
 「かつて第一次宗門問題の時に、細井日達は『日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります』と述べて、創価学会の教義解釈を批判したが、それは細井日達が歴史学、仏教学に無知であったから、そのような発言をしたのだと私は理解している。私はむしろ『現代の歴史学、仏教学の学説に反した、学問的には誤っているとみなされる日蓮正宗の教義を世界広布することは、説得力という観点から見て、不可能である』と考える。池田は海外布教にあたって、常に海外では随方毘尼を強調し、日本の創価学会や日蓮正宗の伝統的な教義や儀礼にこだわる必要がないことを強調してきたが、それも日蓮正宗の教義が海外では説得力をもたないことをそれなりに感じていたからであると私は理解している。」
 SGI HP Nichiren 「SGI members follow the teachings of Nichiren, a Buddhist monk who lived in 13th-century Japan. Nichiren was the son of a fisherman, born in 1222, a time rife with social unrest and natural disasters. The ordinary people, especially, suffered enormously. Nichiren wondered why the teachings of Buddhism had lost their power to enable people to lead happy, empowered lives. His intensive study of the Buddhist sutras convinced him that the Lotus Sutra contained the essence of the Buddha's enlightenment and that it held the key to transforming people's suffering and enabling society to flourish.
 (SGIの会員は、13世紀の日本の仏教僧である日蓮の教えに従っている。日蓮は、1222年に生まれた漁師の息子であり、その時代は社会不安と自然災害が満ち溢れていた。特に、普通の人々はひどく苦しんでいた。日蓮は、なぜ仏教の教えが人々を幸福で、より充実した生活を送ることを可能にする力を失ったのか、疑問に思った。仏教経典を熱心に研究して、日蓮は、法華経がブッダの悟りの本質を含み、法華経が人々の苦しみを変え、社会の繁栄を可能にする鍵となっていることを確信した。)」

 (以下、省略)

 出典:http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/shukyogakkai.html
 強調や下線は、当サイトで付加した。



 
 

ゲスト1人 と メンバー0人 がオンラインです