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                   冨士大石寺顕正会
                                  会長 淺井昭衞 
 
 大地震の切迫に鑑み、急ぎ免震構造の新御宝蔵を建設し、速やかに正本堂より戒壇の大御本尊を遷座し奉られん事を請う。
 
 このところ日本列島は、仏法世法の濁乱感応してか、いよいよ大地動乱の時代に入ったごとくであります。
 その中でことに憂うべきは、列島の中心部を襲う巨大地震が近づきつつあることであります。
 このことにつき、著名な地震学者であり建設省建築研究所・地震学室長である石橋克彦博士は、近著「大地動乱の時代」において次のように述べております。
  「関東・東海地方の大地震発生様式にもとづく一つのシナリオによれば、今世紀末から来世紀初めごろに、小田原地震・東海地震・首都圏直下地震が続発し、それ以後、首都圏直下が大地震活動期に入る公算が強い」と。
 そしてさらに、この「続発」する大地震の引き金ともなる小田原地震については、その発生年を「1998年±3・1年」とまで、明確に特定しております。まさしく小田原地震に関する限り、本年より危険水域に入っているごとくであります。
 
 さらに総本山にとって最も警戒すべき地夭は、富士山噴火およびそれに連動する巨大地震であります。
 「富士山噴火」は、決して荒唐無稽なことではありません。富士山は、つい二百八十八年前の宝永四年にも噴火している活火山であります。そしてこの宝永噴火の二ヶ月後に、「宝永地震」と呼ばれるM八・四の巨大地震が東海地方を襲い、死者実に二万人を超す大惨事を惹き起こしている事実があります。
 この恐るべき「富士山噴火」が、いま再び近づきつつあるのであります。
 火山と地震の相関について、その権威といわれる琉球大学の木村政昭・助教授は「今年(一九九五年)は、新年早々から伊豆七島の神津島周辺で震度4クラスの地震が頻発している。これら相模トラフ上で起こる地震は、富士山や伊豆大島の三原山などの活火山と運動している。厳重警戒を要する状態である」と警告しております。
 そしてこれを裏付けるように近年富士山にはさまさまな異変が生じております。
 その一つは、かの「大沢崩れ」であります。
 "表富士"を変貌させるほどのこの大規模な「大沢崩れ」は、その原因について、これまでは「風化作用などの自然現象」と推測されてきました。
 しかし最近の研究では、「火山活動の前兆たる富士山の膨張によるもの」と指摘されております。事実、大沢崩れが発生している周辺の山肌は真っ赤に変色している箇所が多く、これも「内部からガスが噴出して山肌が酸化現象を起こしているゆえ」と解明されております。
 異変の第二は、富士山北側山頂における地殻の歪みの増大です。しかも歪みを生じている周辺の溶岩の表面は、珪酸や珪酸アルミであったとのことであります。これを調査した地元の山梨大学地学教室・石田高・助教授は「珪酸や珪酸アルミは、地下のマグマから発生した水蒸気の成分が地上に噴き上がってくるときに生ずるもので、その他の兆候とあわせ考えても、山頂の噴火口の内部で、何らかの火山活動が起きている可能性がある」と述べております。
 それかあらぬか、最近、六合目附近の山小屋では、「夜中に不気味な山鳴りが聞こえる」、「いままで経験したことのない微妙な震動を感ずる」等の声が上がっているとのことであります。
 
 顧れぱ、宝永の富士山大噴火は、精師が御本仏に背く「造仏・読誦」の己義を唱え没してより、十四年目に起きております。
  「徴前に顕われ、災い後に至る」の御金言を思わずにはいられません。
 そして今、かの「大沢崩れ」が動き出したのは、御遺命破壊の正本堂が落成した昭和四十七年であります。まさしく「地神いかりをなして身をふるう」の前兆でなくて、何でありましょうか。
 これを以て思うに、富士山の爆発も遠からず、またそれに連動する巨大地震も必ず起こると覚悟せねばなりません。あるいはまた、この富士山噴火以前に、小田原地震・東海地震が総本山を激動させるかも知れません。いずれにしても、大地震は極めて切迫しているのであります。
 
 さて、このたびの阪神大震災が日本人に与えた衝撃の最大のものは、「安全神話」の崩壊でありました。
 ロサンゼルス地震が起きたとき、日本の専門学者等は口を揃えて、「日本の高速道路は大丈夫」「地下鉄は安全」「新幹線は絶対」と、胸を張って断言しておりました。
 しかし、これら専門学者の「断言」がいかに虚しいものであったか。いま彼等は、「震度七は想定していなかった」「手抜き工事があった」と釈明するのみであります。
 ここに深く憂えるのは、正本堂の安全性であります。多数の人命に関わる公共工事たる新幹線の橋脚においてすら、「震度七」は想定していなかったのです。いわんや正本堂においておやではありませんか。
 たとえ設計者の横山公男がいかに「安全」というとも、細井管長の女婿という情実で実力以上の任に就いた設計者の「保証」など、阪神大震災で馬脚をあらわした学者等よりも、更に信ずるに足らざること百千万億倍でありましょう。
 しかも正本堂の構造たるや、奇を衒う池田大作に阿るあまり、建築の安全性を犠牲にした、異様・怪奇・アンバランスなものと言わざるを得ません。すなわち広い空間を、重く垂れ下がった屋根が覆い、この屋根を支える柱がまた、耐震性により有効な垂直・水平のものは一本もないという有様です。このような建造物は、耐震強度において全く未知数、危険きわまるものと言わねばなりません。
 富士地域を震度七の激震が襲ったとき、恐らく真っ先に崩壊するのは、この正本堂でありましょう。もし、あの重き屋根が須弥壇の上に落下したら、戒壇の大御本尊はいかが相成りましょうか。
 よしまた屋根の崩落を免れたとしても、巨大地震には、激しい上下動によって大岩石すら数十メートルも飛ばすといわれる「投擲現象」「飛石現象」なるものが必ず附随します。コンクリートの堅き須弥壇が、下から強く突き上げて大御本尊に激しい衝撃を与え奉ることを想像すれば、慄然として肌に粟を生ずる思いであります。
 
 ここに、建物自体の揺れを著しく減殺する免震構法による新御宝蔵を、急ぎ建築せねばならぬゆえんがあるのであります。
 今回の阪神大震災における村山首相のごとく、無智そして無責任の者は、危機を想定することも、危機管理の能力もありません。ただしこれは未だ世間の小事であります。
 もし戒壇の大御本尊に万一のことあれば、ことは仏法の破滅、全人類の破滅、とうてい取り返しのつくことではありません。
 これ時に当って一閻浮提第一の大事であれば、敢えて強言を構え、直諫するものであります。
 されば「戒壇の大御本尊に万一のことなど起こるはずもなし、対策は一切不要」などとうそぶく無道心の者あれば、それは魔の眷属であります。
 戒壇の大御本尊はもとより金剛不壊の仏身にてまします。但し、これを守りし奉る仏弟子は、時に応じ機に応じ、あらゆる危機を想定して御安泰を計り奉らねばなりません。それが仏弟子の忠誠心であります。
 ゆえに維新のおり、不穏を察知された霑尊・胤師は、大御本尊を密かに山外に避難し奉っておられるのであります。
 もし、護法の道念薄きがゆえに、危機意識もなく守護の対策も講ぜざるにおいては、その罪まさに万死に値するものと、敢えて私は言わせて頂きます。
 名利のために不要不急の広布坊などを建てるよりも、我が身のために豪奢な隠居所を設けるよりも、何より急ぐべきこと、万事を抛ってもなすべきことは、戒壇の大御本尊の御安泰を計り奉ることではありませんか。
 況んや正本堂は仏意に背く誑惑の殿堂、しかも邪法の神父まで招いて穢したことは、阿部管長自ら証言するところでもあります。
 この誑惑不浄の堂舎に、どうして御本仏の御法魂、快く住し給うでありましょうか。
 
 正本堂の誑惑は、そも国立戒壇を否定するための企みより発したものであります。まさに、国立戒壇に懸け奉るべき戒壇の大御本尊を、国立戒壇を否定するための欺瞞の構築物に居え奉っているのです。
 大御本尊に対し奉り、これほどの不敬、冒涜が、またとありましょうか。
 しかるに阿部管長は平然として御開扉を行う。これ営利のためか。まさしく仏意に叫わぬお目通りを大聖人に強要し奉るものではありませんか。
 阿部管長には、大聖人の御悲憤が、御叱声が、聞こえませぬか。下種三宝の御罰こそ恐るべしと思わずにはいられません。
 されば、一には戒壇の大御本尊を大地震より守護し奉るため、二には不敬・冒涜を停止するため、速かに新御宝蔵を建設して急ぎ遷座し奉ること、衷心より熱願・熱祷するものであります。
 顧れば、顕正会の赤誠の諫訴それ幾たびか――。
 もしこの重大の諌めをなお蔑り無視するならば、御書に云く「法に過ぐれば罰あたりぬるなり」と、すでに御身の亡びること眼前なること、最後に念記するものであります。恐々
 
    平成七年三月十三日
 
 

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